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『Dっち』番外編


その5ーハルカのこと(3)
←ハルカのこと(1) ←ハルカのこと(2)
ハルカはクラスの中で孤立するという程でもなかったけれど、そんな風にちょっと風変わりなところがあったので、気軽に話をするような友達は限られていた。唯一彼女が心を許した相手は同じクラスの知的障害があるMちゃんだった。Mちゃんも他の子に比べ随分幼いところのある子だったので、ハルカ以外に親しい友達はいなかった。
ある日の昼休み、ハルカはMちゃんと一緒に(Mちゃんはハルカに半ば無理矢理引っ張られてきた)、いきなり職員室にやってきて、先生たちが居並ぶ中で「これから、二人で漫才やります」と言った。
それで、ハルカはMちゃんに向いて「隣の家に塀ができたんだって?」と言った。Mちゃんはただただ恥ずかしそうにもじもじしている。ハルカとしては、ここでMちゃんの「へー?」というリアクションが欲しいわけだ。
たぶん、それなりに事前打ち合わせをしていたようで、ハルカは「ここで、へー? って言うの」とぼそぼそとMちゃんに言った。それでも、Mちゃんは、そばで恥ずかしそうにただもじもじしているだけ。
どちらがツッコミなのかボケなのか判然としない(二人とも「天然系」であることは確かだが)この漫才は、結局、ぐずぐずになってしまうのだが、なんともシュールな味わいがあって面白かった。
この不思議な漫才はしばらくの間続いて、最初は「この子たちは何をやりだすんだ」とあっけに取られていたセンセーたちだったが、その登場の仕方――Mちゃんの手を引っ張りながら、いきなり職員室のドアをばーんと開けての登場――が面白くて、そのうち、「そろそろ、ハルカが来ますね」とその「漫才タイム」を心待ちにするようになった。
いつも無理矢理登場させられるMちゃんも、実はそんなに嫌でもなかったようで、もじもじしながらもけっこう楽しそうだった。
引っ込み思案でなにしろ幼かったMちゃんにしても、ハルカには気兼ねなく接することができたようで、ハルカにからからかわれると嬉しそうにしながら「ハルカー!」と言って彼女の頭を思い切りはたくようなことがあった。
このMちゃんの強烈なマジ・ツッコミに、「Mちゃん、手加減しないとそれじゃハルカは痛いよ」と、僕などはMちゃんに言ったものだが、ハルカはいっこうに気にしておらず、そんな二人の関係はなんだか微笑ましく思えた。
ハルカとMちゃんは同い年だったが、卒業するまでハルカはMちゃんを妹のように可愛がっていた。そんなハルカをMちゃんのお母さんはありがたく思っていて、ハルカをよく家に招き、手厚くもてなしていたようだった。
卒業後、ハルカはヘルパーの資格を取って介護職の道を志した。ハルカのような子がMちゃんのことを大切にしたのはなんとなくわかるような気持ちがする。
(人物名は仮名)
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『Dっち』番外編


その5ーハルカのこと(3)
←ハルカのこと(1) ←ハルカのこと(2)
ハルカはクラスの中で孤立するという程でもなかったけれど、そんな風にちょっと風変わりなところがあったので、気軽に話をするような友達は限られていた。唯一彼女が心を許した相手は同じクラスの知的障害があるMちゃんだった。Mちゃんも他の子に比べ随分幼いところのある子だったので、ハルカ以外に親しい友達はいなかった。
ある日の昼休み、ハルカはMちゃんと一緒に(Mちゃんはハルカに半ば無理矢理引っ張られてきた)、いきなり職員室にやってきて、先生たちが居並ぶ中で「これから、二人で漫才やります」と言った。
それで、ハルカはMちゃんに向いて「隣の家に塀ができたんだって?」と言った。Mちゃんはただただ恥ずかしそうにもじもじしている。ハルカとしては、ここでMちゃんの「へー?」というリアクションが欲しいわけだ。
たぶん、それなりに事前打ち合わせをしていたようで、ハルカは「ここで、へー? って言うの」とぼそぼそとMちゃんに言った。それでも、Mちゃんは、そばで恥ずかしそうにただもじもじしているだけ。
どちらがツッコミなのかボケなのか判然としない(二人とも「天然系」であることは確かだが)この漫才は、結局、ぐずぐずになってしまうのだが、なんともシュールな味わいがあって面白かった。
この不思議な漫才はしばらくの間続いて、最初は「この子たちは何をやりだすんだ」とあっけに取られていたセンセーたちだったが、その登場の仕方――Mちゃんの手を引っ張りながら、いきなり職員室のドアをばーんと開けての登場――が面白くて、そのうち、「そろそろ、ハルカが来ますね」とその「漫才タイム」を心待ちにするようになった。
いつも無理矢理登場させられるMちゃんも、実はそんなに嫌でもなかったようで、もじもじしながらもけっこう楽しそうだった。
引っ込み思案でなにしろ幼かったMちゃんにしても、ハルカには気兼ねなく接することができたようで、ハルカにからからかわれると嬉しそうにしながら「ハルカー!」と言って彼女の頭を思い切りはたくようなことがあった。
このMちゃんの強烈なマジ・ツッコミに、「Mちゃん、手加減しないとそれじゃハルカは痛いよ」と、僕などはMちゃんに言ったものだが、ハルカはいっこうに気にしておらず、そんな二人の関係はなんだか微笑ましく思えた。
ハルカとMちゃんは同い年だったが、卒業するまでハルカはMちゃんを妹のように可愛がっていた。そんなハルカをMちゃんのお母さんはありがたく思っていて、ハルカをよく家に招き、手厚くもてなしていたようだった。
卒業後、ハルカはヘルパーの資格を取って介護職の道を志した。ハルカのような子がMちゃんのことを大切にしたのはなんとなくわかるような気持ちがする。
(人物名は仮名)
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『Dっち』番外編


その5ーハルカのこと(2)
←ハルカのこと(1) ハルカのこと(3)→
ハルカの風変わりなところについて他に覚えていることに、ハルカの「カエル手づかみ逸話」がある。彼女がカエルを手で掴んで他の子に見せたというだけの話だが、そのカエルが半端じゃない大きさだったのだ。
A学院では、近隣の施設を借りてのスポーツ大会を定期的に行っていたが、A学院からバスで30分あまりのA市校外、まだまだ牧歌的な環境にある広々としたグラウンドに行ったときのこと。
生徒たちはそれぞれ適当に野球やサッカーに汗を流し、あまりスポーツが好きではない生徒(ハルカもそうだった)はそれなりに広々としたグラウンドを散策するような、まあ、ゆるめのスポーツ大会であったが、お昼時、みんながグラウンド片隅の芝生に座ってお弁当を広げていたとき、ハルカがなにやら両手に抱え現れた。
それを見た生徒たちの悲鳴が聞こえ、なんだなんだと僕もハルカのそばに行ってみた。
ハルカが抱えていたのは、それはそれは大きなヒキガエルで、軽く生後三ヶ月の子猫くらいの大きさはありましたね。後にも先にもあの大きさのカエルは見たことがない。それで、可笑しかったのは、ハルカが僕を含め生徒たちにそのカエルを見せているとき、カエルがじょーっと大量のおしっこをしたことだった。カエルに小便ではなく、カエルが小便。
同僚、ウー先生は大のカエル嫌いで、そのときのウー先生のパニック振りも今となれば懐かしい思い出。気がつけば、ウー先生は現場からもの凄い勢いで逃走し、広々としたグラウンドの遙か彼方の点景となっていた。
ハルカは特に笑うでもなくごく無表情にその巨大なカエルを抱き抱え、集団を遠巻きにしながらグラウンド隅にそのカエルを放した。
その後、ハルカのお母さんと面談をする機会があり、
「ハルカちゃん、ものすごく大きなカエルを捕まえて、全然平気で抱きかかえてましたよ」と伝えたら、お母さんは
「ああ、ハルカは小さい頃から動物なんかに触ったりするのは平気でした。私もカエルは好きなんです。ガマガエルでも平気」と笑った。
この母にしてこの子あり、ということか。(続く)
(人物名は仮名)
←ハルカのこと(1) ハルカのこと(3)→
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『Dっち』番外編


その5ーハルカのこと(2)
←ハルカのこと(1) ハルカのこと(3)→
ハルカの風変わりなところについて他に覚えていることに、ハルカの「カエル手づかみ逸話」がある。彼女がカエルを手で掴んで他の子に見せたというだけの話だが、そのカエルが半端じゃない大きさだったのだ。
A学院では、近隣の施設を借りてのスポーツ大会を定期的に行っていたが、A学院からバスで30分あまりのA市校外、まだまだ牧歌的な環境にある広々としたグラウンドに行ったときのこと。
生徒たちはそれぞれ適当に野球やサッカーに汗を流し、あまりスポーツが好きではない生徒(ハルカもそうだった)はそれなりに広々としたグラウンドを散策するような、まあ、ゆるめのスポーツ大会であったが、お昼時、みんながグラウンド片隅の芝生に座ってお弁当を広げていたとき、ハルカがなにやら両手に抱え現れた。
それを見た生徒たちの悲鳴が聞こえ、なんだなんだと僕もハルカのそばに行ってみた。
ハルカが抱えていたのは、それはそれは大きなヒキガエルで、軽く生後三ヶ月の子猫くらいの大きさはありましたね。後にも先にもあの大きさのカエルは見たことがない。それで、可笑しかったのは、ハルカが僕を含め生徒たちにそのカエルを見せているとき、カエルがじょーっと大量のおしっこをしたことだった。カエルに小便ではなく、カエルが小便。
同僚、ウー先生は大のカエル嫌いで、そのときのウー先生のパニック振りも今となれば懐かしい思い出。気がつけば、ウー先生は現場からもの凄い勢いで逃走し、広々としたグラウンドの遙か彼方の点景となっていた。
ハルカは特に笑うでもなくごく無表情にその巨大なカエルを抱き抱え、集団を遠巻きにしながらグラウンド隅にそのカエルを放した。
その後、ハルカのお母さんと面談をする機会があり、
「ハルカちゃん、ものすごく大きなカエルを捕まえて、全然平気で抱きかかえてましたよ」と伝えたら、お母さんは
「ああ、ハルカは小さい頃から動物なんかに触ったりするのは平気でした。私もカエルは好きなんです。ガマガエルでも平気」と笑った。
この母にしてこの子あり、ということか。(続く)
(人物名は仮名)
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その5ーハルカのこと(1)
ハルカのこと(2)→
ハルカはちょっと風変わりな女の子だった。風変わりと言えば、A学院に通ってきた生徒たちはみな一様に風変わりではあったと言えるが、その中でも「風変わり度」がやや高めの生徒だった。
A学院での成績は悪くはなかった。特に国語力はまずまず高い方だったと思うが、数学系は苦手だったように記憶する。学習能力の得手不得手が目立ち、いわゆるLD傾向があったと思う。
基本的に私服で通学していた生徒の中で、入学したときからずっと紺色のブレザーとスカート、夏は白いブラウスというフツーの高校生のような服装を通し、それはきっと彼女の中で自分は他のフツーの高校生と同じだ、という意識があったからだと思う。
だから、僕の記憶の中のハルカはいつも紺色のブレザーを着ている。そしていつもなかなか目を合わそうとしないうつむき加減の視線。でも、決して反抗的というのではない、基本的には穏やかで大人しい生徒だった。
普段はほとんど口も利かず、表情にも乏しい子だったが、何かの弾みに面白い行動を取ることがあった。ぼそぼそっとギャグめいたことを言ってクラスのウケを狙うようなことをしたが、大体の場合、タイミングを外すのであまりウケることはなかった。
他の施設を借りての一泊二日の合宿授業の際、薪で火を起こしての飯ごう炊さんをしたとき、飯ごうに付着した炭を新聞紙で取り除く過程があるが、何を思ったか、ハルカはその炭を自分の顔に塗りたくって僕らを驚かせたことがあった。
かつてアメリカで白人のボードビリアンが顔を黒く塗り、黒人のふりをして歌い踊るミンストレル・ショーというショー形式があったが、そんなふうに半端じゃなく、ハルカは炭で顔をまっ黒にしてしまった。
彼女としてはギャグのつもりだったと思うが、周囲はあっけに取られ、「ハルカ、何やってんだ!?」と僕もいささか慌ててしまった。茶目っ気というにはちょっと外れているような、リアクションに困る類のギャグだった。
「ハルカ! 早く顔を洗ってきなさい!」とウー先生にもキツく言われ、本人は笑ってもらえると思ってやったことが思惑通りにいかず怪訝な表情をしていた。もっともあまりにまっ黒な顔をしていたので微妙な彼女の表情は見て取れなかったが。(続く)
(人物名は仮名)
ハルカのこと(2)→
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その5ーハルカのこと(1)
ハルカのこと(2)→
ハルカはちょっと風変わりな女の子だった。風変わりと言えば、A学院に通ってきた生徒たちはみな一様に風変わりではあったと言えるが、その中でも「風変わり度」がやや高めの生徒だった。
A学院での成績は悪くはなかった。特に国語力はまずまず高い方だったと思うが、数学系は苦手だったように記憶する。学習能力の得手不得手が目立ち、いわゆるLD傾向があったと思う。
基本的に私服で通学していた生徒の中で、入学したときからずっと紺色のブレザーとスカート、夏は白いブラウスというフツーの高校生のような服装を通し、それはきっと彼女の中で自分は他のフツーの高校生と同じだ、という意識があったからだと思う。
だから、僕の記憶の中のハルカはいつも紺色のブレザーを着ている。そしていつもなかなか目を合わそうとしないうつむき加減の視線。でも、決して反抗的というのではない、基本的には穏やかで大人しい生徒だった。
普段はほとんど口も利かず、表情にも乏しい子だったが、何かの弾みに面白い行動を取ることがあった。ぼそぼそっとギャグめいたことを言ってクラスのウケを狙うようなことをしたが、大体の場合、タイミングを外すのであまりウケることはなかった。
他の施設を借りての一泊二日の合宿授業の際、薪で火を起こしての飯ごう炊さんをしたとき、飯ごうに付着した炭を新聞紙で取り除く過程があるが、何を思ったか、ハルカはその炭を自分の顔に塗りたくって僕らを驚かせたことがあった。
かつてアメリカで白人のボードビリアンが顔を黒く塗り、黒人のふりをして歌い踊るミンストレル・ショーというショー形式があったが、そんなふうに半端じゃなく、ハルカは炭で顔をまっ黒にしてしまった。
彼女としてはギャグのつもりだったと思うが、周囲はあっけに取られ、「ハルカ、何やってんだ!?」と僕もいささか慌ててしまった。茶目っ気というにはちょっと外れているような、リアクションに困る類のギャグだった。
「ハルカ! 早く顔を洗ってきなさい!」とウー先生にもキツく言われ、本人は笑ってもらえると思ってやったことが思惑通りにいかず怪訝な表情をしていた。もっともあまりにまっ黒な顔をしていたので微妙な彼女の表情は見て取れなかったが。(続く)
(人物名は仮名)
ハルカのこと(2)→
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『Dっち』番外編


その4ーゴトー君のこと(2)
←ゴトー君のこと(1)
ゴトー君は三年生になり、ガッコウの企業実習カリキュラムにも積極的に参加した。
清掃業者やクリーニング業者などが主な実習受け入れ先だったが、どこでも真面目に現場実習をこなした。仕事スキル自体の評価は問題なかったが、現場担当者によると、「ちょっと融通が利かないところがありますねえ」ということが往々にしてあったようだ。
仕事の指示を与えると、ときどきちょっと「ずれた」ことをするらしい。「バケツに水を汲んできて」と言われると、バケツになみなみ水を溜め、ぽたぽた床に水をこぼしながら運んできた、であるとか、「ぞうきん、洗ってきて」と言われるとずっと戻ってこないので、担当者が洗い場まで行くと、一枚のぞうきんを15分かけて洗っていたとか。
それで担当者が「おまえ、ぞうきん洗うのにどんだけかかってるんだ!」と言うと、彼は「そんなこと言いますけど、なかなか汚れが落ちないんです」と、不服そうに答えたという。
「それに、どうもね、現場のおばちゃん達にウケが悪いっていうか……」
担当者の言わんとすることは大体わかる。ゴトー君は思ったことがつい口に出ることがあるから、三年間関わってきた僕も何度となく彼の物言いにはカチンとくることがあった。
「はい、よくわかります。彼はアスペルガーといって、コミュニケーションが上手く取れない障害っていうのか、そういうところがあるんです。ああ、勉強はそこそこできるんですよ」
僕は担当者に言ってみるが、担当者は「アスペ? でも見たとこ普通じゃない。なんかあれかな、親のしつけが上手くいってないのかな」などと理解を促すには難しい感じだった。
職安を通じた企業面接にも何度か同行したが、挨拶や言葉遣いは「特訓」の成果があって無難にこなしたが、面接官に「学校生活は楽しいですか?」と聞かれ、「いえ、別に」とゴトー君は答えた。
それで、「友達はいないの?」と面接官が続けると、「いないです」ときっぱり彼は答え、「僕、中学のとき、イジメに遭って長い間、学校を休んでたんです」と言わないでいいようなこともゴトー君は面接官に言った。
卒業時に数社受けた就職活動はことごとく成果を見ることはなかったが、しばらくして清掃会社に採用になったと連絡を受けた。
僕は彼からあまり好かれていなかったと思っていたが、毎年毎年、丁寧に書かれた年賀状が彼から届く。年賀状の末尾には四角っぽい彼らしい細かな字で、いつも「仕事、頑張ってます」と書かれてあった。
一度、彼の将来の夢を聞いたことがあった。
「おもちゃのバンダイに社員として入りたい」というのが彼の夢だった。
「ああ、そう。そうなるといいね」と僕は彼を励ましたが、それはほとんど難しいと思われ、「お為ごかし」というのではないけれど、自分の偽善ぶりに心がちくりと痛んだ。
(人物名は仮名)
←ゴトー君のこと(1)
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『Dっち』番外編


その4ーゴトー君のこと(2)
←ゴトー君のこと(1)
ゴトー君は三年生になり、ガッコウの企業実習カリキュラムにも積極的に参加した。
清掃業者やクリーニング業者などが主な実習受け入れ先だったが、どこでも真面目に現場実習をこなした。仕事スキル自体の評価は問題なかったが、現場担当者によると、「ちょっと融通が利かないところがありますねえ」ということが往々にしてあったようだ。
仕事の指示を与えると、ときどきちょっと「ずれた」ことをするらしい。「バケツに水を汲んできて」と言われると、バケツになみなみ水を溜め、ぽたぽた床に水をこぼしながら運んできた、であるとか、「ぞうきん、洗ってきて」と言われるとずっと戻ってこないので、担当者が洗い場まで行くと、一枚のぞうきんを15分かけて洗っていたとか。
それで担当者が「おまえ、ぞうきん洗うのにどんだけかかってるんだ!」と言うと、彼は「そんなこと言いますけど、なかなか汚れが落ちないんです」と、不服そうに答えたという。
「それに、どうもね、現場のおばちゃん達にウケが悪いっていうか……」
担当者の言わんとすることは大体わかる。ゴトー君は思ったことがつい口に出ることがあるから、三年間関わってきた僕も何度となく彼の物言いにはカチンとくることがあった。
「はい、よくわかります。彼はアスペルガーといって、コミュニケーションが上手く取れない障害っていうのか、そういうところがあるんです。ああ、勉強はそこそこできるんですよ」
僕は担当者に言ってみるが、担当者は「アスペ? でも見たとこ普通じゃない。なんかあれかな、親のしつけが上手くいってないのかな」などと理解を促すには難しい感じだった。
職安を通じた企業面接にも何度か同行したが、挨拶や言葉遣いは「特訓」の成果があって無難にこなしたが、面接官に「学校生活は楽しいですか?」と聞かれ、「いえ、別に」とゴトー君は答えた。
それで、「友達はいないの?」と面接官が続けると、「いないです」ときっぱり彼は答え、「僕、中学のとき、イジメに遭って長い間、学校を休んでたんです」と言わないでいいようなこともゴトー君は面接官に言った。
卒業時に数社受けた就職活動はことごとく成果を見ることはなかったが、しばらくして清掃会社に採用になったと連絡を受けた。
僕は彼からあまり好かれていなかったと思っていたが、毎年毎年、丁寧に書かれた年賀状が彼から届く。年賀状の末尾には四角っぽい彼らしい細かな字で、いつも「仕事、頑張ってます」と書かれてあった。
一度、彼の将来の夢を聞いたことがあった。
「おもちゃのバンダイに社員として入りたい」というのが彼の夢だった。
「ああ、そう。そうなるといいね」と僕は彼を励ましたが、それはほとんど難しいと思われ、「お為ごかし」というのではないけれど、自分の偽善ぶりに心がちくりと痛んだ。
(人物名は仮名)
←ゴトー君のこと(1)
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その4ーゴトー君のこと(1)
ゴトー君のこと(2)→
ゴトー君はスポーツ大会のとき、バドミントンのセットを持って来た。二本のラケットとシャトルと。
そして体育館の隅っこで所在なげに立っていた。
クラスのみんなは思い思いにバレーボールをしたり、卓球をしたり、楽しげにスポーツに興じていた。
「ゴトー君、先生とバドミントンやろうか」と僕は彼に言ったが、
「いや、先生とはいいです」とつれなく断られた。
「ねえ、誰かゴトー君とバドミントン、やんない?」
僕は周囲にいた生徒に呼びかけたが、誰もゴトー君とバドミントンはやりたくないようだった。
「先生、いいよ、そんなこと言わなくても」
と、ゴトー君はちょっと怒ったような口調で言った。
「ああ、そう」
僕はそれ以上何も言わず、彼のそばから離れた。
僕もちょっと彼の言葉にカチッときたが、彼にとってはお節介だったのかも知れない。
そのうち、ゴトー君は両手にバドミントンのラケットを持ち、一人でバドミントンを始めた。
右手に持ったラケットでポーンとシャトルを打ち上げ、それを左手に握ったラケットで打ち返す。
「ひとりバドミントン」。
なかなかお上手で、けっこう長い間、それを続けることができた。
彼はニコニコと笑いながら、それは楽しそうに「ひとりバドミントン」を続けた。
「ほーい、ほーい」と一人でかけ声をかけながら。
「おっ、ゴトー君、上手いねえ。一人でもバドミントン、楽しめるんだ」
僕が声をかけると今度は嬉しそうに僕に微笑み返した。
ゴトー君は勉強もできるし、乱暴なところもないし、品行方正だし、手先も器用だし(ガッコウの壊れたラジカセを修理したこともあった)、ガンダムの絵をそれは上手に描いた。
でも、友達はいなかった。
あるとき、ガッコウにニンテンドーを持ってきて、テレビに繋ぎ、何人かの生徒と一緒にゲームをしていたが、ゴトー君は圧倒的に強いので、他の生徒は白けてしまった。
「どうだ、僕は強いだろう、エヘン」とTVアニメのセリフのような言い方をしたので、余計に他の生徒は「引いた」感じになった。
生徒たちをガッコウの近くの公園に連れて行って、ボール遊びやサッカーをやったりすることがあったが、ゴトー君はスポーツ大会のときと同じように、ひとりでサッカーボールを蹴って遊んでいた。
バドミントンの時と同じように、けっこう楽しそうだった。
僕が思うほど、彼は一人で遊ぶことを淋しいこととは思っていなかったのかも知れない。(続く)
(人物名は仮名)
ゴトー君のこと(2)→
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その4ーゴトー君のこと(1)
ゴトー君のこと(2)→
ゴトー君はスポーツ大会のとき、バドミントンのセットを持って来た。二本のラケットとシャトルと。
そして体育館の隅っこで所在なげに立っていた。
クラスのみんなは思い思いにバレーボールをしたり、卓球をしたり、楽しげにスポーツに興じていた。
「ゴトー君、先生とバドミントンやろうか」と僕は彼に言ったが、
「いや、先生とはいいです」とつれなく断られた。
「ねえ、誰かゴトー君とバドミントン、やんない?」
僕は周囲にいた生徒に呼びかけたが、誰もゴトー君とバドミントンはやりたくないようだった。
「先生、いいよ、そんなこと言わなくても」
と、ゴトー君はちょっと怒ったような口調で言った。
「ああ、そう」
僕はそれ以上何も言わず、彼のそばから離れた。
僕もちょっと彼の言葉にカチッときたが、彼にとってはお節介だったのかも知れない。
そのうち、ゴトー君は両手にバドミントンのラケットを持ち、一人でバドミントンを始めた。
右手に持ったラケットでポーンとシャトルを打ち上げ、それを左手に握ったラケットで打ち返す。
「ひとりバドミントン」。
なかなかお上手で、けっこう長い間、それを続けることができた。
彼はニコニコと笑いながら、それは楽しそうに「ひとりバドミントン」を続けた。
「ほーい、ほーい」と一人でかけ声をかけながら。
「おっ、ゴトー君、上手いねえ。一人でもバドミントン、楽しめるんだ」
僕が声をかけると今度は嬉しそうに僕に微笑み返した。
ゴトー君は勉強もできるし、乱暴なところもないし、品行方正だし、手先も器用だし(ガッコウの壊れたラジカセを修理したこともあった)、ガンダムの絵をそれは上手に描いた。
でも、友達はいなかった。
あるとき、ガッコウにニンテンドーを持ってきて、テレビに繋ぎ、何人かの生徒と一緒にゲームをしていたが、ゴトー君は圧倒的に強いので、他の生徒は白けてしまった。
「どうだ、僕は強いだろう、エヘン」とTVアニメのセリフのような言い方をしたので、余計に他の生徒は「引いた」感じになった。
生徒たちをガッコウの近くの公園に連れて行って、ボール遊びやサッカーをやったりすることがあったが、ゴトー君はスポーツ大会のときと同じように、ひとりでサッカーボールを蹴って遊んでいた。
バドミントンの時と同じように、けっこう楽しそうだった。
僕が思うほど、彼は一人で遊ぶことを淋しいこととは思っていなかったのかも知れない。(続く)
(人物名は仮名)
ゴトー君のこと(2)→
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その3ーなみちゃんのこと(4)
←なみちゃんのこと(1) ←なみちゃんのこと(2) ←なみちゃんのこと(3)
なみちゃんはおかっぱ頭でコロコロしていて、足柄山の金太郎みたいな(お年頃の女の子に「金太郎」はちょっと失礼だけど、かなり失礼か)風貌をしていたが、その金太郎に縁のある、小田原方面、大雄山というところに合宿授業で行ったときのこと。
大雄山での合宿は、駅から宿泊施設までの長い坂道を荷物を持って歩かねばならず、元気な男子生徒も音を上げるところで、やや足が悪いなみちゃんは本当に辛そうにして歩けなくなったことがあった。
僕はなみちゃんを背負ってしばらく坂道を歩くことになったが、存外彼女は重く、まだそこそこ若くて体力もあった僕も百メートルくらい移動するのが限界だった。結局、歩けなくなった彼女を、他の先生の車に乗せて宿泊施設まで連れていったように記憶するが、それも懐かしい記憶のひとつだ。
僕がなみちゃんに対して、そんな風に優しくあろうとしてきたのは、彼女がダウン症というハンディを抱えていたことが大きかったと思うが、愛嬌があるというか、彼女の屈託のない愉快な性格が好きだったことにもよる。
最初に「ラブレター」をもらってから彼女が卒業するまで、当時、週に二、三回授業を受け持つ時間講師だった僕の授業が終わるたびに、彼女は僕に手紙をくれた。いつもわざと無愛想な表情を作って、素っ気ない感じで手紙をくれた。独特のハスキーな声で、「はい、手紙」。
○ちゃんへ おはよう○ちゃん(僕をファーストネームの「ちゃん付け」で呼ぶようになっていた)
私ね 本当に愛しているのなら 抱いてくれ 好きだから抱いてくれ 私は○ちゃんのことならなんでも言ってね いちよ 全文 言ってね 本当に 愛しているなら 抱いてくれ 抱いてくれ 本当に好なら 抱いてくれ 私のこと 好きなら 愛してもいいよ!!! じゃあ CDをども(「ども」を○で囲んでいる) 本当に愛いしてもいいよ 私のことも忘れないでね 信じててね!!(な)(原文ママ)
「抱いてくれ、抱いてくれ」にはさすがに参ったが(たぶん、テレビドラマの影響だろう)、手紙末尾の「私のことも忘れないでね 信じててね!!」の部分はノートの切れ端いっぱいに大きく書かれてあった。
彼女が卒業する直前、僕は彼女に彼女が好きだった歌手のCDをプレゼントしたのだが、卒業式のとき、そのお礼のつもりでこの手紙を僕にくれたのだ。
そして、この手紙が、彼女がくれた最後の手紙となった。今でも大事に取ってあります。
(人物名は仮名)
←なみちゃんのこと(1) ←なみちゃんのこと(2) ←なみちゃんのこと(3)
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『Dっち』番外編


その3ーなみちゃんのこと(4)
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なみちゃんはおかっぱ頭でコロコロしていて、足柄山の金太郎みたいな(お年頃の女の子に「金太郎」はちょっと失礼だけど、かなり失礼か)風貌をしていたが、その金太郎に縁のある、小田原方面、大雄山というところに合宿授業で行ったときのこと。
大雄山での合宿は、駅から宿泊施設までの長い坂道を荷物を持って歩かねばならず、元気な男子生徒も音を上げるところで、やや足が悪いなみちゃんは本当に辛そうにして歩けなくなったことがあった。
僕はなみちゃんを背負ってしばらく坂道を歩くことになったが、存外彼女は重く、まだそこそこ若くて体力もあった僕も百メートルくらい移動するのが限界だった。結局、歩けなくなった彼女を、他の先生の車に乗せて宿泊施設まで連れていったように記憶するが、それも懐かしい記憶のひとつだ。
僕がなみちゃんに対して、そんな風に優しくあろうとしてきたのは、彼女がダウン症というハンディを抱えていたことが大きかったと思うが、愛嬌があるというか、彼女の屈託のない愉快な性格が好きだったことにもよる。
最初に「ラブレター」をもらってから彼女が卒業するまで、当時、週に二、三回授業を受け持つ時間講師だった僕の授業が終わるたびに、彼女は僕に手紙をくれた。いつもわざと無愛想な表情を作って、素っ気ない感じで手紙をくれた。独特のハスキーな声で、「はい、手紙」。
○ちゃんへ おはよう○ちゃん(僕をファーストネームの「ちゃん付け」で呼ぶようになっていた)
私ね 本当に愛しているのなら 抱いてくれ 好きだから抱いてくれ 私は○ちゃんのことならなんでも言ってね いちよ 全文 言ってね 本当に 愛しているなら 抱いてくれ 抱いてくれ 本当に好なら 抱いてくれ 私のこと 好きなら 愛してもいいよ!!! じゃあ CDをども(「ども」を○で囲んでいる) 本当に愛いしてもいいよ 私のことも忘れないでね 信じててね!!(な)(原文ママ)
「抱いてくれ、抱いてくれ」にはさすがに参ったが(たぶん、テレビドラマの影響だろう)、手紙末尾の「私のことも忘れないでね 信じててね!!」の部分はノートの切れ端いっぱいに大きく書かれてあった。
彼女が卒業する直前、僕は彼女に彼女が好きだった歌手のCDをプレゼントしたのだが、卒業式のとき、そのお礼のつもりでこの手紙を僕にくれたのだ。
そして、この手紙が、彼女がくれた最後の手紙となった。今でも大事に取ってあります。
(人物名は仮名)
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『Dっち』番外編


その3ーなみちゃんのこと(3)
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なみちゃんになぜか好かれてしまった僕であったが、その後、特に先生と生徒の怪しい関係に発展することなど一切なく(当たり前だけど)、恋愛系ドラマの大好きな彼女にとって、相手が誰であろうと「役になりきる」ということが重要だったように思える。
なみちゃんとしては「先生を密かに慕う女子高生」という役柄設定だったと思う。彼女は、ガッコウにいる間、授業中であるとか休み時間とかに、僕に対して特に甘えるような行動は取らなかった。どちらかと言うとつんけんしていた。だから僕も他の生徒と同じようになみちゃんに接することができた。「密かに」というところが奏功したのだろう。
なみちゃんが一年生だったあるとき、スポーツ大会か何かの行事のお昼時、彼女はお母さん手作りの弁当を食べていたんですね。美味しそうにもぐもぐと。それで、「美味しそうだなあ、その卵焼き、ちょっと頂戴」と僕が言ったところ、「しょうがないわねえ、あげる」と彼女からその卵焼きをもらったことがある。
ホントに食べたかったわけではなかったが、ついそう言ったところ、くれるというので断りづらくなり、頂いたのだった。(僕は生徒たちが弁当を食べていると、そばに行って「おいしそうだなあ、ちょっと頂戴」と言ってみたくなる。ほとんどの場合、「やーだよ」と言われるのだが、その反応が面白くて)
卵焼きをありがたく頂いて「ありがと、うん美味しい」と僕が言うと、なみちゃんは「オクさん、お弁当作ってくれないの?」と言うので、「うん、ウチのオクさん忙しいから作る暇がないんだ」とか適当なことを言ったら、「今度から、お母さんに頼んで先生の分、持ってきてあげる」となみちゃんは言った。
いやいや、そんなことをしてもらったらお母さん大変だから、いいよ、いいよ、とその時は言ったのだが、結局彼女が卒業するまでのほぼ三年間にわたって、毎回弁当の必要な行事のときには、お母さん手作りの弁当を僕のために持ってきてくれた。
なみちゃんのお母さんには、僕のためにわざわざ弁当を作ってくれることについて丁重にお断りしたのだが、お母さんは「本人がどうしてもと言うし、日頃お世話になっているから、そうさせてください」と言われ、お言葉に甘える結果となってしまったのだった。
校外行事のお昼時、なみちゃんは僕を手招きして無言で弁当を差し出した。「いつもありがとうね、お母さんにお礼を言っといて」と僕が言うと、なみちゃんは「いいの、いいの」と言いながら、なぜか恥ずかしそうにしていた。(続く)
(人物名は仮名)
その3ーなみちゃんのこと(3)
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その3ーなみちゃんのこと(3)
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なみちゃんになぜか好かれてしまった僕であったが、その後、特に先生と生徒の怪しい関係に発展することなど一切なく(当たり前だけど)、恋愛系ドラマの大好きな彼女にとって、相手が誰であろうと「役になりきる」ということが重要だったように思える。
なみちゃんとしては「先生を密かに慕う女子高生」という役柄設定だったと思う。彼女は、ガッコウにいる間、授業中であるとか休み時間とかに、僕に対して特に甘えるような行動は取らなかった。どちらかと言うとつんけんしていた。だから僕も他の生徒と同じようになみちゃんに接することができた。「密かに」というところが奏功したのだろう。
なみちゃんが一年生だったあるとき、スポーツ大会か何かの行事のお昼時、彼女はお母さん手作りの弁当を食べていたんですね。美味しそうにもぐもぐと。それで、「美味しそうだなあ、その卵焼き、ちょっと頂戴」と僕が言ったところ、「しょうがないわねえ、あげる」と彼女からその卵焼きをもらったことがある。
ホントに食べたかったわけではなかったが、ついそう言ったところ、くれるというので断りづらくなり、頂いたのだった。(僕は生徒たちが弁当を食べていると、そばに行って「おいしそうだなあ、ちょっと頂戴」と言ってみたくなる。ほとんどの場合、「やーだよ」と言われるのだが、その反応が面白くて)
卵焼きをありがたく頂いて「ありがと、うん美味しい」と僕が言うと、なみちゃんは「オクさん、お弁当作ってくれないの?」と言うので、「うん、ウチのオクさん忙しいから作る暇がないんだ」とか適当なことを言ったら、「今度から、お母さんに頼んで先生の分、持ってきてあげる」となみちゃんは言った。
いやいや、そんなことをしてもらったらお母さん大変だから、いいよ、いいよ、とその時は言ったのだが、結局彼女が卒業するまでのほぼ三年間にわたって、毎回弁当の必要な行事のときには、お母さん手作りの弁当を僕のために持ってきてくれた。
なみちゃんのお母さんには、僕のためにわざわざ弁当を作ってくれることについて丁重にお断りしたのだが、お母さんは「本人がどうしてもと言うし、日頃お世話になっているから、そうさせてください」と言われ、お言葉に甘える結果となってしまったのだった。
校外行事のお昼時、なみちゃんは僕を手招きして無言で弁当を差し出した。「いつもありがとうね、お母さんにお礼を言っといて」と僕が言うと、なみちゃんは「いいの、いいの」と言いながら、なぜか恥ずかしそうにしていた。(続く)
(人物名は仮名)
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『Dっち』番外編


その3ーなみちゃんのこと(2)
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ところで、なみちゃんは、なかなかのエンターテイナーで「役者」だった。彼女の好む役柄は「恋に遊びに積極的な二十三歳OL、ボーイフレンドは三人、本命はまだなし、結婚はまだ先かな
」といったところか。
合宿授業の自由時間中、彼女はやおら合宿所にあったピンク電話の受話器を手に取り、
「もしもし、ワ、タ、シ。ねえ、これからデートしない? うんうん、六本木でさあ、お食事しましょ」などといきなり話し出したのだ。
そのピンク電話はずっと使われてなく、回線を断っていたものだったので、僕は彼女が「一人芝居」をしていることがわかった。
そんななみちゃんに周りの生徒はあっけに取られていたが、本人は意に介せず、受話器を耳に当て一人芝居を続けていた。
「うんうん、でさあ、お食事のあとで映画見に行かない? うんうん、なーに言ってのよ、バカねえ」といった感じで、回線の断たれた電話の向こうの虚ろな空間に向かって一人で延々としゃべるのだった。それがとても自然な演技で巧みな語り口だったので僕は感心した。
「誰と話してるの?」と聞くと、
「うるさいわねえ、邪魔しないでよ。恋人と話してるんだから」と怒られた。
合宿初日の夕食が終わって、生徒たちの風呂の時間も終わり、就寝準備をさせ、他の先生たちが風呂場に向かったころ、僕は疲れ切ってやや放心した心持ちで、先生たちがミーティングルームとしていた食堂に一人でいた。
ガラッと扉を開けて、僕の顔も見ずにうつむいたまま、またガラッと扉を閉めながら食堂に入ってきたのが、なみちゃんだった。彼女は僕の前に座り、身体をくねらせて、ちょっとハスキーな声で僕に言ったのだった。
「好き」
「え? 好きって、先生のことが?」
僕は面食らってしまって、しばらく何と答えていいものやらぽかんとしていたように思うが、目の前でもじもじしているパジャマ姿の豆タンクのような体躯の少女にそう訊ねた。
なみちゃんはこっくりうなずき、
「付き合って」と言った。
僕は<困ったな、こりゃ>と思いつつ、
「それはありがとう。でも、先生、結婚してるんだ。オクさんがいるんだ。付き合うことはできないなあ」と言ったら、
「あ、そう」と怖い顔をして僕を睨みながら、短く言い、なみちゃんはばたばたと食堂から出て行ったのだった。(続く)
(人物名は仮名)
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『Dっち』番外編


その3ーなみちゃんのこと(2)
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ところで、なみちゃんは、なかなかのエンターテイナーで「役者」だった。彼女の好む役柄は「恋に遊びに積極的な二十三歳OL、ボーイフレンドは三人、本命はまだなし、結婚はまだ先かな
」といったところか。合宿授業の自由時間中、彼女はやおら合宿所にあったピンク電話の受話器を手に取り、
「もしもし、ワ、タ、シ。ねえ、これからデートしない? うんうん、六本木でさあ、お食事しましょ」などといきなり話し出したのだ。
そのピンク電話はずっと使われてなく、回線を断っていたものだったので、僕は彼女が「一人芝居」をしていることがわかった。
そんななみちゃんに周りの生徒はあっけに取られていたが、本人は意に介せず、受話器を耳に当て一人芝居を続けていた。
「うんうん、でさあ、お食事のあとで映画見に行かない? うんうん、なーに言ってのよ、バカねえ」といった感じで、回線の断たれた電話の向こうの虚ろな空間に向かって一人で延々としゃべるのだった。それがとても自然な演技で巧みな語り口だったので僕は感心した。
「誰と話してるの?」と聞くと、
「うるさいわねえ、邪魔しないでよ。恋人と話してるんだから」と怒られた。
合宿初日の夕食が終わって、生徒たちの風呂の時間も終わり、就寝準備をさせ、他の先生たちが風呂場に向かったころ、僕は疲れ切ってやや放心した心持ちで、先生たちがミーティングルームとしていた食堂に一人でいた。
ガラッと扉を開けて、僕の顔も見ずにうつむいたまま、またガラッと扉を閉めながら食堂に入ってきたのが、なみちゃんだった。彼女は僕の前に座り、身体をくねらせて、ちょっとハスキーな声で僕に言ったのだった。
「好き」
「え? 好きって、先生のことが?」
僕は面食らってしまって、しばらく何と答えていいものやらぽかんとしていたように思うが、目の前でもじもじしているパジャマ姿の豆タンクのような体躯の少女にそう訊ねた。
なみちゃんはこっくりうなずき、
「付き合って」と言った。
僕は<困ったな、こりゃ>と思いつつ、
「それはありがとう。でも、先生、結婚してるんだ。オクさんがいるんだ。付き合うことはできないなあ」と言ったら、
「あ、そう」と怖い顔をして僕を睨みながら、短く言い、なみちゃんはばたばたと食堂から出て行ったのだった。(続く)
(人物名は仮名)
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『Dっち』番外編


その3ーなみちゃんのこと(1)
なみちゃんのこと(2)→
先生へ 元気ですか。私は元気です。私は 今日 先生のこと 会うこと 待ってます。私は先生のこと 好です。愛しています。先生 私のこと なみりんとよんでね かわいいからです。私は先生のことまえから愛していました・私は先生のことまえから好だった でも私はまえから付きあって欲しかったです。じゃあまたネ Namiより(原文ママ)
なみちゃんがガッコウにいた三年間、僕はなみちゃんからこのような手紙――ラブレターと言うべきか、ノートの切れ端であったり、メモ用紙であったり、プリントの裏などに強い筆致の大きな楷書体で書かれたもの――を百通近くもらった。その一部は今でも大切に保管している。
なみちゃんはコロコロとした体躯を振るわせながら、よくしゃべってよく笑う子だった。明るく元気で積極的だが頑固で出しゃばりだったのでクラスの中で浮いていたが、本人はそんなことはちっとも気にしていなかった。
なみちゃんと初めて会ったのは入学式を前に実施していた春合宿で、僕はまだ右も左もわからない新米講師だった。当時は入学者数もそこそこに多く、ガッコウが四十人近くの入学者を得た年に中学を卒業して入学してきたのがなみちゃんだった。
その当時の合宿授業は、ガッコウが所有していた神奈川県I市郊外の大きな家屋を改築した建物で行われていたが、それでも四十人同時の合宿授業は不可能だったので、二十人ずつ半分に分けたグループ別で合宿は二回に分けて行われた。
二十人ずつ、三泊四日の合宿授業を連続二回、都合七泊八日で四十人の(しかも「強者」ぞろい)生徒を相手の合宿授業を、先輩講師一人と女性講師、僕とで任されたわけだが、女性講師も僕も新米で、それはそれは大変な合宿経験となった。
まあ、とにかくそれまで出会ったことのない、いろんなタイプの生徒がいることに半ば圧倒されながら新米講師として参加した合宿で、僕の十八年にわたる講師生活の中で最もハードで印象深い合宿授業のひとつとして今でも鮮明に記憶している。
「強者」がぞろそろいる中でも、なみちゃんは当初から、その行動言動において特に目立っていた子のひとりだった。ちょっと特徴的な顔つきをしていて、こんな感じの子、ときどき見かけるなあ、と思っていたら、彼女がダウン症であることを他の先生から聞いた。
ああ、ああいう子がダウン症と言われる子なのか、と僕はそのとき初めて知り、そういう事実に対してシンパシーもあったけれど、なみちゃんは最初から愛嬌のある人なつっこい子だったので、僕はいっぺんに彼女のことを好きになった。(続く)
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先生へ 元気ですか。私は元気です。私は 今日 先生のこと 会うこと 待ってます。私は先生のこと 好です。愛しています。先生 私のこと なみりんとよんでね かわいいからです。私は先生のことまえから愛していました・私は先生のことまえから好だった でも私はまえから付きあって欲しかったです。じゃあまたネ Namiより(原文ママ)
なみちゃんがガッコウにいた三年間、僕はなみちゃんからこのような手紙――ラブレターと言うべきか、ノートの切れ端であったり、メモ用紙であったり、プリントの裏などに強い筆致の大きな楷書体で書かれたもの――を百通近くもらった。その一部は今でも大切に保管している。
なみちゃんはコロコロとした体躯を振るわせながら、よくしゃべってよく笑う子だった。明るく元気で積極的だが頑固で出しゃばりだったのでクラスの中で浮いていたが、本人はそんなことはちっとも気にしていなかった。
なみちゃんと初めて会ったのは入学式を前に実施していた春合宿で、僕はまだ右も左もわからない新米講師だった。当時は入学者数もそこそこに多く、ガッコウが四十人近くの入学者を得た年に中学を卒業して入学してきたのがなみちゃんだった。
その当時の合宿授業は、ガッコウが所有していた神奈川県I市郊外の大きな家屋を改築した建物で行われていたが、それでも四十人同時の合宿授業は不可能だったので、二十人ずつ半分に分けたグループ別で合宿は二回に分けて行われた。
二十人ずつ、三泊四日の合宿授業を連続二回、都合七泊八日で四十人の(しかも「強者」ぞろい)生徒を相手の合宿授業を、先輩講師一人と女性講師、僕とで任されたわけだが、女性講師も僕も新米で、それはそれは大変な合宿経験となった。
まあ、とにかくそれまで出会ったことのない、いろんなタイプの生徒がいることに半ば圧倒されながら新米講師として参加した合宿で、僕の十八年にわたる講師生活の中で最もハードで印象深い合宿授業のひとつとして今でも鮮明に記憶している。
「強者」がぞろそろいる中でも、なみちゃんは当初から、その行動言動において特に目立っていた子のひとりだった。ちょっと特徴的な顔つきをしていて、こんな感じの子、ときどき見かけるなあ、と思っていたら、彼女がダウン症であることを他の先生から聞いた。
ああ、ああいう子がダウン症と言われる子なのか、と僕はそのとき初めて知り、そういう事実に対してシンパシーもあったけれど、なみちゃんは最初から愛嬌のある人なつっこい子だったので、僕はいっぺんに彼女のことを好きになった。(続く)
(人物名は仮名)
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その2ーナイトー君のこと
ナイトー君がガッコウのカラオケ大会で「ハナヤ」を歌うと言うので、みんな「またか」という顔をした。「ハナヤ」とは「世界に一つだけの花」。彼はこの歌が大好きだった。でも、彼がガッコウに在籍した三年間、彼はほとんどこの歌としか歌わなかったので、クラスメイトには不興だった。
「ねえナイトー君、なんか違う歌やってみない?」と僕は彼に語りかけるが、ナイトー君は頑として「ハナヤを歌う」と言う。大切そうに袋から「世界に一つだけの花」のCDを取り出し、ラジカセにセット。彼は「カラオケバージョン」で歌える数少ない生徒の一人だった。
ちょっとウンザリした空気が流れる中で、ナイトー君はみんなの前に直立不動で立ち、マイクを握りしめ、大きなよく通る声で(しかも音程、バッチグー)歌い出す。「♪ハナーヤノ、ミセーサキーニ、ナーランダー」。
Y子ちゃんが顔をしかめて耳を押さえる仕草をするので、僕は怖い顔を作って、Y子ちゃんを睨む。いや、本気で怒っているわけではないんだけど、そうしなければいけないのです。ナイトー君の気づかないように、そっとマイクの音量を下げたりしますが。
教室でカラオケ大会をよくやった。ウチの生徒は音楽好きが多かったので、何もしなくても盛り上がる。授業に煮詰まったら、カラオケ。「カラオケ、やろうか」と言うと、みんな「ワーイ!」。こういうときはあつかいやすい彼らが好きだ。
くだんのナイトー君、ふだんはとてもおとなしい。会話はね、ちょっと難しい。でも、ひょうきんなところがある。お弁当を食べ終わると、必ず職員室に来て、先生方や事務のおねーさんに、ぽっこりふくれたお腹を見せに来た。体を反らせて、お腹のふくれたところをこれ見よがしに見せた。
事務のおねーさんが「まあ、 ナイトー君、そのお腹! 赤ちゃんがいるの?」と言うと、にっこり微笑んで、実に嬉しそうな顔をする。彼は「カエルの王子様」だ。
最初の頃、教室にいると他の生徒にいじめられることがあった。彼をバカにする言葉によるいじめ。注意してそれはその内ほぼ解決したのだが、休み時間中クラスの中にいるのが嫌で、毎日のように職員室にやって来た。
それで、次の授業開始のチャイムが鳴っても、いつもぐずぐずしているから、僕は決まり文句のように「ナイトー君、さあ、行こうか!」と彼に声かけしていた。その内、僕が、ぐずぐずしている彼に「ナイトー君!」と言うと「サー、イコーカ」と彼が答えるようになった。僕の口まねで。そんなふうにナイトー君はひょうきんだ。
(人物名は仮名)
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その2ーナイトー君のこと
ナイトー君がガッコウのカラオケ大会で「ハナヤ」を歌うと言うので、みんな「またか」という顔をした。「ハナヤ」とは「世界に一つだけの花」。彼はこの歌が大好きだった。でも、彼がガッコウに在籍した三年間、彼はほとんどこの歌としか歌わなかったので、クラスメイトには不興だった。
「ねえナイトー君、なんか違う歌やってみない?」と僕は彼に語りかけるが、ナイトー君は頑として「ハナヤを歌う」と言う。大切そうに袋から「世界に一つだけの花」のCDを取り出し、ラジカセにセット。彼は「カラオケバージョン」で歌える数少ない生徒の一人だった。
ちょっとウンザリした空気が流れる中で、ナイトー君はみんなの前に直立不動で立ち、マイクを握りしめ、大きなよく通る声で(しかも音程、バッチグー)歌い出す。「♪ハナーヤノ、ミセーサキーニ、ナーランダー」。
Y子ちゃんが顔をしかめて耳を押さえる仕草をするので、僕は怖い顔を作って、Y子ちゃんを睨む。いや、本気で怒っているわけではないんだけど、そうしなければいけないのです。ナイトー君の気づかないように、そっとマイクの音量を下げたりしますが。
教室でカラオケ大会をよくやった。ウチの生徒は音楽好きが多かったので、何もしなくても盛り上がる。授業に煮詰まったら、カラオケ。「カラオケ、やろうか」と言うと、みんな「ワーイ!」。こういうときはあつかいやすい彼らが好きだ。
くだんのナイトー君、ふだんはとてもおとなしい。会話はね、ちょっと難しい。でも、ひょうきんなところがある。お弁当を食べ終わると、必ず職員室に来て、先生方や事務のおねーさんに、ぽっこりふくれたお腹を見せに来た。体を反らせて、お腹のふくれたところをこれ見よがしに見せた。
事務のおねーさんが「まあ、 ナイトー君、そのお腹! 赤ちゃんがいるの?」と言うと、にっこり微笑んで、実に嬉しそうな顔をする。彼は「カエルの王子様」だ。
最初の頃、教室にいると他の生徒にいじめられることがあった。彼をバカにする言葉によるいじめ。注意してそれはその内ほぼ解決したのだが、休み時間中クラスの中にいるのが嫌で、毎日のように職員室にやって来た。
それで、次の授業開始のチャイムが鳴っても、いつもぐずぐずしているから、僕は決まり文句のように「ナイトー君、さあ、行こうか!」と彼に声かけしていた。その内、僕が、ぐずぐずしている彼に「ナイトー君!」と言うと「サー、イコーカ」と彼が答えるようになった。僕の口まねで。そんなふうにナイトー君はひょうきんだ。
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このブログについて
このブログは、発達障害児(LD、アスペルガー症候群、高機能自閉、境界域知的障害、等)を主に受け入れてきた小さな私設学校を舞台に、「自由の子ども」Dっちを主人公に据え、「オンリーワン」の生徒たちが巻き起こす数々の珍騒動エピソードを織り込んだ「セミフィクション」小説ブログです●本ブログはメインになる、行き当たりばったり連載小説『Dっち』と『Dっち』番外編としての『Dっちノート』(小説『Dっち』の補足的なエッセイ)、『ピュアなハートの連中なんだ』(筆者が出会った生徒たちの人物スケッチ)、そして『イラストギャラリー』(卒業生たちのイラスト紹介)にカテゴライズされています●筆者は発達障害に関する専門家ではありませんが、「こんな子どもたちが自分たちのすぐ隣にいるんだ」ということを知って欲しい、という趣旨でこのブログを開設しました●「行き当たりばったり」としているように、プロットも何も考えずに見切り発車したので、今後どのようにストーリーが展開していくか、筆者自身にもわかりません(笑)●本ブログに関するコメントやトラックバックは歓迎いたしますが、「事前承認」とさせていただいていることをご了承ください。














