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以前に予告したように、明日9日午後7時からジャーナリストの魚住昭さんと対談をする。(新宿・ネィキッドロフトにて・詳しくはトップページ参照) 三連休の最後の日に、ディープな話し合いを重ねてみたい。

 魚住さんは共同通信の記者だった。東京地検特捜部を担当して、数々の事件を取材した体験から『特捜検察』という新書も書いている。「自民党・保守政治による長期的支配な中で、特捜部に宿る正義が権力の壁にぶつかり、闘い続けている」と魚住さんの評価があっての本と私は読んだ。

 まず、特捜検察と政治権力との関係を問いたい。『国家の罠』の著者である佐藤優氏の言葉でまず目に飛び込んできたのは「国策捜査」という言葉だった。もちろん、国策捜査という言葉は、金融機関の破綻時や企業不祥事の後で、即座に始まる捜査を私たち捜査権力の外にいる者が「国策捜査」という言葉を使ってきた。しかし、被疑者を前にして、検察官が「これは国策捜査だ」と語ったという記述には驚いた。

 一方で、「橋本派一億円事件」はひとり村岡兼造元官房長官だけがひっぱり出されて、検察審査会が「起訴相当」と議決しようが検察首脳は聞く耳を持たない。この件については「国策捜査」とは逆の「国策不捜査」であると誰もが感じる。魚住さんが現役の記者だった一時代前には、メディアがの検察を批判し世論がこれを許さないという状況があった。

「東京地方検察庁」の看板にペンキが投げつけられたのは、いつのことだっただろうか。自民党副総裁だった政界の実力者金丸信氏が検察庁に「上申書」を提出し、20万円の罰金で「一件落着」しようとしていた時ではなかったのか。

 そして、共謀罪(組織犯罪対策法改正案)の提案である。「内心の自由」にも土足で踏みこんでいったかつての「思想検事」流の発想が頭をもたげてきているのではないか。戦前、日本の言論と民主主義を根こそぎ破壊した治安維持法を使って、大暴れをしたのは「特高警察」「思想検察」の流れだった。

その流れは伏流水のように戦争直後の「戦犯追放」の時期を忍んで、冷戦下で完全に復活した。「立川ビラまき事件」を住居不法侵入等の微罪で拘留し起訴する。地裁の無罪判決に挑んで、高裁で有罪を取る。こうした検察官の心中に宿るメンタリティは「国策捜査」なのか。

そして、メディアの堕落と小泉現象。「渡邉恒雄」「野中広務」という大作を記した魚住さんには聞きたいことかたくさんある。硬派バリバリの仕事始めとしたい。








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[告発事件]警察・検察不信との関連性 (hirono_hideki 日暮途遠)
 近頃警察に対する不信を強くするような報道が目立っています。長野智子blogの方でも、久しぶりに警察絡みの記事が出ていました。 http://yaplog.jp/nagano/archive/138  この記事の方もトラックバックを入れさせて頂く予定でいるのですが、これまでもトラックバックやコメ