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サダム・フセイン元大統領が絞首刑となった。日本時間の正午、バグダッドで、死刑は執行された。イラク戦争・占領が泥沼化し、アメリカ兵の死者も3000人に近づいてきて「イラクからの撤退」がテーマになってきている時に、内戦をより決定的なものとし、報復テロなどの危険を省みずに「死刑執行」を行うという判断は、理解しがたい。無辜の民が何人死のうとも「テロ誘発状態」をつくり出して「テロとの戦い」を継続することで利益を得る人たちが明らかにいる。2007年の平和な始まりを待つ世界の人々を落胆させ、また憎悪と復讐の応酬が激化することは論をまたない。

この処刑が、「イラクに安定と平和をもたらすことを期待する」と考えるのは、よほどの楽観主義者か、嘘つきである。フセイン元大統領を「殉教者」として完成させ、スンニ派・シーア派の対立を抜き差しならないものとするだろう。アメリカ中間選挙の結果を受けて、「増派か撤退か」の選択を迫られているブッシュ政権にとって、治安の急激な悪化は、得るものはなく失うものの方が多い。

フセイン元大統領の処刑をイスラエルとイランが歓迎し、死刑廃止を推進している欧州各国が批判している。クリスマスに死刑執行を行った安倍政権には、「死刑の何が問題なのか」を意識することは出来ないので、ブッシュ大統領の見解に追随していくしかない。近く処刑映像が公開されるかもしれないが、「元独裁者」が吊るされて絶命する瞬間を、ポテトチップを食べながら「楽しむ」人々がいることを想像するとゾッとする。

フセインもと大統領の罪は、「虐殺を指示した」ことにあった。彼の行った「虐殺」は犯罪であるに違いない。しかし、「独裁者」が処刑されるのも、やはり「虐殺」のひとつである。そして、その「処刑という虐殺」は、イラクやイスラム世界を挑発的に刺激し、新たなる「虐殺」(報復テロ)を生むだろう。さらに、そのテロに対しての逆襲テロもまた「虐殺」を拡大する。血の匂いが血を呼び、どす黒い殺戮劇を無限にエスカレートさせる。こうした「報復の連鎖」から、私たちはどうやって脱出すればいいのか。

新聞は「独裁者の悲しい末路」などと報じているものが多いが、「フセイン元大統領は過去の人」というレベルで扱う話題ではないと思う。これからの世界の平和を根底から脅かす愚かで拙速な処刑だったのではないか。私たちの不安と予感が杞憂であることを願いたいが、暴力の歯車はなかなか止まらない。






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