まんなか・まちかど博物館 館長の横顔

三重県にあるまんなか・まちかど博物館を訪ねて、館長さんのを直撃!人生観、生き様などを取材してます。

イワヒバ栽培館 久穂 正夫さん

2007年03月12日 | Weblog
美杉村の太郎生。ここのことを知らない人はタロセイと読んでしまう。しかし本名はタロウである。まんなか・まちかど博物館70余館の中で最も高いところにあるのが久穂さんの所ではないだろうか。標高410メートルの国道から遙かに見上げる山の傾斜地に堂々たる佇まいを見せている。  「よう来てくれたなあ」張りのある声で迎えてくれた久穂さんは元気そのもの。 この博物館は二つのジャンルに分かれており、第一が屋外の岩ひばの栽培、第二が屋内の古木の加工品類。 まずは屋外の岩ひばから。 大抵の植物は土の上に生えるのに対して、このひばは岩の上に生えるので「岩ひば」と呼ぶ。 10年で2〜3センチしか成長しない、おとなしいシダ植物である。一人で山を歩くのが好きで始まった趣味、もう35年も続いている。水と空気の綺麗な山の中でしか生えないこの植物を採集するのはまさに命がけ。大きな物は滅多に見つけることが出来ないが、これを見つけたときは大きな形のまま持ち帰り、庭に並べ、大切に育てる。朝夕の水やりなど、一日の半分をこの世話に費やすと仰る。見学者は結構多く、梅雨時は特に水を得た元気な岩ひばが見られるのでお勧めだそうだ。                             
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もう一つの展示物は古木の幹の部分を磨き上げた作品。こちらは工芸品のため、玄関と座敷に展示してある。岩ひばに凝る前はこちらに一生懸命だったそうだ。伐り倒された後に残った部分に後日枝が生えて複雑な形になった幹を見つけては自宅に持ち帰り、乾燥後、丹念に磨き上げられた物達。  「持ち帰り」と簡単にいってしまっては申し訳がない。自分の体重の何倍もある木の幹をたった一人で道の無いような山の中から何キロも引きずり降ろしてくる苦労はいかばかりであろうか。 ちなみに、この重い物体を山の上から引っ張り出す方法は「チェーンブロック」という道具を使い、やぐらを組み、わずか2メートル程度を動かすと、またその位置でやぐらを組みチェーンブロックをセットし直すという、聞いているだけでも気が遠くなるほどの、まさに「尺取り虫」が大陸を渡るような動作を延々と繰り返すという。 1週間程度は掛かるかなぁとあっさりとおっしゃるが、まさに精神力と忍耐力のたまものである。これには脱帽。 この趣味はなんと呼べばいいのでしょうかとの筆者の問に、「名前なんて付いていない」との返答だった。 この「古木磨き」にしても「岩檜葉」にしても、材料を買うわけでもないので、費用は一切掛からない。反面、久穂さんはこれらの作品を一切売ろうとしないのだ。一銭にもならない事に一生懸命になっているので「キチガイ扱いされた」とおっしゃる。これだけの植物に朝夕の水やりに水道代が嵩むでしょう?と私。「いや、谷から天然水を引いているのでタダ」「趣味にお金がかからないので助かります」奥様はニコニコしておっしゃる。3世代、7人家族の久穂さん一家が羨ましくなった。 70才近くになられたのに「ぼくは」「ぼくに」と熱っぽく語り、地区のためにも色々骨を折っておられる。 博物館と並行して、地元太郎生で、ユニークな方達、13人がグループを結成し、観光客を村に呼び込むために貢献している、その名、「太郎生道里夢」読み方は「タロウドリーム」である。村を見て回るための貸し自転車も用意されていますので、皆さんも是非どうぞ。但し、坂道がかなり急なので覚悟しておいてくださいね。
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酔煙文庫 生活資料館 別所春男さん

2007年03月10日 | Weblog
別所春男さんの博物館を訪れるまで、私自身は「几帳面」なほうだと思っていました。 ところが、2月8日を境に、自分はなんとルーズな男なんだろう、と思うようになりました。
別所さんの几帳面さには上に「超」の文字が2つも3つも付くくらいの正に「ミスター几帳面」。ギネスブックに載ってもいいくらいの几帳面です。

 まず案内されたのが、元農業倉庫として使っておられた鉄骨スレート葺きの別棟図書館。
チリひとつ無く、清掃されたフロアーには中古のロッカーが4列、整然と並べられ、その中にはジャンル別に整理された書籍がギッシリ。本のほかにハガキ、カレンダー、ラジオ、ライター、等の生活用品が40〜50年に亘って保存されており、その整理術にビックリでしたが、「これくらいで驚いてもらっては困ります」と本館へ通され、それからの一時間はご夫婦の「記録魔」とも言える数々の記録に驚かされ、正に開いた口がふさがらない状態となりました。
 毎日3回の気象観測、それを基に平均気温に対する上下をグラフ化したものを40年間分。
その時々に起こった出来事を国、県、安濃町などに分析、分類し記録。それらの基になるのが毎日の記録台帳とも言うべきA2サイズの紙の束。
そこには一日の出来事が全て書き込まれているのです。
 起床時間、空模様、気温、主な新聞記事、食事の内容、掛けたり掛かってきた電話相手とその内容、所要時間、来訪者氏名、用件、買い物の品名、値段、届いた郵便物と差出人、就寝前には電気、水道、ガスのメーターを点検し、その数値を指定の欄に記入。 もっと驚くのは、ご自身が神主でもあるので、管理している神社に生えている椿の葉や花弁の落ちた枚数を記録し、年毎の比較もされていることです。
まちかど博物館の代表的な姿が住宅の一室に館長がお気に入りの物を集めたり、作った物を展示してあるのに比べ、別所さんの所は家と別棟全体が博物館になっていて、どの部屋に入ってみても懐かしいものや記録が整然と保存されています。
 元々は何屋さんですか?
 物と記録の膨大さに目を奪われた私たちは別所さんの前職や生い立ちに興味津々。ところが別所さんが話される内容が豊富且つ流暢なため、筆者のノート書きが間に合わず、時系列や内容が合わないかもしれませんが、およその経歴を紹介します。
 若い頃(25歳まで)は国家公務員、具体的には農林省の「農業技術研究所」の職員として、主に飼料(家畜の餌)の研究をしていたが、右足を痛め、勤務が困難になったのを期に退職され、故郷の安濃町に帰り、大借金(?)をして土地を購入、それまでの研究を生かすべく、畜産農家として再出発し、最初は乳牛、その後肉牛へと、平成7年まで続けられたそうです。
多分、どの牛が餌をどれくらい食べ、乳をどれくらい出したとか、気温との関係はどうであった、等克明に記録されたのが今日の基になったことは容易に想像できることです。
 博物館の中の博物館とも言えるこの「酔煙文庫」へ是非一度足を運ばれることをお勧めします。
 最後に「酔煙文庫」の名前の意味を謎解きますと酒もタバコもやらないで集めた大切な文庫ということなのだそうです。
 当日案内してくださったまんなか・まちかど博物館館長友の会 お助け隊、上田ますみさんにお礼申し上げます。
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その7 籐工芸 清水幸一

2007年01月09日 | Weblog
片田の「久保」という三重交通バス停の向いにある黒壁の日本家屋の玄関をあけると、そこは、籐製品の店先、大小いくつか、黒っぽく塗られた籐の花かごや鉢カバー、壁掛けなどが、整然と並んでいます。洋花や造花も自然素材の籐かごに活けられ、たたみの和の部屋にもしっくり溶け込んでいました。
 出てこられた清水さんは、端正なたたずまいの飾り気のない方でした。大正11年生まれ、82歳、初めは父親から編み方を教わり、若い頃、京都にて竹工芸氏鴨井氏に手ほどきを受けた後、藤堂藩お抱え家系の竹工芸師、加藤藤昇斎氏に学び、戦後、片田町特産の孟宗竹を素材として竹製品を製造、昭和40年後半から籐へと転化、工芸一筋にこられたとのことでした。
 籐は台湾やシンガポールを原産地とするヤシ科のつる植物で日本にはないものですが、水につけると扱いやすく、それまで培った竹工芸の特殊な技法を生かして、自ら工夫を加え、自然の美と人の技とが織り成す工芸品、商品商標「手作り工芸品美技」として次々と製品を生み出しました。25年程前には、夜なべをしても追いつかないくらいの注文があったそうですが、今は「あってもなくてもよいものは売れなくなった」と寂しそうでした。

加齢のせいで、作る数は減ったそうですが、やりだすと一日10個は軽々作れるそうです。
 今までよかったなあと思うことはの問いにも、 「えろないなあ」
しかし、年齢にみえない、しゃんとしたお元気そうなお姿に、秘訣をお尋ねすると「皆にそういわれるが、公民館へ籐工芸を、教えにいっとるのがええんかいなあ」と、はじめて、にこやかになられました。片田公民館で教えて、28年になられるそうで、「自分ひとりでしているのでない。教室の生徒さんと話したり、こんなん作りたいと聞くと、ああやったらええ、こうやったらええと、家へ帰ってきても、考えとることもある。手先も使うしな。年寄ったといって炬燵に入っとったんではあかん」
 やはりいくつになっても、人と交わることが、人生を楽しく生きるコツだと改めて教わりました。
様々な形や編み模様の籐製品の中から、花かごを手にとって見せていただくと、かっちりと編まれているのに軽くて使いやすそうで、清水さんの誠実なお人柄が伝わってきます。工芸品としての美しさを、用途、場所で生かすのは、やはり人のセンスです。清水さんは人と物との様々な出会いを見つめてこられたはずです。その中には、たくさんの喜びや、はりあいがあったことでしょう。「えろないなあ」のひと言は、初対面の私たちに対する、照れかくしだったにちがいないと思えてきたことでした。
 職人として、長年仕事をしてこられた清水さんの手のひらを見せていただいてくればよかったと悔やまれます。


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その6 飾り扇子工房 磯山次男

2006年12月29日 | Weblog
館長インタビューとしてあちこちの博物館へお邪魔するようになってこのお方で6人目。つくづく世の中には色々な特技を持った人、(もっと端的には変わった人)がおられるんだなあ、との念が強くなります。
 丹精込めて作られた綺麗な「飾り扇子」を材料費のみ(手間賃ゼロ)で、もう1万本以上も作っては差し上げている奇特な方。磯山さんの博物館へお邪魔しました。
 ご存知の通り、扇子の骨は竹で出来ています。この骨の部分は切ったり、削ったりと作業がハードで騒音や埃が出る為、車庫の隣の工房で行っています。素材としての竹は肉の厚い孟宗竹が適する。これを含水率の低い冬至前後10日間に一年分の量をまとめて伐採し、家の裏などの日陰に保存しておくそうだ。
 これを切って、割って、削って穴を開け、扇子の骨を作り、「要」のところに細いボルトを通して乾燥させる。これが前半の工程。
 後半は綺麗な座敷で座って出来る紙張りの工程。金額で比例すると前半が材料費只に対して後半は有料の化粧紙をいかに無駄無く、効率的に使うかの知恵勝負。
 「材料はこれです」と言って引き出しから出されたのは色も鮮やかな「浮世絵」や「錦絵」が印刷された和紙。紙屋さんから「新しいのが入ったよ」と連絡を受けるたびに見に行っては気に入ったものを買い込むのでもう何百枚も在庫があり、お客さんにその中から選んでもらうのが一番時間がかかってしまうと笑う。
四角い紙から半円形の扇子を切り抜いた残りを捨てるのが勿体無くて、一回り小さい扇子を作り、おまけで差し上げたり、奥様が他の手工芸品に利用したりと、夫婦揃っての共同作業。頭も体もまったく老いを感じさせないお二人。
「下手に値を上げて収入を増やすとその分年金を減らされる、それなら安くして皆さんに喜ばれたほうが気持ちが良い」と、一本500円という破格の値段を通しておられる。
 この扇子は色艶やかで見栄えがするため、何かお礼の記念品に、また、日本文化を象徴するものとして海外旅行先へのお土産として、20本、30本欲しいというお客さんの注文に応じるのが大変とのことです。 また、磯山さんの竹を扱うレパートリーは広く、竹人形、竹とんぼ、冬は凧作りのおじさんとして、小学校に招かれ、子供たちに作り方を教えるなどの活動が増え、最近では年中暇なしと笑っておられました。
 磯山さんの前職は職人さんたちが使う道具の販売店で外回りの営業。お客さんの作業場へ道具を売りに行くのだから道具の使い方を知っていなければ商売になりません。そんなことろから職人さんたちの技を見たり、真似したりで、自然にもの作りに親しむようになったそうです。その対象が「木」ではなく、何故「竹」になったかを聞き漏らしたのが残念です。同行した鈴木館長(なつかしの下駄博物館)はお気に入りの2本を格安のお値段で分けてもらってご機嫌の様子。役得々。
この磯山さんもたまに困ることがある。それは急な注文で、「何日までに何十本作って」と無理を言われることだそうです。
「メーカーではなくてボランティアです」と言って日を延ばしてもらう、まさにモテてモテて困る状態。博物館きっての売れっ子がこの方ではないかとインタビュアー3人の意見が一致しました。


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その5 水石の博物館 三宅孝さん

2005年08月23日 | Weblog
石を集めるのが趣味と聞いていたので、失礼ながら少し腰の曲がった初老の紳士を想像して伺ったのですが、出迎えに姿を現された三宅さんはスラッとした長身で髪はフサフサ、予想は見事に裏切られました。
「水石」、あまり聞きなれない言葉ですが、正確には「山水情景石」これを途中省略して「水石」と呼ぶそうです。歴史はきわめて古く、中国「宋」の時代まで、約1000年も遡るそうです。
石灰岩が地殻変動や火山活動などで変成され、長い年月を掛けて色、形、模様が作られる。供給されるところはすべて川原。県内は勿論、近県の川はほとんど歩き回ったそうです。
 何故そこまで石に拘るようになったのか伺ってみました。
 元は盆栽が趣味だったのですが、かなりの所まで懲り、何百鉢と育てていくうちに自然を表現するには石(岩)が必要になり、これを調べようと詳しい人を探すが誰に聞いても判らない。 仕方が無いから自分で研究しようと言うことになったそうです。
 そのうち同じ趣味を持った人たちの集まり、「愛石会」というグループが活動していると言うことを知り、現在はその会の副会長を勤められ、その同好者の雑誌も発行されておられます。
 三宅さんは「一人でできるからと言っていつまでも一人でやっていると自己満足に終わってしまい進歩が無い」、人前に出して批評され、他の人の作品を見て刺激を受けることが自分を養うと仰る。目や知識を養うことが大切だと言うことは趣味に限らず仕事の上でも同じことが言えます。工房へ閉じ篭って一人木工をしている筆者には耳の痛い話です。
〜三宅さんのもうひとつの特技〜
料理には器、花や盆栽には鉢、刀には鞘、生け花には水盤が必要なように、水石にも相棒が必要です。色、形、模様のすばらしい水石でも床の間へ直接無造作に置いたのではみすぼらしいだけです。
水石の下にその石だけにマッチした「台座」が欠かせません。この台座は石を引き立てるために謙虚で、それでいて存在感があり、安定感もあるというのが望まれます。材料としては桜、紫檀、黒檀などの硬い木が適し、これらを彫刻刀などで彫り出します。
同好者の中でもこれが出来る人は少なくて、三宅さんに依頼がきます。だから三宅さんは、グループにとっては無くてはならない存在だといえますね。
 但し、この彫刻作業は狭い工房にこもってする作業なので、長時間やっていると気分が滅入ってくるので、せいぜい半日を限度にしているとか。やはり楽しいのは川原を歩いて珍しい石を探す時で、三度のメシより楽しいと仰る。
 私たち大半の博物館は自分で作ったり、書いたり、描いたり、または買い集めたりしたものを展示している中で、川から拾ってきた物で博物館を開いているのはおそらく三宅さん一人ではないでしょうか。
「盆栽をやっていたころは庭においてある作品がよく盗まれましたが、石を趣味にしてから庭にゴロゴロ放置してあっても誰も盗っていかないので、最近は塀の上に置いてあるのですが、それでも無くなりませんねえ。」
いかにも盗られたいような口調でした。
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