現代を切る  ウィンストン・チャーチルと初代ハリファクス侯爵     

退職から8年。ブログを始めて4年。現実主義者として、歴史を紐解き、英国の二大政治家らの発言を下敷きにして

リスクをとった小池氏を都民は支持     都知事選に思う

2016年07月25日 09時44分21秒 | 都知事選挙
 東京都知事選(31日投開票)について都内の有権者に電話調査(23、24の両日)した朝日新聞社を読み、都民の心を理解した。元防衛相の小池百合子氏が優勢で、元総務相の増田寛也氏が追っている。ジャーナリストの鳥越俊太郎氏は苦戦している。投票態度を明らかにしていない人は4割いるにしても、都民が、なぜ小池氏に共感を抱いているのか推察できた。
 小池氏の政策よりも彼女の勇気に都民は共感したのだと思う。リスクをとった勇気が都民の心をつかんだのだと感じた。彼女は自公の公認が得られるかどうかまだ分からないときに立候補の意思を明らかにした。自民党の東京都連の幹部から反発が上がった。石原伸晃一・都連会長から批判を浴びた。
 一方、増田氏は自公の後任が得られるまで、立候補するかどうかの意思表示をしなかった。迷っていたのならともかく、明らかに立候補したいと思っていた。しかし元官僚(建設省)だけあってリスクをとらなかった。筆者は官僚出身者がすべてリスクを嫌う人々だとは思わないが、大多数はリスクをとらない「種族」だと思っている。批判しているのではなく、官僚という職業は、着実に仕事をこなすことを求められ、リスクを求められないからだ。
 官僚の上に君臨する政治家はリスクと勇気を求められる。官僚を采配する政治家は時として勇気を出し、果敢にリスクを取って行動することを求められる。日本停滞の一因は、多くの与野党議員が官僚出身者だということだ。
 官僚出身の政治家を見ていると、本当にリスクを取らない。彼らの出身職業がそうさせているのだろう。イニシアチブを取らず、ほかの人が歩んだ道を歩きたがる。この意味で、日本人の悲劇は、真の政治家を持たないことだ。
 朝日新聞によれば、投票態度を明らかにした人を分析したところ、前自民党衆院議員の小池氏は、党に出していた推薦依頼を取り下げて立候補したが、自民支持層の5割強の支持を得て、無党派層も5割弱を取り込む。年代別では、30、40代と60代の支持の厚さが目立つ。
 増田氏は、推薦を受ける自民支持層の支持が4割にとどまり、公明支持層の多くをまとめたものの、一部が小池氏に流れている。野党統一候補の鳥越氏は、民進支持層の支持が6割強にとどまっている。共産支持層からは大半の支持を得ているものの、無党派層の支持は3割ほどだ。
 東京都民は勇気を出してリスクを取る本当の政治家を求めているにちがいない。小池氏が現実に足の着いた政策を具体的に示せるかどうかで、都知事の椅子を獲得できるのではないだろうか。
 一方、ジャーナリストの鳥越俊太郎氏は苦戦している。福祉の充実を訴えてはいるが、護憲や脱原発も街頭演説で話している。リベラルな思想を持った鳥越氏の目から景色を眺めれば、彼の主張も理解できるが、都民は護憲や脱原発についてあまり関心ないように思える。彼らが考えているのはクリーンな政治をしてほしい。財政を悪化させるリスクを冒しても、果敢な政策を実施してほしい。待機児童問題や保育園の拡充など東京都の庶民生活に密着した問題を促進してほしいと願っているのだろう。
 あまり良い例え方ではないが、選挙を戦争に例えるとしよう。第2次世界大戦中、英国民を率いたウィンストン・チャーチルは同僚政治家や国民を激励し、「イニシアチブをとれ、リスクを受け入れよ。戦争では何も確実なものはない」と強調した。
 小池氏が増田氏をリードしているのは、東京都民がリスクを取って果敢に都知事選に挑戦した勇気に注目しているとみたい。
 3氏のほかに高橋尚吾、谷山雄二郎、桜井誠、マック赤坂、山口敏夫、山中雅明、後藤輝樹、岸本雅吉、上杉隆、七海ひろこ、中川暢三、関口安弘、立花孝志、宮崎正弘、今尾貞夫、望月義彦、武井直子、内藤久遠の各氏が立候補している。

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中国共産党は将来、必ず滅ぶ  南シナ海をめぐるハーグの仲裁裁判所の判決に思う       

2016年07月13日 14時55分27秒 | 中国と世界
 オランダ・ハーグの仲裁裁判所は12日、中国の南シナ海での主権の主張を退け、南シナ海をほぼ囲い込む境界線「九段線」は「歴史的な権利を主張する法的根拠はない」などとする判決を示した。ハーグの仲裁裁判所に中国の不法を提訴したフィリピンは全面的に勝利した。
 一方、中国国営の新華社通信によれば、中国の王毅外相は、「仲裁案は、法律の衣をまとった政治的茶番劇だ」と非難、「判断は、地域の平和と安定に役に立たず、中国とフィリピン両国の共通利益にそぐわないものだ」と述べ、改めて判断を受け入れない姿勢を示しました。
 フィリピン外相は仲裁裁判所の判決を歓迎しているが、先月末に就任したドゥテルテ大統領は、「(仲裁手続きの結果が)フィリピンに有利な場合も、話し合おうではないか」と中国に呼び掛けるなど、アキノ前政権が回避してきた中国との2国間協議に前向きだ。経済支援や鉄道網整備と引き換えに、領有権問題を棚上げし、係争海域での中国との共同資源開発も容認する姿勢だ。
 アキノ前政権と違って、ドゥテルテ大統領は主権の問題で中国と取引しようとしている。中国はドゥテルテ大統領の商人的気質を利用して、比国政府に経済援助の甘い飴をしゃぶらせ、南シナ海をわがものにするだろう。ドゥテルテ大統領は国家の核心的な利益である領土をソロバンの材料にしようとする愚を犯すのかもしれない。
 日本のメディアはリベラルも保守系新聞もそろって、「南シナ海仲裁裁 中国は判決に従う義務がある」(読売新聞)、「南シナ海判決 中国は法秩序を守れ」(朝日新聞)と中国政府に勧告している。
 筆者は中国の習近平政権を観察していると、戦前の日本の歩みに似ているように強く感じる。欧米列強に独立を踏みにじられそうになった日本が必死で近代化していく19世紀後半。そして日露戦争に勝利し、世界の5大国として自己主張をはじめ、自らの国力を顧みることなく、アジアの主導権を握ろうとし、中国を侵略。中国を支援した米英と衝突し、奈落の地獄へ落ちていく悲惨な道だった。1945年8月15日、日本はすべてを失った。今日、中国は日本と同じ道をたどっているとしか思えない。中国政府と国民は、かつて日本から受けた悲惨な被害から日本を憎んでいる。ことあるごとに日本を批判する。時として不当極まる攻撃もする。筆者は中国共産党と幹部に忠告する。日本ばかりに目を向けて批判しているうちに、足元の土が崩れ始めているではないか。
 習近平政権が「日本の軍国主義を決して忘れない」「侵略を忘れない」と繰り返し述べ、日本を批判する前に、現在の自らの行動が戦前の日本の侵略行動と似ていることに気付くべきである。多分、気づいているにちがいない。中国は判決を無視する構えだが、主権を巡る主張の根拠が否定されたことになり、外交的に厳しい立場に立たされるのは必至だ。
 中国が判決前、南シナ海の実効支配を誇示しようと、大規模な軍事演習を実施したことも看過できない。南シナ海の権益確保に躍起になるのは、戦略原潜の拠点として利用するなど、軍事面で米国に対抗する意図があるのだろう。
 日本は戦前、中国東北部(旧満州)を侵略、当時の蒋介石国民党政府が従わないとみるや、中国本土(華北、華中、華南)へと侵略を繰り広げて行った。現在、中国はベトナム、フィリピンの領土を事実上侵略し、日本の尖閣諸島をも狙っている。
 想像力を膨らませれば、中国は、戦前の日本と同じように、ますます国際的な孤立を深めていくだろう。英宰相ウィンストンチャーチルはアイゼンハワー大統領の若きスピーチライター、ジェームズ・ヒュームズに「歴史を勉強しなさい。歴史から学ぶものがたくさんある」と言った。
 中国も日本に「歴史を学べ」と説く。中国の「歴史を学べ」は自国に都合のよい「学べ」だ。そのような「学べ」ではなく、中国がチャーチルの言葉「過去の過誤と成功に学び、それを現在と将来に生かせ」を肝に銘じるべきだ。そうでなければ中国共産党は将来、必ず滅びるだろう。中国は危機に直面するだろう。
 チャーチルは晩年、第2次世界大戦中に秘書として仕えてくれたジョン・コルビル卿に「わたしはソ連の崩壊を見ることなくこの世を去るだろう。しかし君はソ連の崩壊を見られるだろう」と話した。チャーチルは政治制度における歴史の中心的な流れは民主主義と自由だと喝破していた。旧ソ連のような全体共産主義国家、一党独裁制国家は必ず淘汰されると読んでいた。コルビル卿はベルリンの壁が崩壊する2年前に死去した。1991年ソ連は崩壊した。
 旧ソ連の崩壊を目の当たりにした鄧小平ら当時の指導部は、共産主義独裁制の維持を血眼になって探し出し、経済を資本主義にして政治の一党独裁を維持した。習近平ら彼の弟子はそれを引き継いでいる。しかし、どう考えても、自由主義経済と政治制度である共産党一党独裁は矛盾する。民主主義と自由の中でこそ資本主義経済は花開くのだ。
 中国社会は現在、矛盾だらけだ。共産党は言論を弾圧し、国内の少数民族を弾圧し、上意下達の硬直した政策を推し進めている。そこには自由な発想と言論のぶつかり合いがない。政府への批判もない。中国共産党と御用メディアは「国民の政府批判と政府の誠実な説得と反駁」が政府と国民を最後には一致団結させることを知らない。いかなる困苦にも耐え、国家が難局を切り抜ける唯一の政策だとは理解していない。それは彼らが投票ではなく「鉄砲」で政権を奪取したからにほかならない。
 ほころびは中国社会のあらゆる階層に出てきており、そのほころびはこれから大きくなるだけだろう。共産党独裁と、そこから富を蓄積してきた共産主義者には先見性も勇気もない。想像力もない。ただただ彼らにとり唯一の強力な拠り所であり味方は「武器」「懐柔」「脅し」という古典的な手法だけであり、彼らの頭脳は100年遅れている。中国共産主義者は最後まで「力」を信奉し、それに基づいて行動するだろう。しかし恐怖の核時代の中で、中国がしゃかりきに軍備を増強し、核弾道を増やしても、民主主義と国際協調という大きな歴史の流れがが大河となって中国共産党は飲み込むだろう。第1次、2次世界大戦の戦間期に、日本の政治指導者や軍部政府がこの歴史の流れに気づかず、依然として日清・日露戦争の国際環境だと勘違いして滅んだように、中国共産党も滅亡するだろう。

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議論なき憲法改正を憂慮   参議院選での与党大勝に思う

2016年07月11日 11時15分43秒 | 政治
 参院選は自公の与党が大勝し、非改選も含め、改憲に前向きな自民党(追加公認1人を含む)、おおさか維新の会、日本のこころを大切にする党の3党と無所属、「加憲」を掲げる公明党の合計議席が、憲法改正発議に必要な3分の2(162)に達した。
 安倍晋三首相は10日夜のTBSの番組で、憲法改正について「この選挙で是非が問われたとは考えていない。今後、与野党関係なく憲法審査会でしっかり議論してほしい」と述べた。
 朝日新聞社が10日に全国で実施した参院選の出口調査で、今の憲法を変える必要があるかどうか尋ねたところ、「変える必要がある」は49%で、「変える必要はない」の44%よりやや多かった。一方、比例区で自民、公明、おおさか維新、日本のこころを大切にする党の「改憲4党」に投票をした人でも、「変える必要はない」が3割を超えていた。
 戦後、社会党(現在の社民党)が築いてきた憲法改正をめぐる厳しいハードルが崩れ去った。まさに戦後政治の分岐点を迎えた。時が変化したと思う。
 筆者は憲法を不磨の大典だとは思わないし、歴史が変化して国民の生命と財産が危機に瀕するとあれば、拳法を変えなければならないと確信する。もっと明確にいえば筆者は憲法9条の一部を改正し、中国の国防と領土拡大の脅威にたいして、抑止できる軍事力を準備し、自衛隊の位置を憲法に銘記すべきだと考える。しかし前提がある。それは国民の間に議論が沸き起こり、安倍首相がその議論を巻き起こす導火線となり、議論の輪に飛び込むことが不可欠だ。
 『首相は憲法改正について、選挙前は「自分の在任中には成し遂げたい」とまで語っていたのに、選挙が始まったとたん、積極的な発言を封印した。それでいて選挙が終われば、再び改憲へのアクセルをふかす――。首相は自らの悲願を、こんな不誠実な「後出し」で実現しようというのだろうか』。11日付朝日新聞は社説でこう述べている。
筆者はこのブログでたびたび安倍首相を批判してきた。それは彼には勇気がない。リスクをとらない。批判を恐れる。リーダーシップがない。正直ではない。政治家の資質として不可欠なこれらの事柄が欠落しているからだ。
 安倍首相が今回、憲法改正への意欲を積極的に語らなかったのはなぜか。 「2010年に憲法改正案の発議をめざす」と公約しながら07年の参院選に惨敗。退陣したトラウマがあるからにほかならない。首相は、憲法改正を具体的に語れば語るほど、世論の反発が大きくなると思っているにちがいない。
 ここが偉大な政治家と平凡な政治家の違いである。一流の政治家と二流、三流の政治家の違いである。第2次世界大戦中、英国民を率いたウィンストン・チャーチルは1930年代、野党ばかりでなく自分が所属する保守党議員からも疎んじられ、煙たがられながらも一貫して独裁者アドルフ・ヒトラーが率いるナチス・ドイツの軍事的、政治的脅威を説き続けた。「戦争屋」とメディアから叩かれても、自らの信念に従い、英国軍、とりわけ空軍の戦力強化を国民に訴え続けた。
 国民は1938年晩秋までチャーチルの声に耳を傾けなかった。しかし、ヒトラー・ドイツが自ら進んで結んだミュンヘン協定を破棄してチェコスロバキア(現在はチェコとスロバキアに分離独立)のプラハに進駐したとき、自らの誤りに気づき、チャーチルを支持し始めたのである。
 これに対して安倍首相は「自らの本意」をアベノミクス経済政策で隠し、国民が関心をもつ経済政策や社会福祉政策、子育て支援に声を大にしてがなり立てている。
 また首相は、改憲案を最終的に承認するのは国民投票であることなどを指摘して「選挙で争点とすることは必ずしも必要ない」と説明した。
 朝日新聞は言う。「それは違う。改正の論点を選挙で問い、そのうえで選ばれた議員によって幅広い合意形成を図る熟議があり、最終的に国民投票で承認する。これがあるべきプロセスだ。国会が発議するまで国民の意見は聞かなくていいというのであれば、やはり憲法は誰のものであるのかという根本をはき違えている」
 要するに、一言で言えば、安倍首相と自民党は議会制民主主義の根幹を理解していない。「議論、議論、そして理解、理解」してこそ国民と政府が心を一つにすることができ、万一の困苦に立ち向かうことができるのだ。
 第2次世界大戦が始まって約10カ月後、ドイツのルフトワフェ(空軍)数千の爆撃機と戦闘機がロンドンを空襲、ロンドン市民を殺戮し、建物やビルを破壊した。チャーチル首相はこの「バトル・オブ・ブリテン(英国の戦い)」の最中、64回にわたりロンドン市街に足を運び、ロンドン市民を激励し、「苦労をかける」と詫びた。それに対して市民は異口同音に首相を逆に励ました。「首相、われわれは耐えます。共に戦いましょう。ヒトラーとドイツ軍に倍返しで打撃を与えましょう。子どもや孫のためにわれわれの制度(議会制民主主義制度)を死守しましょう。」。逆に国民から励まされたチャーチルの目はうるんでいたという。
 国民と首相の固いきずなは、チャーチルが1930年代に国民や与野党政治家の批判にひるむことのなく、自らの主張を訴え続けたからである。安倍首相と与党は国民からの反発を恐れ「改憲隠し」をし、姑息な手段で憲法を改正しようとしている。
 国民も国民だ。有権者も有権者だ。彼らには好奇心がない。今回参政権を認められた19歳の若者は「選挙に興味がない」と言って投票所に足を運ばなかった。彼には「好奇心」がないのだ。「好奇心」は人間の「ものの見方」を向上させる。想像力をかき立たせる。チャーチルほど好奇心を抱いていた人物はいない。命の危険にさらしてまで、他人から要請されもしないのに、ボーア戦争の従軍記者になり、第1次世界大戦では、トルコのダークネルス・ガリポリ作戦失敗の責任をとり海軍大臣を罷免されると、自ら陸軍少佐としてフランス戦線に赴いた。こんなエピソードがたくさんある。この根底に流れているのは「好奇心」だ。
この参院選挙の結果で一気に進むほど憲法改正は容易ではない。改憲4党といってもめざすところはバラバラで、とりわけ公明党は慎重論を強めている。憲法改正に必要な「国民投票」は大衆迎合的な形になる公算がこのままでは大きい。それでも、安倍首相は念願の憲法改正へ向かって進むだろう。改憲が現実味を帯びながら進められていくのは間違いない。
 政府、与野党議員、国民が真剣に憲法改正問題を議論しなければ、日本国民の団結が失われ、大きな禍根を残すだろう。世界から日本人は未成熟な民主主義国民だと言われるだろう。筆者は国民と政府、与野党が真剣にこの問題についての議論を始めるまで、憲法改正、とりわけ9条改正に反対する。

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日本人は過去を振り返らない  イラク戦争参戦をめぐる英国・調査委の発表に思う   

2016年07月08日 11時08分13秒 | 時事問題
 英国の独立調査委員会(チルコット委員会)は6日、同国のイラク戦争参戦とその後の経緯についての調査結果を発表した。報告書は、当時のブレア政権(労働党)がイラクのサダム・フセイン大統領の脅威に過剰に反応し、準備不足の英軍部隊を戦地に送り出したと批判。戦後の計画は「まったく不十分だった」という見解を公表した。
 独立調査委員会のサー・ジョン・チルコット委員長の記者会見を受け、ブレア元首相は約2時間に及ぶ記者会見で「開戦当時の情報分析は、結果的に誤っていた。戦後の状況は、予想をはるかに超えて敵対状況が激しく、流血にまみれて、長く続いた。(略)我々はイラクの人たちをサダムの悪政から解放したかったのだが、その国は代わりに宗派対立によるテロリズムに苦しむようになってしまった」と認めた。
 これに対して、朝日新聞は8日付社説で「国民の求めに応じて政府が設けた独立調査委が、政治家や官僚の抵抗に屈さず、過ちを暴いた努力は評価されるべきだ。・・・過去の政策を冷徹に評価し、過ちを繰り返さない努力を尽くす責任は、どの国家にもある。残念ながら、日本政府にはその自覚がうかがえない」と述べている。
 さらに社説は「そもそも安倍首相が昨年夏の国会答弁で、イラク戦争について、フセイン政権の責任を強調し、米英などの武力行使は国連安保理決議で正当化されていたとの認識を示している。戦争を主導した米英も過ちを認める開戦の根拠について、安倍首相はじめ日本政府はいまだに正当化し、自ら加担した責任も認めようとしていない」と自民党政府を批判している。
 朝日新聞の主張に共感するが、この思考形態は、理想主義者で未来ばかり見つめる日本人の国民性を映し出している。空虚な理想論に飛びつく日本人は多いように思う。理想が明日にも実現するかのような演説をする政治家も多い。そしてこのような政治家は大衆からの受けが良い。また、日本人は良いことも悪いことも、しばらくすると忘れ去る。忘却の彼方に追いやる。「人のうわさも75日」ということわざ通りだ。過去を忘れやすい国民性がある。広島・長崎の老いた被爆者は原爆の悲惨さと恒久平和を訴える裏には、日本人の過去への健忘症があるからだ。
 イラク戦争が始まった時の日本の首相は小泉純一郎氏だ。小泉内閣は、イラク戦争の開戦後、直ちに米英にもろ手を挙げて支持表明した。「日米同盟ありきの判断だった」ように思える。そこには思考の「思」の字もなかった。日本人は自考し、自ら信じる道を進む国民ではないように思う。
 何でも他人を見て行動する。何か品物の売れ行きが良ければ、なりふり構わず、自らも店に行ってそれを買おうとする。流行に敏感で、流行に乗り遅れることを嫌がる国民でもある。ベストセラー本が出れば、読まなくても買う傾向が強いのが日本人だ。取り残されると感じるからだろう。
 なぜなのだろうか?筆者は思う。われわれの受けた教育は偏差値重視で、物事を考える教育ではなかった。横並びを重んじ、一風変わった意見を持ち行動する人々、その不文律に反する人々は子どもだろうが大人だろうがいじめられる。明治政府が「欧米列強の文明国」に追いつこうとして、結果だけを求める教育を始めてからの悪癖である。徳川幕藩体制下の江戸時代の教育は「考える」「思考」する教育だったという。
 朝日新聞の社説はイラク戦争への日本政府の関与と無反省を批判し、「(その)疑念がぬぐえないまま今年、安全保障法が施行された。自衛隊が米軍と一体化した軍事行動をとるシナリオはより現実味を帯びている」と憂慮する。また「『米国の戦争に巻き込まれることはない』。安倍首相の断言に説得力をもたせたいなら、日本にとってのイラク戦争を検証することから始めるべきだ」と主張する。
 日本人の国民性から考えれば、「イラク戦争を検証」することは未来永劫ないだろう。太平洋戦争(大東亜戦争)を、まだ真の意味で反省していないのだから。太平洋戦争は「アジア解放の戦争」だとか「侵略戦争」だとか、うわべだけの言葉を並べているうちは、日本人は決して反省をしていないのだ。日本人は反省という意味を理解していないと思うことさえある。「終戦」とのたまわっているうちは「反省」していないということだ。「敗北した」という出発点から「反省」が始まる。
 英国の独立調査委は7年間もの時間を費やして調査した。それは英国がイラク戦争に敗北したとは言えないまでも、勝利からほど遠い形で終結したからだ。イラク戦争後の中東はイラクやシリアの混乱とイスラム国(IS)のテロで無茶苦茶だ。そのことも反省材料なのだろう。筆者がよくこのブログで言う「当初考えた青写真通りに将来必ずしもことは運ばない。それどころか考えてもみなかった最悪の状況に至ることがよくある」ということだろう。
 英国人は過去を見つめ、過誤を現在と未来に生かすのに長けた国民だと思う。筆者が若い頃、7年間におよぶ滞英生活の中で交わった多くの英国人から感じたことだ。筆者はそのことを英国人から学び、その体験を本にした。過誤から学ばない民族や国民は将来、再び同じ失敗を必ずする。それは命に係わる致命的な失敗にもつながることを肝に銘じたい。

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リスクを取り勇気を示せ    ウィンストン・チャーチルの助言に思う

2016年06月28日 09時10分02秒 | 人物
 20世紀最高の政治家の一人といわれるウィンストン・チャーチルほど勇気を示し、リスクを取った政治家はいない。2002年の英国放送協会(BBC)の番組「100人の最も偉大な英国人」で、英国民が投票した結果、ウィンストン・チャーチルが一位になった。確かに、チャーチルは白人優越の人種差別発言をしばしばおこない、今の政治家と違って世論調査を軽視し、自らの信念に従い、大衆の抗議に強硬な姿勢を示した。そして何よりも大英帝国の永続を望んだ帝国主義者だった。現在の価値観から判断すれば無慈悲な面もあった。存命中に同僚下院議員や有識者、大衆から批判を受けた。それでも英国民は今日に至るまでチャーチルを英国の偉大な指導者だとみなしている。なぜだろうか。
 その大きな理由の一つはチャーチルが勇気をもって失敗を恐れずリスクを取ったからだろう。現在の日本の政治家にない資質であり、英国のほとんどの政治家からもなくなってしまった政治資質だ。今日ほど政治家が大衆に迎合し、大衆の顔色をうかがい、世論調査に振り回されている時代はない。リスクを取らない、勇気がないほかに現代の政治家に欠けていてチャーチルが持っていた特質は国民を説得する弁舌だろう。チャーチルは国民の意見と対立した時、必ず大衆の前に現れ、その雄弁を持って大衆の心をつかんだ。そして約束を守った。約束を反故にするときは正当な理由を話した。 
 チャーチルは1932年1月4~5日にデイリーメイルに寄稿した小論文にこう記している。「自然は慈悲深く、人間やほかの動物がどうすることもできないことをあえて試すことはありません。・・・(だから)リスクをとって生きなさい。何が起こっても逃げないで立ち向かいなさい。勇気を持ちなさい。(そうすれば)すべてはうまくいくのです」
 チャーチルは生涯、少なくとも5回死に直面した。それは交通事故、戦場、病気などだ。また少なくとも6回総選挙に落選した。このような体験から、15年以上チャーチルの身辺警護を担当したトンプソン警部に「死は神様の領域。死ぬ時が来れば死ぬ」と話している。つまり死を自らコントロールできないと述べている。これは、英国が存亡の危機に瀕し、ナチス・ドイツの数千の爆撃機が連夜、ロンドンを空爆、それを屋根裏部屋からハシゴで屋根に上がって状況を観察していたおり、警部が「首相!危険ですから屋根から降りてください」と懇願したときの言葉だ。
 チャーチルは1934年6月、英雑誌「アンサーズ」にも「わたしはいつもリスクをとる」のタイトルで寄稿し、その冒頭にこう記している。「われわれは今日、『安全が第一』という言葉をよく聞く。道路を横断するときに従う素晴らしい原則である。・・・また『安全が第一』を志向する政治家の政治活動にも非常に役に立つだろう。しかし、そんな政治家は閣僚になることを目的とし、閣僚に引き上げられれば、そのポストを多年にわたって保持することに努め、際立った仕事もせず、閣僚の責任だけを果たし、内閣維持の保証者として働くだけなのだ。しかし生涯にわたって『安全が第一』に固執するかぎり本当に価値のある仕事はできないし、立派な業績も残せない。それは政治家同様、市井の人々にも当てはまる」
 また「人生はスポーツの試合のようなものであり、勝敗が伴い危険が存在すると記している。スポーツプレーヤーは試合中、思いもよらずに怪我をする場合もある」と記している。
 第二次世界大戦中、英宰相として戦争を指導し、「安全第一」の将軍を最も嫌った。その中に、北アフリカ戦線を指揮したハロルド・アレクサンダー陸軍大将がいた。筆者から見れば、アレクサンダー将軍は臆病だったのではなく、「安全第一」だったのではなく、十分に戦力が整い100%勝つ見込みができるまで動かなかった典型的な英国人気質をもった将軍だった。しかしチャーチルの目には「安全第一」と映った。アレクサンダーの後任のウェーベル将軍にも何度となく、戦力がある程度整えば機を逃さず攻撃すべきだと電報で何度も催促した。英国では、攻撃・退却の最終決定権は首相にあるが、チャーチルは前線の最高司令官の決断を尊重した。
 筆者は今日、チャーチルの上記の言葉を思い出しながら、英国のデービッド・キャメロン首相と日本の安倍首相を比較している。キャメロン首相は政治生命をかけて、欧州連合(EU)の移民政策や主権制約問題などで不満を抱く国民に、Eu残留の是非を問う国民投票を実施した。実施する必要もなかったが、勇気とリスクをとって英国民からEU残留の信任を取ろうとした。しかし離脱派が小差と言えど勝利し、キャメロン首相はその責任を取り辞任した。
 これに対して、安倍晋三首相は現実を無視し、参院選に勝とうと思い消費増税を先送りした。岡田克也・民進党代表ら野党各党の幹部も安倍首相を批判しているが、消費税の先送りには率先して賛意を示している。首相は”世界経済危機”をめぐる伊勢志摩サミットでのG7首脳の合意だと国民に説明したが、サミットに参加した大多数の各国首脳は安倍首相の見解を共有しなかったという。
 日本は約1100兆円の借金に苦しんでいる。しかし政府は消費増税10%を先送りした。病気に例えれば、延命措置を取ったに過ぎない。手術し、抗がん剤や放射線治療を施せば、患者は元気になる前に、苦しみを味わう。
 消費税を上げて、国民に犠牲を強いれば、国民は目の前の苦しみから政府を批判するだろう。政治家自身も自ら「血を流す」覚悟をして衆参両院の定数是正をし、国民を説得することもない。国民の先頭に立って当面の安住を求めている。チャーチルやキャメロン英首相のようにリスクを取る政治家は日本にはいない。
 昨日、大手銀行の行員と話す機会があった。筆者は消費増税の先送りについて尋ねた。行員は「このまま政府が果断な政策を取らなければ、あと10年もすれば日本国民の総預貯金と日本の借金が同じ額になり、その後、政府が外国からお金を借りるようなことになれば、日本経済は本当の危機になるでしょう。そして経済破綻だけが待っています。国民の預貯金はハイパーインフレにより紙くず同然になります」と話し、長期的には日本の将来は暗いと示唆した。
 その若い行員は「他業種に就いた大学時代の親友はこの問題を深刻には考えていません。この暗い現実を実感しているのは金融に務めている連中ぐらいでしょう」と話していた。また「水面下で進行するガンは、痛みが現れるまで患者は分かりません。わかった時は手遅れです。日本国民も同じです。深刻な痛みが伴うまで、人間はどうしても容易な道に流れていきます」。筆者は同感だ。
 英国民は目の前の痛み(移民問題)だけに目を凝らし、EUからの離脱に賛成した。しかし離脱に賛成した英国民の中には、英国の離脱決定後、EUと英国間の経済・関税などの問題が浮上し、自らの行動を後悔している。「多くの日本国民は日本の借金に実感がわかず、迫りくる危機に無頓着です」と大手銀行の行員が話すように、大衆は目の前に現れたことのみに従って行動する傾向が強い。大衆を恐れる政治家は自分かわいさに有権者や国民に「先見的な見解や見通し」を述べることを恐れる。
 チャーチルの偉大さは、自らの先見性や信念を国民に吐露し、説得し、理解を求め、大衆を納得させ、その先頭に立って難局を切り開いていったところにある。チャーチルの考えを理解し、彼に従った当時の英国民も立派だ。
 キャメロン首相は英国民を説得できなかったが、勇気を抱きリスクをとった。安倍首相は勇気もなくリスクも取らず、説得することもしなかった。日本国民の悲劇がここにある。筆者が一番恐れるのは85歳を上回るほど長生きして、日本破産の憂き目に遭い、なけなしのつつましく暮らせる預貯金がハイパーインフレにより紙くずになることだ。この対策を筆者は真剣に行員に聞いた。
 そのような状況になる前にこの世を去るのがベストだが、これだけは誰も予測できない。水面下で進行するこの危機をしらないといえども、この難局に立ち向かう資質を十分にもっている日本国民は、こんな低劣な政治家しか持ち合わせていないのは不幸だ。本当にかわいそうだ。どうしてこんな質の悪い政治家ばかりになってしまったのだろうか。こればかりか解けない難問だ。
 

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俳優、渡辺謙さんが好演するミュージカル「王様と私」の虚実を描く書籍「現実主義者の選択」

 「現実主義者の選択」(ホルス出版)を紹介する。渡辺謙さんがブロードウェイで好演しているシャムの国王。ミュージカル「王様と私」は真実を伝えていない。歴代タイ政府はこの半世紀以上にわたって、この物語を描いた映画、演劇などの上映や上演を国内で禁じてきた。  「王様と私」を初めて映画で観賞したのは今から40年以上前。ユル・ブリンナーとデボラ・カーがすばらしい演技を見せていた。渡辺さんが演じているこの王様の名前はモンクット王。吉田松陰が足元にも及ばない当時の国際情勢を認識していた名君だった。タイ人もこの国王を知らないという。名君や名政治家ほど後世の人々に忘れ去られると感じる。  英国の名誉革命を指導者した初代ハリファクス公爵も同じだ。市井の英国人は知らない。17世紀後半に活躍した名政治家の格言や政治家心得を、この書籍は引用する。公私混同で公金を使った舛添要一・東京都知事も彼の書物を読んだほうが良い。彼だけではない、政治モラルとレベルが落ちた多くの日本の政治家も読むべきだ。  もう一人の人物は堀悌吉・海軍中将。このごろ、やっと光が当てられ始めている。NHK出版がこのほど「山本五十六 戦後70年の真実」を出版し、この書籍も読んだ。2011年に日本映画「聯合艦隊司令長官 山本五十六 -太平洋戦争70年目の真実-」が上映された。山本五十六元帥を役所 広司さんが演じ、歌舞伎役者の十代目坂東三津五郎さんが堀悌吉海軍中将を演じた。  堀提督は米英協調を唱えたため、1934年に旧海軍から追われた。彼の生きざまは日本の運命の裏返しだったと思う。日本人はこの立派な人物を知らない。  この頃、日本人は自信をなくし、日本は迷走している。この3人の生きざまを知って、未来に思いをはせてほしいと願う。