現代を切る  英宰相ウィンストン・チャーチルからの批評     

退職から9年。ブログを始めて5年。現実主義者として、歴史を紐解き、英国の大宰相、チャーチルらの発言を下敷きにして記す。

銭湯は日本文化のふる里  英紙「ガーディアン」が報道

2017年08月23日 20時43分38秒 | 国民性
 「この数世紀の間、日本の銭湯は隣人同士が裸で風呂に入る社交場だった。脇目も振らずに近代化をに邁進し、それを達成した1964年の東京オリンピックまで、東京に住む人々の40%は自宅に風呂がなく、何百万もの人々が銭湯に通っていた。そんな時代はとっくの昔に霧の彼方に消え去り、東京の空に林立した銭湯の煙突はどこを探してももはやない」
 英紙「ガーディアン」は8月10日付紙面で銭湯をこう紹介している。かつては東京で2700軒あった銭湯は現在、600軒を割り込んでいる。経営者の大多数は年配者だ。老夫婦が経営していると言っても言い過ぎではない。
 この状況の中で、物珍しさも手伝ってか、外国人観光客の銭湯行きが毎年、増えているという。銭湯経営者は外国人の誘致に熱心なだけでなく、銭湯にゲームを取りそろえたりして、日本の若者にも来てもらおうと頭をひねっている。
  240年以上前の安永2(1773)年に開業した東京都・葛西にある銭湯「あけぼの湯」の経営者の島田テルオさんはガーディアンの記者に「銭湯は今や体を洗う場所ではなく、年金受給者の社交の場です。ビールや酒を飲み、大きなテレビ画面で相撲を観戦しています」と話したが、銭湯の未来は暗いと強調している。
 島田さんは娘さんを見合いさせ、お婿さんと銭湯を引き継いでもらおうとしたが、娘さんにその気はなく、19代目の島田さんが最後の経営者になる可能性が強いという。
 英紙が銭湯に一陣の日本精神を見ると表現しており、消え去る運命にある銭湯を残念に思っていることが行間から読み取れる。
 筆者も子どもの頃、よく銭湯に行った。番台に経営者の女将さんや娘さんがいた。ニコニコ笑みを浮かべながら、近所の人と冗談を言い合っていた。そこに、英紙が述べるような「日本精神」がなかったとしても、日本人の国民性があった。「あった」というより、銭湯が日本人の国民性を育んできたのかもしれない。もちろん銭湯だけが国民性を育ててきたのではないが、それも一つの要素だったことだけは明らかだ。つまり助け合い、互助精神だ。
 われわれ日本人から見れば、この助け合いの精神が次第に薄れているように思えるが、外国人は日本人の親切に驚き、賞賛する。特に、中国政府に反日をたたき込まれた中国人が日本を旅行し、日本人の心に触れて感激するという。
 筆者の独断だが、中国人ほど個人主義者はいない。一つの価値観念を強いる共産主義社会に中国人ほど適応できない民族はいないと思う。日本人のほうがこの忌まわしい制度に適応できるのではないだろうか。個人主義者がこんな社会に投げ込まれれば、汚職や賄賂の横行は火を見るよりも明らかだ。
 中国旅行者や外国旅行者が賞賛する日本人の親切や協力を育んだ銭湯がなくなるのは寂しいかぎりだ。だがたとえ銭湯がなくなっても、日本人の親切心や、協力の心、他人を思いやる心などの美点は子から孫、ひ孫へと伝えていってほしいと願う。
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