神父の放言

言いっぱなし。そんな風に気楽に語りたいもんじゃ。

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母なる教会ー聖ピオ10世会について

2012-11-17 | 運動・団体
ある方から、聖ピオ10世会について質問を受けた。
私自身その会についてよく知っているわけではないが、いくらか調べて、その方の求めに応じ、感想を書こうと思う。

すでにコメント欄で、私の感想を書かせていただいたが、少し調べた上で、重複するとは思うが、改めて書かせていただく。

聖ピオ10世会の今の立場は、「公認されていないカトリック団体」ということだが、それが一番簡潔な表現だと思う。

会として教会から破門されたことはない。ただし、4名を無断で司教叙階した時点で、その4名の司教が破門を受けている。(その後2009年に解除)

伝統主義であること自体は問題ないと思うが(教皇ヨハネ・パウロ2世ご自身も、伝統回帰の教皇と言われていた)第2バチカン公会議を否定する立場は、今のカトリック教会とは相容れない。

諸宗教対話、エキュメニズム、典礼改革、その他、今の教会とは反対の立場を取っているようだ。アシジでの諸宗教平和祈祷集会のときには、反対メッセージを送ったらしい。

諸宗教対話とエキュメニズムになぜ反対するかというと、相対主義に陥る、という理由による。つまり、カトリックこそ唯一まことの神の教会であるのに、あたかも他の宗教や宗派でもよいというような印象を与えるということ。

その他、伝統に反するあらゆる進歩的立場や思想に反対しているように見える。

さて最近のカトリック新聞にもまた、聖ピオ10世会の記事が出た。教皇はこの会との一致のためにとても骨折られている様子だ。

この会が無断の司教叙階をしたときヨハネ・パウロ2世は『エクレジア・デイ』という警告の文書を発布した。嘆きに満ちた文書だ。再三この会に対して教皇庁は譲歩を進めてきたのに、このような暴挙に出たことを嘆いておられる。

しかし教皇は単に断罪をするだけでなく、聖ピオ10世会との一致をなおも願って「エクレジア・デイ委員会」を発足させた。涙ぐましい努力だと思う。「めん鳥がひなを集めるように」(マタイ23:37)教会はおこなっているのだ。

かつては強い教理省長官として恐れられたラッティンガー枢機卿は、今は父なる教皇となって、この会をひたすら招いている。私はかつての戦いの教会の姿とはいくぶん異なった「母なる教会」の姿を見る。これが本来の教会だ。

聖ピオ10世会について私に質問なさった方は良く調べておられるので、ご自分の取るべき立場はすでにご自分の中でもっておられるかもしれない。迷っておられるならば、この会と多少距離を持たれたらいいと思う。しかしなおも魅力を感じておられるなら良いと思われるところを取られると良いだろう。ただし、第2バチカン公会議に反するところ、また諸教皇を否定するところは賛同すべきではない。

諸宗教対話にも正しいものと間違ったものがあり、エキュメニズムにも正しいものと間違ったものがある。間違ったものに対してはバチカン自身が戦っている。また典礼の間違った動きに対しても戦っているように見える。それはバチカンから出される諸文書によって分かる。

そのように、正しいものと間違ったものをいっしょくたに排斥するのではなく、識別した上で間違ったほうを排斥するというのなら分かる。それならばバチカンの今の立場だ。危険や逸脱が予想されるということは、あらゆる改革に付き物だ。

もし諸宗教対話に反対というなら、マザー・テレサが死者の信仰を尊重して、それぞれの宗教の様式で葬式をしたことに対してはどのように評価するのだろうか。誰に対してもカトリック形式のみで葬式をしなかったことに反対するのだろうか。

諸宗教を尊重したマザー・テレサは、逆説的のようだが、私は最大のカトリック宣教者であったと思っている。彼女がきっかけでカトリックになった人が世界で一番多いのではなかろうか。

彼女はカトリックが最高の教えだと信じていただろう。しかしそれぞれの死者の信仰を尊重しただけだ。それでカトリックの唯一性が損なわれるというわけではない。このあたりは正しい諸宗教神学がなければ識別が難しいかもしれない。彼女は正しい諸宗教対話の精神を理解していたと思う。

聖ピオ10世会についてはあまり否定的なことは言いたくない。今までさんざん言われてきたことだろう。ただ、カトリック教会が和解を求め、努力している団体であるということだ。またピオ10世会の方としてもそうだ。その努力と祈りが実ることだけを願いたい。そして、教会が聖ピオ10世会に対して示している配慮を喜びたいと思っている。

聖ピオ10世会がカトリック教会の危機を感じ、批判を強めている気持ちは理解できないではない。私も眉をひそめたくなるような、司祭たちの言動は少なくない。そして教会の教えもあいまいに伝えられ、教えるべきことをはっきりと教えなくなった傾向もある。これら全ての動きが今の教会を作ったのだと批判したくもなろう。

しかし原因は第2バチカン公会議だけではない。それならば、他の伝統的諸宗教でもなぜ同じように信者離れが進んでいるのか。近現代の趨勢も考慮しなければならない。

現代は難しい時代なのだと思う。その中で教会の舵取りをすることは大変なことだ。教会は最大限の努力をしているのだと思う。私たち司祭や信徒もその困難な挑戦を引き受け、遂行しなければならない。

聖ピオ10世会が早くカトリック教会公認の団体となり、教会内の力となることを願いたい。双方の努力が必要だ。属人区でもいいと思う。現代のカトリック教会においてよき存在となることを願う。
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6 コメント

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Unknown (一カトリック)
2012-11-18 12:54:47
その素晴らしい第二バチカン公会議では、何がどうよく変わったのでしょうか?

世界各国でバチカンの主張する「宗教の自由」の為に、なんと教皇庁の要請で、世界中の国々でカトリックが国教から外されてしまったり、カトリックにとって自殺行為的な改革、という評価もよく聞きます。
洗礼は無駄に引き延ばすようになり、求道者の中には脱落者続出ですし、公会議後の改革による悪い結果は枚挙に暇がないですが。

そこで、実から木を判断、とする人達も多いです。
一カトリックさま (放言神父)
2012-11-21 09:34:06
一カトリック様、

第2バチカン公会議を機にいろいろなものが変わりました。いろいろな悪い結果が目に付くのは仕方がないでしょう。

「洗礼は無駄に引き延ばすようになり、求道者の中には脱落者続出ですし」とありますが、これは第2バチカン公会議が直接の原因なのでしょうか。いろいろな理由が考えられることと思います。

宗教離れはカトリックに限らず世界的な現象です。何が第2バチカン公会議の結果なのかを見極めることは難しいのではないかと思います。

公会議文書はだいたいは読みましたが、私は悪弊の直接的な原因は公会議そのものではなく、その周辺的事情であると思っております。
神父様へ (テレジア)
2012-11-22 00:27:04
神父様、こんにちは。

この度は、聖ピオ十世会に関して、均衡のとれた思慮深いご意見を掲載下さり、まことにありがとうございました。

前回の記事、「ブログ、コメントでの悪口も罪」ということとも重なりますが、同会について、ネット上の無記名での誹謗中傷、罵詈雑言が多く見受けられ、同じカトリック者として、残念な思いでおりました。

意見や立場が違っていても、礼節を欠かない冷静な対話というのは可能なはずですし、カトリック者ならばなおさらだと思うのです。

この記事を読み、少し安心いたしました。感謝します。
テレジア様 (放言神父)
2012-11-22 09:51:30
テレジア様

コメントありがとうございます。

そのように受け取ってくださり、嬉しく思います。
Unknown (Unknown)
2012-11-23 10:03:34
聖ピオ10世会(SSPX)についてこんな詳しく知らせているサイトもあります。
http://sspxkorea.org/board/board_view.html?config_id=5147&board_data_id=409931&idx=92&num=092&page=3&s_word=&s_title=on
Unknownさま (放言神父)
2012-11-26 09:36:59
リンク先の記事を読ませていただきました。

内容が本当のことであれば大変残念なことですね。