ばばちゃんのおっちゃんの日本語の先生への道

日本語の先生になろうと一念発起いたしました。

その73 検定試験

2016-10-25 09:55:18 | 6.私の感想・考え
日本語教育能力検定試験

 検定試験を受験しました。感想は、・・・・・試験現場を見ますと、随分受験者が多いですね。
 数字を見ますと、毎年、受験者数5千名、合格者1千名のようですが、合格率20%という不合理が、大いに気になります。
 試験を受けるというからには、私も含め、皆さん、随分やる気があるということになります。ところが、やる気があっても、「教育能力有り」と認めてもらえない方が多いということになります。

 しかし、一体、誰が、どこにその線を引いているのでしょうか。この検定試験は、上級を教えられる程度のポテンシャルを持っていなければ、教育能力がないとしています。果たして、そうでなければ、日本語を教えることができないのでしょうか。
 実際、日本語能力のN1ともなりますと、日本人にとりましても、かなりな教養が必要になります。彼らを教えようとなりますと、当然こちらの教養も必要になりますが、N3程度までならば、日本語が話せれば教えられます。単に、「日本語を話す」ということに基準にしますと、小学生中学年程度の会話のやり取りができれば、もう十分でしょう。

 私の考えでは、そこそこ、自転車の乗れる程度の人を沢山産みだせば、それで十分ではないかと考えます。そして、初級日本語指導者は、そこへ行き着くまで、多少、手助けして、早くひとり立ちできるようにしてあげればよいと考えます。原理原則は飛ばしても、素早く、そのレベルに達して、その先は、ご自分の考え、環境を踏まえて取り組めばいいのですから。

すなわち、「みんなの日本語」の初級程度の会話ができれば十分ではないでしょうか。ただし、読み書きができ、理解できてもダメで、その内容の会話のできることがポイントになります。教科書をスラスラ読めても、会話が全くできない学習者に会ったことがあります。
 また、私の考えでは、この業界は、日本における英語教育と同じやり方で、日本語教育を行おうとしているからです。日本語が読み書きできても、日本語が話せないという学習者を数多輩出しようしているからです。
 従来の英語教育方法は、翻訳者養成方法です。それが証拠に、多くの日本人は、読み書きできても話せません。今要求されていますのは、コミュニケーションのやり取りに役立つ会話です。

 高度な知識を身に付けることができませんが、小学生中学年程度の会話ぐらいなら教えることのできるやる気のある方達がたくさんいるでしょう。しかし、そんな人までも、ふるい落としているのではないでしょうか。

 ヒジャブを纏った受験者もいましたが、日本人にとってもよくわからない設問を、本当に理解することができるのでしょうか。日本語学を究めたい方なら必要でしょうが、日本語指導者を志す人には、拷問に近い感じがします。

 理系の学問では、原理原則を究めようとする理学とそれらを運用する工学に分かれていますが、この業界では、原理原則を究めようとする人だけで、その効果的な運用を図り、速成日本語会話者を生み出そうとする人がいないのではないでしょうか。

 ベトナムで日本語の先生をなさってる方の話で、検定試験をクリアして、現地で職を得た方から、教え方がわからないから教えてくださいと、お願いされたとおっしゃってました。やはり、目的とすることと、試験問題は、合致していないということではないでしょうか。

 この業界は、一体、何のために何をしているのでしょうか。

 日本語パートナーズをもっと増やせば、日本の宣伝にもなりますし、日本語教師を志す方が経験を積むことができます。更に、現地の先生方のポテンシャルの向上、維持にも役にも立つと考えます。





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