現代を切る  ウィンストン・チャーチルと初代ハリファクス侯爵     

退職から9年。ブログを始めて4年。現実主義者として、歴史を紐解き、英国の二大政治家らの発言を下敷きにして記す。

小池都知事はバッハ会長の真意を理解した?  両者の会談に思いをはせ考えの違いを知る

2016年10月19日 18時09分45秒 | 時事問題
 国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長と小池百合子東京都知事が18日会談した。二人の主なやり取りを読むと、日本人と西洋人の考えの違いが明らかだ。
 留学経験があり国際通といわれる小池氏でさえやはり日本人だと感じた。ボート、カヌー・スプリント会場の見直しについて、気持ちを前面に出しバッハ氏を説得しようとしたが、見事に失敗した。情は通じなかった。その典型が「復興五輪」という言葉だった。小池氏が掲げる「復興五輪」にバッハ会長はアスリートファーストなどの「原則論」を展開。双方の見解の相違も浮き彫りになった。
 バッハ会長が小池都知事との会談で最も強調した部分は2カ所ある。
「成功のためには、運営の中心にアスリートを置く必要がある。アスリートこそが五輪大会の心であり、魂だ」
「必ず守らなくてはならない大原則は、公平な競争だ。3年前の大会招致で、他の2都市(イスタンブールとマドリード)に勝って東京が選ばれたのは、公平な競争をしたからこそだ。東京はあの時に、とても説得力ある持続可能かつ実行可能な案を出した。東京が開催都市として選ばれた後に競争のルールを変えないことこそ、日本にとっても、東京にとっても、そしてIOCにとっても、利益にかなっていると思う」
 バッハ会長が最も言いたかったことは「公平(フェアー)」だ。次に言いたかったことは「アスリートこそが五輪大会の心」。アスリーとあってのオリンピックだと言いたかった。
 特に前者は欧米人の大原則である。生活哲学である。社会倫理である。いくぶん情調的な「復興五輪」よりも大切な大原則である。
 オリンピックに立候補した当初、東日本大震災からの復興を前面に押し出して東京都は戦おうとした。趣意書に明記した。日本人的な発想からそうした。そうすることがアピールになると考えた。しかし、国際オリンピック委員会(IOC)のメンバーからの手ごたえがあまりなく、その旗を降ろした。その旗を降ろす方が得策だと東京都は感じた。彼らにとり「復興五輪」は誘致の弁法だったのだろう。
 古代ギリシャ五輪を復活させたクーベルタン男爵の趣旨は「世界の平和」であり、古代ギリシャ人の心を具現化することだった。「復興五輪」はその趣旨に合わないと合理的に物事を考える欧米人は考えたのは間違いない。
 誘致合戦のいきさつを知ってか知らずか、小池都知事は「復興五輪」を再び持ち出した。
 東京が2020年のオリンピックに選ばれたのは、コンパクトな費用で、東京都心を中心に五輪を実施することだったのではないのか。この構想で、スペイン・マドリッドとトルコ・イスタンプールよりも優れていたから選ばれた。それを当選後に変更するのは「フェアー」ではない。バッハ会長はそう主張している。
 筆者は会長の主張を理解する。「復興五輪」は二義的なことであり、「フェアー」は欧米社会や英国社会の人間間の大原則である。
 米英国人は戦争においても、正々堂々、同じ条件で戦いをやり、敗北すれば受け入れるという。フェアーに戦い敗れれば「しかたがない」と思うのだ。
 だから、宣戦を布告しない日本軍による真珠湾の奇襲攻撃は許せなかった。米国政府は宣戦布告文書が真珠湾攻撃前に米国側に手渡されなかったことを許さなかった。
 小池氏が同胞に「復興五輪」と言えば、日本人は多分にこの言葉から発せられる「被災者への思い」を感じ取り、もろ手を挙げて賛成するだろう。原則論を脇に置いてしまうだろう。多くの日本人はどうしても感情が優先して、大局から物事を判断することができない。
 小池氏が「復興五輪」を持ち出したほかに「最近の世論調査では、五輪費用などの見直しに80%以上が賛成だ」とバッハ会長に話し、会長の同意を取り付けようとした。バッハ会長は理解しなかった。
 小池氏は「大衆の賛成がイコール民主主義だ」と勘違いしたのだろう。そう言えば、バッハ会長からお墨付きが得られると思ったのだろう。「ルールを変えないことが利益にかなう」と諭すバッハ会長に、「都民の納得が必要」と切り返す東京都の小池都知事の言葉に彼女の民主主義観が如実に表れている。
 小池さんだけではない。日本の政治家も国民も民主主義について本当に理解していないのだ。世論が民主主義制度のすべてだと思い込んでいる。世論が「神様」だと信じている。無理もない。日本人はこの制度を輸入したにすぎないからだ。
 バッハさんは、なぜ小池氏はリーダーシップを発揮して五輪の趣旨を説明して都民を説得しないのかと不思議に思っただろう。確かに、大衆や有権者は民主主義を構成する重要な一部であるが、すべてではない。政治家のリーダーシップ、議論、説得、妥協なども大切な一部だ。
 チャーチルは、民主主義制度はアングロサクソン人社会だけで機能する制度だと自負した。筆者は悔しいがそう思う時がある。
 第2次世界大戦中の1941年9月30日、チャーチルは議会下院の首相答弁でこう話した。「ギャロップ(の世論)調査の移り気な状況ほど危険なものはありません。特に戦争中には言えることです。調査はいつもその時々の人々の衝動と気分を表しています。・・・今日、私が英国民から好意的に見られているのなら、それはわたしがこれまで世論に従ってきたからではありません。・・・わたしの政策は職務と職責から生じており、それは唯一の安全な道だと確信するからであります。正しいと考えることを試みているのです。諸君が正しいと信じることに従って行動し、(それについて国民に)話すことを恐れてはなりません。それこそ、この(ヒトラーとの闘いの)難事において偉大な国民(英国民)の信頼を勝ち得ることであり、信頼を得る唯一の道であります」
 バッハ会長は「もったいない」の精神で今後とも密接に協力し、大会運営の最善の方法を模索したいと語った。東京都知事の主張する「経費を節約すること」には賛成だと言っている。ただ、「フェアー」でなければならないとも述べている。
 バッハ会長の見解を総合的の判断すれば、暗に計画通り「海の森水上競技場」での開催を求め、その中で「節約」を考えよ、と力説しているのだ。そのために、小池都知事は大衆にリーダーシップを発揮して説得してほしいと願っていると思う。それが民主主義社会の政治家ではないのかと暗に強調しているのだ。
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