百休庵便り

市井の民にて畏れ多くも百休と称せし者ここにありて稀に浮びくる些細浮薄なる思ひ浅学非才不届千万支離滅裂顧みず吐露するもの也

H28.7.3「漱石さんの後ろに上田万年さんがいた、やはり」追補再投稿 ~ H29.5.14 NHK「歴史秘話ヒストリア」で放送されました

2017-05-15 16:29:36 | 日記
 当稿は H28.7.3付け「漱石さんの後ろに上田万年さんがいた、やはり」というブログの補追版であります。と申しますのも、H29.5.14 0:05~ NHK「歴史秘話ヒストリア」で、そのものズバリと言っていい内容の放送があったのです。まずは、頭書ブログをコピペするといたします。

 老生は漱石さんの小説を読むのは好きです。明治の最高の知識人の考えに触れるのと、それに何と言っても、語彙がとてつもなく豊富ですから、巻末の解説をめくりめくりしながらとか、電子辞書をたたきながら読まなくてはなりませんが、それもまた 味のあるコトバと遭遇できる楽しみとなってくれますからして、とても楽しく嬉しく 感じられるのです。

でもいつも ある疑問を抱えながら 読んでいました。漱石さんは 明治元年の 1年前 慶応3年に生まれておられますから、末期とはいえ江戸時代生まれです。ですから漱石さんを育んだ環境というものは、先生は 武家時代の香りをぷんぷん放つ方々ばかりだったろうし、学んだ書物はといえば、文語調や漢文調で書かれていた と考えられますに、漱石さんが著わされた文章というもの、現代文と寸分違わないのであります。以後の国語が、漱石さんに 右へ習えした というのでしょうか。

この疑問が H28.5.9 一気に解けたのであります。当日の産経新聞に、山口謡司 大東文化大准教授さんの著書 集英社インターナショナルさん発行「日本語を作った男 上田万年とその時代」について解説した記事が載ったのです。




そうか、この方が いたんや。上田万年さんが おられたんや、漱石さんのバックに。じゃから 日本語が このような形に残ったんや。なんて素晴らしいことをして下さったんやろう。どれほど感謝しても し尽くせないです。ほんとうに ありがとうございます であります。また このことを明らかにして下さった 山口先生、記事にして下さった 村島有紀さんにも、謹んで厚く御礼申し上げます。


 前回分は以上であります。では以下に追加いたします。
                        最初は NHKさんで放送された 当該タイトル画面

                          番組主人公の 言語学者 上田万年先生 です

                番組内で説明されている 山口謡司 大東文化大学准教授さん



                                    山手コトバを標準とすることに

                万年先生自らグリム童話を翻訳し標準語の普及に努められた

                              決定打は漱石先生のベストセラー小説


万年先生を始めとする当時の関係各位の諸先生方には、これ以上ない方向付けをいただいたようであります。ここに、心から感謝申し上げたく存じます。本当に ありがとうございました。
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