ほっぴの未来予想図           この未来予想図は未来を当てることが目的ではありません。あの人たちが、いったい

何を狙っているのか、それを思考推理し事前に発表することによって、そのことが起こるのを未然に防ぐ。これが目的です。

「さようなら友よ」(1925年)詩・エセーニン 訳・内村剛介 曲・ほっぴの未来予想図

2016年10月28日 13時16分59秒 | 日記
える 「さようなら友よ」 ろん

    作詩 セルゲイ・アレクサンドロヴィチ・エセーニン
    訳詩 内村剛介
    作曲 ほっぴの未来予想図


さようなら 友よ さようなら
わが友 君はわが胸にある

別離のさだめ ―――それがあるからには
行き遭う日とて またあろうではないか
    

お別れだ! 手をさしださず ひとことも言わず
友よ 別れよう
うつうつとして たのしまず

悲愁に眉をよせるなんて――― 今日に始まる死ではなし
さりとて むろんことあたらしき生でなし



Сергей Александрович Есенин
Sergey Aleksandrovich Esenin
抒情詩人セルゲイ・アレクサンドロヴィチ・エセーニン(1895-1925)
https://jp.sputniknews.com/japanese.ruvr.ru/2013_11_19/124620067/
1925年12月28日、30歳のエセーニンは自殺する。
死ぬ前にエセーニンは自分の血で別れの詩を書き残した。

リャザンの農家生まれのエセーニン(右)は、教員養成学校卒業後、
1912年、モスクワで働きながら詩作を開始し、15年、ペトログラードの詩壇にデビューした。
1917年の10月革命を支持、社会革命党(左派エスエル)の詩人として活躍し、イマジニズム(映像主義)運動にかかわった。
農村ロシアの自然を讃えた作品で有名。
18年から4年間、ソロフキ、コーカサス、クリミアなどロシア各地を放浪した。

エセーニンは、国内の戦闘を導き社会の荒廃をもたらした革命に次第に幻滅し、放蕩とアルコール依存のすえ、
25年、レニングラードのホテル・アングレテールの一室で「さようなら友よ」を書き遺し、縊死した。
死因をめぐっては、かつて秘密警察による殺害説も取りざたされたことがある。

『エセーニン詩集』
内村剛介氏の選・訳による作品集
『世界の詩 53』弥生書房、1968年
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