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 今回の「村木さん無罪判決」と「証拠改竄事件」をあわせて考えていくと、2002年の三井環元大阪高検公安部長(現職の検察幹部)を逮捕した事件に突き当たる。調活費の使用実態について、三井氏がメディアに証言しようとしていた直前に同僚たちによって「口封じ逮捕」された。この時、検事総長以下、検察首脳は「当面の危機」を回避したつもりだったのかもしれない。しかし、「シロをクロと言いくるめる」お手本を検察トップが示した以上、今回の事態はいわば必然だったと言える。今日、私のところに三井環氏の妻からのメールが届いた。ここに紹介することにしたい。

〔引用開始〕

「この度の村木さんの事件で思うこと」

 私は元大阪高検公安部長検事 三井環の妻です。

 もう人々の記憶からは消えてしまっている事件かもしれない10年近く前に起きた「元大阪高等検察庁公安部長 三井環の事件」を思い出していただきたい。

 今、村木さんの事件は新聞等で三井事件以来の検察の不祥事といわれている。これは繋がっているのだ。あの時の検察のとった態度がこの事件を生み出している。「検察が作り出した事件」ということでこれは恐ろしい。

 三井の事件は国民には知らされていないが検察の利害とかかわっていた暴力団の利害が一致した「まさに検察が作った事件」なのである。

 国民が納得の行く形に検察は事件をまとめ上げ、三井一人を悪者に仕立て上げた。その検察組織を守るためにマスコミも最終的には裁判所までも協力した。その時の主任検事が村木さん事件の特捜部長なのである。(今の前田検事の立場)

 動物は生きていくために親から生き方を学ぶ、それを又子供に伝える、そうして生きていくためのDNAが体に残る。(科学に詳しくないのでこの言い方が正しいかどうかはわからないが)そうやって脈々と受け継がれていくものがある。

 検察は組織を守るため「三井事件」のところで大きく踏み外してしまった。三井の時の特捜部長は「責任は、俺が取る、やれ!」といったと思う。公判で「責任は一切私に」という言葉を当時の特捜部長から聞いた。検察組織を背負っているのだからこんなことがいえるのだ。

 三井は実刑を受け今年の1月に満期出所した。当時の幹部は三井事件の監督責任で自らも処分を受けたかたちを国民には取ってみせた。しかし、それはその時の国民へのポーズで、決して制裁を受けたわけではなくかかわった検事は皆栄進し、むしろご褒美があったのだ。(これは内部の者にしかわからない)

 このことを、皆に知ってもらわないと大変なことになる。三井も私もこのことを妬んでいるのではない。ひどい仕打ちを受けたが、三井は「検察を愛している、検察は変わらねばならない」と今も孤軍奮闘している。

 事件から10年近くたち三井事件の時の主任検事が村木事件の特捜部長として舵取りをした。今、舵取りを誤らないほうがおかしい。

 昔は特捜はよかったという検察OB も三井事件には自分自身の護身のため、あるいは愛する組織を守るため(と思ったのか)、きちんと向かい合うことができなかった。テレビでは昔のロッキード事件等のその輝かしい功績が放映され東京地検特捜部元検事達の誇らしげな顔も出たりしているがそんな過去のことに酔わないで頂きたい。

 三井一人を「限りなく悪い検事 」に仕立てあげ終わらせた検察の手法を学んだ優秀な検事が起こしたこの事件は検察改革のよいチャンスだと思う。主任検事も、特捜部長も悪いけれど二人だけが悪いのではない。

 三井は命を張って「私は捨石になる覚悟」といって検察と闘っているが誰にも理解されてなかった。マスコミもみんなの関心がなくなった事件は相手にもしないという感じであったが、計らずも検察は自ら事件を起こし「検察改革」に立ち向かわねばならなくなったし、検察官はその「良心」に立ち向かわなければならなくなった。

〔引用終了〕
誇り高き正義感を持った検察OBの方たちも含めて自分達が使った調査活動費の不正流用のことをあらためて考えてほしい。三井だけを悪者に仕立て上げて不正流用はなかったと終わらせたこの事件を考えてほしい。当時の検事総長の取った判断に胸をなでおろし終わりにしたことに、この事件の根幹があることの責任を感じてほしい。誰しも生活がかかっていて検察に矢を引くことのできない多くの庶民のことを考えてほしい。


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