百休庵便り

市井の民にて畏れ多くも百休と称せし者ここにありて稀に浮びくる些細浮薄なる思ひ浅学非才不届千万支離滅裂顧みず吐露するもの也

サマータイム(1)(2) again ~ 平成22(2010).6.18&19 ブログ の改訂再投稿です

2017-07-15 14:51:53 | 日記
 「夏の歌の中で アナタの好きな曲、5つ挙げるとなれば?」と問われたら、オイラは迷うことなく、次の歌を挙げます。「夏は来ぬ」「海」「われは海の子」「夏の思い出」「サマータイム」。

古くからの日本の夏の きめ細かな情緒を 幾重にも幾重にも織り込んでる「夏は来ぬ」、「海」「われは海の子」は 小学生の折の 本島での臨海学校や塩飽諸島巡りで唄った想い出 および 傍にある訳でない海への憧憬、「夏の思い出」は 女性的で洗練された都会人的な夏への思慕、「サマータイム」は 官能的かつ本能的な夏への 疼きにも似た感傷の癒し とでも申しましょうか、とにかく オイラは、これら五つの夏の歌が 大好きであります。

このうち「サマータイム」につきましては、約7年前、2回に分け投稿済でありますが、分けてますと、使い勝手が非常に悪く、まして脳廃流爺(のうすたるじじい)に成り果ててるオイラにとりましては、当該ブログは ノツボに落ちてるような感じを受けてまして、特に新聞記事に出ている「もず唱平」さんの訳詞が素晴らしいので、折に触れ 見たくなってきたりしても、何かバリアを感じ、二の足を踏んでしまうのです。そこで、一つに纏めてしまいたいと、で 折角やるなら 写真も撮り直したらどうかということで、実行に移した次第です。このように、ほぼ焼き直しの投稿でございますが、ご覧いただけますと 幸いに存じます。ただ、ほぼ1ヶ月前という季節感を お持ちいただく必要 ございますが。 



 田植えが遅い このあたりにしても、半分ほどは終わってまして、一昨日には 我が家と道を挟んだ田圃にも、水に流れてしまいそうな か細い早苗が そよぐようになりました。田植えが終わりますと真夏の到来・・・・今日は典型的な梅雨日和でして、何か 来週もずっと続くようですが、昨日おとといは、真夏と変わらぬ天気でありました。

真夏になりますと といいますか、月日の流れるに沿い 生じる、自然の、その折々の有様に 向かい合えるということは、生きてゆく上でのかなり大きな楽しみでして、それを、その季節を謳った お気に入りの詩歌とともに味わうなんてことは、その総てに、おそらくは世界一でありましょう、高度に恵まれた日本人であるがこそ味わえる 最高の贅 と言えるのではないだろうかと、こんなことが 齢を重ねる毎、ことさら強く思われてくるのであります。

真夏を前にし味わう歌としましたら、芳賀徹さんや中西進さんや大岡信さんのような方ですと、古今の高尚なる名作や、クラシックとかに相成るのでありましょうが、老生の場合、「われは海の子」「少年時代」「サマータイム」がその代表格で、これらを必ず聴くのでありますが、今年は 格別の贅沢をしているのです。

と申しますのも、【サマータイム】は 例年、サム・テーラーさんのテナーサックス版を聴いているのですが、この楽曲は そもそもが 美しい子守唄でして、1935年、ジョージ・ガーシュインさんがフォーク・オペラ「ポーギーとベス」のために作った歌であることからして、ぜひとも本来の歌詞付きの楽曲を聴きたいものだと、また、あと何年 この歌を楽しめるのだろうかと思われてきたこともあり、思い切って、新たに CDを 手に入れたのであります。





 上の写真は H18.3.30付け 産経新聞の切り抜きでありますが、この記事を読むまでは、恥ずかしながら、【サマータイム】は、サム・テーラーさんのテナーサックスが、キューンキューンと、あまりに魂を揺さぶる官能的なものですから、きっとこれは、黒人の貧しい娼婦を主人公に据えた 哀しい切ない物語ではないだろうか、という認識であったのです。



ところが、この もず唱平さんの 名訳詩 にありますような、子守唄だったのです。

           SUMMER TIME   ( もず唱平さん訳 )

           夏は暮らしやすくていいね
           魚は跳ねている 綿も育った
           お前の義父は金持ちで
           お袋さんは器量よしだ
           だからいい子でいるんだよ
           泣いちゃいけない 泣くんじゃないよ
               
で、歌唱つきのサマータイムも聞きたいと思うようになった次第でして、それが やっと今回 実現したということであります。

このCDは、14組の 歴史的な 飛びっきりのアーティストさん によるところの サマータイムの オンパレード でして、通常 連続して 14曲も同じ曲がかかると、必ず飽きてきますが、そこは名曲たる所以、全く違って、ちっとも飽きないのであります。この点、絵画も まったく同じではないかと。毎日毎日眺めて飽きない絵こそ、名画と言えるものでしょう。ところで、自身の絵も 毎日眺めて飽きないのですが、自画自賛 という熟語すら 固定化してしまっている現状 鑑みますと、これだけは 例外かもしれません。

話題は逸れてしまいましたが、でも、でも・・・であります。歌詞はこうなんだよ と思っていても、英語を からっきし理解しようと思わない愚生だからでしょうか、やはり 当初抱いたイメージから、どうしても脱し切らないのです。ですから、これは子守唄ではないのではないか と、今は 思っています。子供に言っている振りして、実は自分自身に聞かせてるのではないかと。実のところ 子守唄とは、子守りする人 その人を慰める唱(うた)と捉えるほうが、妥当ではないでしょうか。だって、子守りされる幼な子は、意味なんか到底 分かろうはずはなく、歌によるところの 感傷に耽ることができるのは、唄う人自身に ほかならないのですから。
 
  < 補 足 > H29.7.19 記
 文中記載の 「海」 という歌は、文部省唱歌 ♫ まつばらとおく きゆるところ・・・♫ という歌のことでして、♫ うみはひろいな おおきいな・・・♫ という歌のタイトルは、ひらがなの 「うみ」 であります。念の為。
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