きち女と啄木の距離

女啄木といわれた川場(群馬)の歌人江口きちと御本家石川啄木を、あれこれ気ままにリンクさせてみたいと思います。

きち女と雀 啄木と雀

2011-01-11 02:59:08 | Weblog

  睡たらひて夜は明けにけりうつそみに聽きをさめなる雀鳴き初む
                              
きち女


  ふと思ふ
  ふるさとにゐて日毎聽きし雀の鳴くを
  三年聽かざり               
 啄木

 昭和十三年(きち女の死の年)、「女性時代」誌がアンケートをとったなかに「好きな鳥」は何かという質問があった。これに対してきち女はつぎのように回答している。

 雀、他の鳥を知らないためでせう。

 他の鳥は知らないというが、彼女は、カッコウやキツツキの歌もいくつか詠んでいる。
  
    かなしみを人には告げずわびしらに夕はきけるかくこうの声    

  前山は降りけぶらひてかくこうの声のありどのさだかに知られず 

  春雪のしき降る中に一羽ゐて日もすがらなる啄木鳥の音

  雪に埋む墓場つゞきの竹藪にきつつきのゐて竹つゝく音


 自然の豊かな川場村に住んでいれば、ほかにカラスやヒヨドリなども身近にいただろうし、季節になれば、ウグイスの囀りを聴きツバメの飛翔も見たことだろう。きち女のように自然をこよなく愛した繊細な女性が、村にいる鳥や飛来してくる鳥に無頓着でいるわけがない。そのなかでもっとも親しみ愛した鳥がスズメだったのだ。「他の鳥を知らない」といったのは、それを強調したいがために誇張したのだと思う。
 スズメが一番好きだというだけあって、きち女はスズメの歌をけっこう詠んでいる。

  只一人群れに離れし雀見て一茶の俳句口ずさみけり

  庭先に忍び寄るごとゑを拾ふ雀よ友はいづくに居るの


  夕立の前ぶれなるか雀らの声かしましく鳴いている今


  無邪気なる少女にも似し小雀の家の中まで入りてゐるなり                  
             (昭和四年頃  矢島けい宛手紙で披露)

  寝ねてあれば思ひはかなし屋根の上に遊ぶ雀をいとほしみゐる

  屋根裏の屋根のトタンに一二羽の雀ひそかにあそべるらしも

          
   (昭和八年 歌帖 風邪と雀と)
  
  うち仰ぐ桐のこぬれに愛しもよ雀の群の雪ちらしあそぶ

  觀てあればわれにもの云ひかくるごと雀の所作のひた愛しかも
                          (昭和十年 歌帖)
  
  とび交ひて雪ちらしつゝ桐の枝に雀の所作のひた愛しかも
              
  觀てあればわれにもの言ひかくるごと桐のこぬれに愛しかり雀 
                
                         (昭和十年 女性時代)

  うつつなに晝を臥やれば障子一重隔てて愛し雀來遊ぶ

  羽ばたきの音は障子の外に近し身じろがずゐて姿態(すがた)                      
  想ふも  
                 (昭和十一年 歌帖)

  桑畑の中は小暗く降りもやふ夕をひそかに遊ぶ雀子

  地に低く桑の下葉に遊ぶらし夕かたまけて雨に濡れつゝ

  飛び入りて桐の下葉にひそみしが雨に耐えずや間なく去りけり
                 
(昭和十二年? 歌帖 夕雨と雀 )
  
  軒近く雀來啼くも齒いたみて眠られぬ夜の明けそめにけり

  家ぬちは灯のいろふかきあかつきを雀の群のすでに集へる               

                            (昭和十三年 歌帖)                       
 
 これらを読むと、微笑ましくなったり、頷いてみたり、あげくにスズメに慰められている悩み多き娘の孤独感が伝わってくるような気さえしてくる。辞世の歌にまでスズメを詠み込んでいるが、こうしてみるとそれはいかにもきち女らしい。
 彼女の辞世の歌二首のうち、どうももう一方の「大いなるこの寂けさや」と歌いだす方が重んじられる傾向にあるのが、私には少し不満である。歌の文学的なよしあしは判らないが、故人の思い入れを重視してみれば、二首は同等の価値があるように思えてならないのだ。

  睡たらひて夜は明けにけりうつそみに聽きをさめなる雀鳴き初む

  大いなるこの寂けさや天地の時刻あやまたず夜は明けにけり

 雀と天地、つまり掌上にも乗るほどの小さな生き物と広漠とした宇宙空間、二首はたくまずして絶妙な対比となっていて、支えあってバランスをとっている一対のもの、そんな風なみかたもできなくはない。

  さて、啄木のほうだが、スズメの歌は冒頭の一首だけなのだろうか。それにしても日本ではもっともポピュラーな鳥であるスズメの鳴くのを、三年も聴かないなんてことはありえないような気がする。啄木は、ふるさとを喪失してから終焉の地東京に出てくるまでの間に北海道を約一年間漂泊しているが、その北海道にだって、明治には稲作が本格的になりスズメがいたという。この詩人は、三歩、三度、三月、三尺四方などなど、三という数字をよくつかっていて、それらはときに歌のイメージや調子づくりを優先させた数字なのかもしれない。それはともかく啄木にとっても渋民村にいるときは、やはりスズメがもっとも身近な鳥だったということがわかる。 
 
最後に啄木が函館で書いた日記を引用してみよう。

 今日は京子の誕生日なり。新鮭を焼きまた煮て一家四人晩餐を共にす。 人の子にして、人の夫にして、また人の親たる予は、噫、未だ有せざるなり、天が下にこの五尺の身を容るべき家を、劫遠を安んずべき心の巣を。寒さに凍ゆる雀だに温かき巣をば持ちたるに。               (明治四十年十二月二十九日)

渋民村の広い禅房に育ちながら、ここには、いまやスズメをも羨む家なき子啄木が…。

○付記
※「女性時代」誌の同じアンケートで他に八つの質問があり、きち女はすべて回答を寄せているが、そのうちの二つ。

問 生まれた土地(府縣市町村名)
回答 群馬縣利根郡川場村谷地

問 現在住んでいる家の近所
回答 二十年位前までは通るのも淋しい原だつたのが、今ではやゝ村の中心となつてゐます。從つて父祖傳來の舊家もなく、床しい傳統も持合せない植民地?です。公けの建物が近年續設され、その昔荒涼たる原つぱに新開の闘士だつた我家も、だんだん肩身せまく「故郷の廃家」になりつゝあります。隣村白澤と境をなす雨乞山を毎日毎日見てゐます。

※あとから歌帖にウグイスの歌発見

  清流のたぎち流るゝかたへには夏深くして鶯啼くも
                         きち女

※次回は、「一つ書物にきち女と啄木が…」を予定しています。

ジャンル:
ウェブログ
この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 啄木の父 きち女の父 | トップ | 啄木の死顔 きち女の死顔 »

Weblog」カテゴリの最新記事