京都北山細野の神主

日々感じる事を想いのままに書き綴っています。神主として品位に欠ける表現が有るのはボケが始まったとお許しください

神社庁丹波五支部総会で明智光秀についての講演を聞く

2016年07月14日 | 少子化対策は故郷つくりから

京都府神社庁丹波五支部連合会総会が今年は亀岡市で開催されました。

丹波五支部とは、京都府府神社庁の内、

①北桑田支部=現南丹市美山町+現京都市京北町。

②亀岡支部。

③船井支部=現南丹市八木町+現南丹市園部町+現南丹市日吉町+現船井郡京丹波町。

④綾部支部

⑤福知山支部

何でこんなにこんなにややこしいかと言うと町村合併で行政区はバラバラになったが神社関係は旧のままに続けているだけです。

毎年五支部の持ち回りで主催されている連合会総会は今年は亀岡市で開催されました。

與能神社

11時に亀岡市曽我町寺蛇谷の與能神社に参加全神職が集合し、正式参拝をして会場の亀岡市の中心部にある玉川楼に移動して総会。

記念講演・亀岡市文化資料館館長・黒川孝宏先生の「明智光秀と丹波亀岡」と言う講演がありました。

明智光秀が主君である織田信長を討った本能寺の変の原因などについても話されました。

いただいた資料の本能寺の変の真相をめぐる諸説50の中に「朝廷守護説」に眼が行きました。

黒川先生の講演とは関係ないのですが

井尻千男著

以前に購入して読み終わっていない井尻千男著「明智光秀」です。

権勢を極めた織田信長が天皇に代わる王になろうとする考えを信長に近くで接していた尊王の志の高かった明智光秀が察知して災いを絶ったのが動機。

史実としてはっきりとした資料がある訳では無いが私としてはもうこれしか無いと思っていました。

そうして考えると「下克上」とか「謀反」とか言う言葉は明智光秀については無用と思います。

古くは蘇我入鹿や弓削の道鏡の例のように皇位を狙うヤカラを滅ぼす忠臣が必ず出てくる歴史の必然性では無かろうか。

黒川先生の講演は時間の制限もありましたし、その後の懇親会の場でご挨拶させてもらいましたが語り尽くせず次に機会があったら詳しくお話が聞きたいと思いました。

明智光秀が治めた丹波の国の亀岡市はNHKの大河ドラマに明智光秀を取り上げてもらう運動も始まっています。

明智光秀で亀岡市を中心に丹波地方が全国に知れ渡れば「もう一つの京都」として盛り上がるのでは無いか?

その時には明智光秀は

「謀反人」としてでは無く「勤王の士」として描いてくれれば話題沸騰することは間違いありません。


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