日本列島を大きな災禍が襲った1年が過ぎようとしている。地震と津波は自然災害だが、原発事故は明らかに「安全神話」を捏造してきた電力会社と経済産業省、そして財界・政界・メディアの愚かさがための人災だ。それでも、「懲りない人々」は「原発輸出」政策を続け、停止中の原発の「再稼働」のチャンスを窺っている。昨年、私が警告をこめて制作した映像ドキュメント『八ッ場ダムはなぜ止まらないか』で描いた通り、マニフェストを撤回して「ダム本体工事再開」を決めて、昨夜(29日)には、野田総理自らが「不退転の決意」で臨んだ「消費税増税方針」を決めたと伝えられている。
震災と原発事故で大打撃を受け、復興の道筋を描けない被災地に、政治は緩慢で機動性に欠いた状態が続いている。「八ッ場ダム本体工事再開」「整備新幹線」など大型公共事業にふたたび道を開き、沖縄には夜襲よろしくまだ暗い未明に「環境影響評価書」を県庁に押し込み、「消費税増税」に全力をあげるという年末の政治ニュースは暗澹となるシーンが続いた。「2年前の政権交代」の熱気は完全に失せて、乾いた失望が急速に広がっている。
昨年の手帳を開いてみると、11月に『八ッ場ダムはなぜ止まらないのか』をリリースした私は、各地の市民運動の人たちに呼ばれて「上映会+講演会」を行なっていた。あまり自慢にはならないが、私は1年半前には、民主党政権が「八ッ場ダム本体工事」を再開するのは100%間違いないことを知っていた。そして、「八ッ場ダム本体工事再開」は世論の関心が薄いようにみえて、大きなリアクションを受けるだろうということも予想していた。そして、多くの人がもう一度考え直すという機会を持つだろうということを予期していた。
さらに、12月半ばに5年越しで計画していた「長崎県生月島かくれキリシタン取材」を行い、今年(2011年)の1月にも再度取材に出かけた。民俗学者の谷川健一さんと会い、関連書を読みあさって『週刊朝日』にルポを書かせてもらった。同時並行で、児童養護施設にランドセルをプレゼントする「タイガーマスク現象」に注目し、児童養護施設の実態と18歳以後の若者たちの姿を追っていた。そして、児童養護施設の出身者の相互扶助を目的とするNPO法人を何度か訪れて次の記事を書こうとしていた。まさに、若者のインタビューを終えた途端にあの激しい揺れに襲われた「3・11」を共に体験したのだった。
人が生きることの辛さと厳しさ、そして強さともろさを考え続けた日々だった。「3・11」はその営為を遮断して、私の生活も仕事も一変させた。原発事故があり、懸命に立ち向かう自治体の長の姿に感銘を覚えたことが契機だった。国や都道府県が立ち止まり、手続きや制度論で手をこまねいている間に、トラックに物資を満載して災害時相互支援の協定を結んでいた南相馬市への支援を始める杉並区の姿にも共鳴を覚え、私の立場でお手伝いをした。3月26日に南相馬市役所に桜井勝延市長を訪ね、固く握手を交わした数日後に、世田谷区長への立候補要請があり、ほぼ迷うことなく立候補へと動いていった。
自分の人生は自分で決めて生きるのが普通だろうが、何か目に見えない力に操られ、あるいは突き動かされての決断だった。投票日まで20日もない時点での出馬表明だったが、思うところを訴えてゴールまで無心に走ろうという一念だった。年末に時間が出来た今だからこそ、こうして当時を振り返っている。区長就任以後、8カ月間は過去をふりかえるゆとりもなく仕事をし続けた。
政治家としての情勢分析や時代感覚を持ちながら、行政の長としての安定的・継続的な土台を築いていく。どのような社会、地域をつくりたいのか。新年からは、ひとつひとつの仕事を言葉で位置づけてお伝えすることにしたい。

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