現代を切る  英宰相ウィンストン・チャーチルからの批評     

退職から9年。ブログを始めて5年。現実主義者として、歴史を紐解き、英国の大宰相、チャーチルらの発言を下敷きにして記す。

中国共産党から何を学ぶべきか    劉暁波氏追悼に思う

2017年07月15日 20時47分30秒 | 中国の政治体制
「劉暁波氏の冥福を祈る」のブログを昨日記した。一日が過ぎ、世界の人々が彼の死に哀悼の意を表している。英国のBBC放送ワールド・サービスでも劉氏の友人や識者から悲しみの声がマイクを通して世界中に発信されている。しかし中国共産党は世界の声を無視している。
 劉氏の支援者によると、中国当局は劉氏が死去した13日夜に「すぐに火葬し位牌を海にまく」ことを同意するよう家族に求めたが、家族は「遺骨と位牌は返してほしい。わたしたちの権利だ」と拒否したという。(朝日新聞15日朝刊)
 言語道断の要請であり、共産主義者の独善の最たるものである。ほかの窓からののぞけば、中国共産党が劉氏を死しても恐れている証拠だ。中国政府は墓がつくられれば、支援者がそこへ集まり、中国人民主主義者のシンボルになることを恐れている。
 中国古代の書籍「三国志」に蜀の名政治家、諸葛亮孔明が戦場で亡くなった直後、孔明の遺訓に従い、蜀軍は彼の人形を先頭にして魏軍に向けて前進した。この蜀軍の動きを見た魏の名将、司馬懿仲達は孔明がまだ生きているとみて全軍に退却を命じた。後世の人々は「死せる孔明、生ける仲達を走らす」と述べた。まさに死せる劉、生ける中国共産党と周近平を走らすということだろうか。
 ナチス・ドイツとヒトラーを誰よりも憎んだ英国の名宰相ウィンストン・チャーチルは共産主義も同様に憎んだ。チャーチルは共産主義や社会主義者について「そうしてはいけないと学ぶ以外に何ら学ぶべきことはない」と切り捨てた。筆者も偉大なチャーチル首相のこの教えを学んだ一人だ。
 人々の個性を殺し、主義主張の奴隷となっている共産主義者から何を学ぼうというのか。そして現在の中国共産党はある意味において共産主義者ではない。人間の本性に反した共産主義の理論さえ捨てている。中国を独裁支配するという自らの既得権にしがみつく集団である。だからこそ周指導部と共産党は「政府批判につながる可能性を秘めた劉氏の墓をつくらせず、遺骨と遺灰を海に散骨するように遺族に強要しているのだ。
 この6~7年間、強大化する中国(共産党)に国際社会は弱腰になってきた。それは1930年代の英仏がナチス・ドイツに弱腰だったことと共通する。ヒトラー・ドイツが手に負えなくなったとき、ナチス・ドイツがポーランドに侵略を始めたとき、英仏はやむなくドイツとの戦争に突入し、何千万人もの犠牲を払い、自由と民主主義を守った。
 世界の自由・民主主義国は中国をどうすることもできないところまできた。核兵器がある限り、武力で中国共産党の考え方を変えることはできない。また戦争で中国共産党員の思想を変えるなどと考えるのは愚の骨頂であり、非現実的だ。われわれは中国の民主主義・人権活動家を支援し、中国大衆を啓蒙し、偉大な中国という国が多党制による民主主義と自由を謳歌する国になることを望まなければならない。
 中国共産党は劉氏の投獄についての民主主義国家の抗議に対して「彼は中国の法律を犯した犯罪者だ。(米国などを念頭に)関係各国の態度表明は中国の司法主権と内政への干渉だ」と反発する。共産党の窓から見れば、確かに言い分はわかる。しかし、その思想そのものが歴史の流れに逆行しているのだ。自由と民主主義は1789年のフランス革命以来、人類が苦難の闘争の中で勝ち得た素晴らしい制度と信条であるからだ。
 

追伸:このブログはあくまでも筆者の見解です。ブログを書く場合、できるだけ、一部分見解を述べても、反対論者の意見などを入れ、主観的になることを避けてきました。しかし、このブログは筆者の主観中心のブログだとの前提でお読みください。
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