天津幸福飯店

Hotel Happiness Tianjin
2004-2007

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好久不見〜

2012年06月15日 | 天津幸福飯店日誌

ご無沙汰しております。飯店です。
こんな放置されたブログを見て下さっている方がいらっしゃるかはわかりませんが、
ふと思いついたので、更新してみます。
やり方がイマイチ思い出せないけれど

早いもので、天津から帰国して5年3か月!!
当時26だった私も、なんと31歳になりました。
今は大阪でなんとか元気にやっています。

ある日、なんとも奇特な人が現れて、去年結婚しました。 (ちなみに旦那は北京帰りです。)
天津にいた頃はさっぱりだった料理も頑張りつつ、
この春からは脱サラして、念願だった仕事に挑戦中
中国語の勉強も続けてます。一応。

天津幸福飯店の元同僚たちや、このブログに登場した友人たちとも時々連絡をとりあっているし、
天津での経験は今でも素敵な財産。
懐かしいな。
なかなか連絡できない皆さんも元気かな。
また気が向いたら、何か書きます。

ではではー
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長い長い春休み

2007年03月30日 | ★日本に帰国中
       

 皆さんお元気ですか? すっかり春の日本を満喫している飯店です。
 さてさて、日本に帰ってからの、その後ストーリーです。父の60歳の誕生日でカニを食べに行ったり、うららかな午後に歯医者さんに通ったり、お笑いのビデオを見たり、天津の同僚とMSNでしゃべったり。仕事がないって、こんな感じなんやなあ…。ラクはラクやけど、ちょっぴり寂しいような…。

 そうそう、早速ですが、新しい携帯を買いました。中国で使っていたサムソンの携帯も卵みたいな形がお気に入りだったけど、こやつもなかなか四角四角していて、かわいいやつです。。でも、実はまだ使い方がよくわからないです。最近の携帯は色々機能があるのね…。 

 試しに、ちょっと咲きかけの桜を撮ってみました。来週は満開かな。久々に、京都にでも行ってこようかなー。
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さよなら、幸福飯店 その

2007年03月28日 | 天津幸福飯店日誌

 関空の到着ロビーでぼんやり…。日本に帰ってきました。奈良へ行くバス待ち中です。 
 
      
    
 あの日、私が乗り込んだ車は時間通りに出発して、 幸福飯店がだんだん見えなくなりました。そこから北京空港に向かうまでの間も、ふたりのこと、そして天津で出会った人たちのことを思い出し、またも涙がポロポロ。運転手さんに、「そんなに思い入れが強いの。“難分難離”(Nan2 fen1 nan2 li2)だね」と言われました。ナンフェンナンリー。本当に、こんなに離れるのがつらい場所に、いつの間にかなってたんやなあ。…

 3年間の天津生活と、私の初めての仕事は、こんな風に終わりの日を迎えました。

 今から考えてみると、もっと色々なことを勉強すればよかったかな…。仕事も、不平不満を言わず、もっとがんばればよかったかな…。ダラダラ休んでないで、もっと活動的に出かけたらよかったな…。もっとDVDを買えばよかったな…。 もっと、もっと…。

 そんな風に考え始めたら、「もっと」にはキリがないけれど。

 だけど、とりあえず、こんな感じになりました。友だち、同僚、上司、お客様、天津の皆さん。最後の最後の日まで、たくさんの優しい皆さんに支えられて、時にはその優しさに甘えてしまいながらも、ここまで来ることができました。
 
 ありがとうございました。

 これからもまだまだ人生は続くけれど、一応、いつものキメ台詞で今日もしめときましょう。「これにて、一件落着。」 (←…いつも言ってたっけ?)

 そして、飯店を乗せた飛行機は中国を離れ… 

 …と思ったら、実は飛行機に乗ってから、2時間半くらい待ってました。なんでも「離陸許可が出ないため」だったとか。管制塔の人も、きっと私を帰国させたくなかったのねっ。うるる (←どこまでもポジティブ。)

  

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さよなら、幸福飯店 その

2007年03月27日 | 天津幸福飯店日誌

  翌朝です。 

 結局、夜通し・地獄の荷造り作業が終わったのは、出発の20分前(途中、休憩で1時間寝ました) 

 からっぽになった部屋を後にして、会社に今月のお給料をもらいに行って、オフィスに寄って。フロントには、3年間一緒に働いた同僚たちがいました。忙しそうだったので、ひとりひとりには挨拶せず、接客中の皆に、お客さんの後ろから手を振るだけ。だけど、接客中に手を振る皆の笑顔を見ただけでも涙がこぼれそうだったので、それでちょうどよかったかも…。

 とうとう出発のときがやってきました。

 幸福飯店のロビーの玄関に、ボスや総経理、マネージャー、韓国の同僚が待ってくれていました。ますは、ボスと総経理に挨拶。ふたりとも、「Good luck!」「頑張ってね」と、ニコニコ。まるで卒業生を見送る先生のように送り出してくれました。

 そして、昨日の夜一緒にカムジャタンを食べたマネージャーと、韓国の同僚を前にすると、もう何も言えなくなってしまいました。

 3年間一緒に働いたマネージャー。年は離れているけれど、一緒に処理した苦情のことや、辛いトレーニングのこと、休憩中やごはん中の雑談…。彼女は最後の最後まで、私に「是非、中国に嫁ぐように」と強く勧めてくれていたのです。結局、私を娶りたいという人が現れなかったので、彼女の夢は叶いませんでした。ごめん…。 
  
 そして、部署は違うけど、ほとんど同じ時期に天津に来てから、ほとんど毎日顔を合わせ、ごはんを食べ、買い物に行き、カフェやお互いの部屋で、仕事の愚痴や化粧品のこと、将来のこと、理想の男性のこと。本当に何でも話した韓国の同僚。毎年お正月旅行(青島・上海・西安)にも一緒に行ったし、私の韓国語の先生でもありました。

 そのふたりが泣いているの見ると、ずっと我慢して堪えていたものがすっと消えて、自然と涙がボロボロ 何か言おうとするともっと泣けるので、気の利いたことも言えず。結局、やっとのことで、「また遊びに行こうね…」とだけ言って、ヨロヨロと車に乗り込んだのでした。つづく 
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天津最後の夜

2007年03月23日 | 天津幸福飯店日誌

 本当に、最後の最後まで仕事でバタバタしてしてしまいました。最後の日は早番で、しかも満室の翌朝のチェックアウト 最後まで貧乏くじでしたっ。だけど、どんなにツラくても、「今日で終わり。」と思うと、笑いが止まらな…じゃなくて、感無量でした。うるる 
 
 最後の晩餐は、同僚のマネージャーと、その息子さんと、韓国の同僚と、ekoちゃんとカムジャタン

      

 きれいに食べたでしょ?

 大人4人だったので、久しぶりに炒飯までたどりつけました。ふたりだと、カムジャタンだけでお腹いっぱいになっちゃうのよね…。 デザートは、マネージャーが買ってきてくれたコレ

             

 “糖葫芦”(Tang2 hu2 lur4/タンフールー)、天津弁ではタンドゥ〜。(巻き舌。) サンザシ飴におもちやあんこが挟まってるものです。記憶よりも甘さひかえめで、初めて、おいしいと思いました。でも、これが天津で最後の晩餐だという実感は、まだまだなかったのです。
 
 なぜなら、このあと約束もうふたつ!! 和助に行って飲んだり、寮の同僚の部屋の「模様替えお披露目会」に行って飲んだり。2時過ぎに部屋に戻って、荷造りを開始する頃になって、やっと実感が…。 出発まで7時間…。荷造りは終わるのか、今日は寝れるのか(早番で5時起きだから、眠いんデスけど…)、そして、明日は無事出発できるのか?? そんな不安を抱えつつ、次回感動の最終回
おたのしみにー! 
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