宝光寺ブログ

日記、寺報、ご門徒への連絡など

「美」から哲学を始めることについて

2012-02-01 22:17:16 | Weblog
 我々は、様々な対象から「美」を経験する。詩や絵画、文学や彫刻といったものは、われわれが、それらを芸術作品として鑑賞する対象であり、「美」を経験させてくれる対象である。
 あるいは、夕日、月、満天の星空といった自然物も「美」を経験させてくれる対象でありうる。「美」を経験させてくれる様々な対象は、同時に美学的考察の対象でもある。
 美学に於いて、「美」に関連するさまざまな哲学的問題が提示され、論議されてきた。例えば、我々が鑑賞している「美」を経験させてくれる対象、つまり、美的対象とは何であるのか、あるいは、美的対象である芸術とはいったい何なのであるのか。また、我々が美的対象を鑑賞するというのは、どのような経験であるのか。あるいは、われわれは、美的対象の善し悪しを客観的に評価することは可能なのであろうか、といった様々な問題がある。
 これらの、問題に対して、美学の領域では、様々な論理や見方が検討され、論議されてきた。(続く)  〈林 晃紀〉

日常から始める哲学

2012-01-06 20:03:28 | Weblog
日常の美から始める哲学

 はじめに

 古代ギリシャの昔から哲学者達は、美学の対象になるような領域の話題と哲学の対象になるような領域の話題との関連について論じてきた。したがって、「美」を経験することを哲学的に考察することや、「美」を敬虔させてくれる対象を考察することから哲学を始めることは、決して新しいものではない。むしろ、今までも多くの哲学者が、何度も取り上げてきた話題である。しかしながら、現代に於いて、哲学を「美」から始めることには、新たな意義があると思う。それは、現代の哲学全体のあり方に一石を投じるものとなりうるものである。
 とりわけ、その意義は、「美」が身近であればあるほど、重要なものとなるように思う。
 本書の中心的な課題は、その意義を明らかにし、そして、それを読者に伝えることにある。
 本書では、特に柳宗悦(1889-1961)によって始められた民芸運動、とりわけ、彼によって蒐集された民芸品が持つ「美」を考察することを通じて、「美」から哲学を始めることの意義を考えようと思う。つまり、民芸品という具体的な作品群を哲学的、美学的考察の対象とし、そこから考察を展開、展開させるつもりである。民芸品が持っている「美」は、他の芸術作品が持っている「美」とは異なった際だった特徴をもっている。そして、民芸品が持つ「美」が我々に何を教えてくれるのかを考えてみるつもりである。柳宗悦が蒐集した民芸品の美的対象としての特徴を哲学的に考察することで、そこから得られる哲学的思索を展開するつもりである。
 まず、第1章では、「美」から哲学を始めることに関しての様々な一般的な利点を考察するつもりである。それは、「美」から哲学を始めることが、哲学に於ける有用な方法論であると言うことを述べるつもりである。そして、民芸品を取り上げることが、なぜ「美」から哲学を始めることにとって、とりわけ有用であるかを論じるつもりである。
 第2章では、民芸品の持つ「美」の特徴を際だたせるために、西洋の近代絵画との比較をするつもりである。そのためにまず、西洋近代を最もよく体現している哲学者、デカルトとカントの思想を取り上げる。この章の目的は、デカルトとカントに関して一定の解釈をあたえる事によって、二人の哲学者の全体像を明らかにすることでない。
 むしろ、近代絵画に背景になっている彼らの思想の影響を明らかにすることである。したがって、哲学解釈としては、二人の哲学者のある一面のみを語るにすぎない。私の目的は、二人の哲学者の思想の背景に共通してある、「近代」という時代における、人間のあるべき姿、つまり、理想とされる人間像を描き出すつもりである。(林 晃紀)