庵主ワールド 茶事・茶会 づれづれ

峯風庵 庵主のエッセー

道元と老典座

2006年12月20日 | 茶道
春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて涼しかりけり

川端康成が、ノーベル賞受賞演説「美しい日本の私」の中で紹介した、道元の短歌は、お茶の心でもある。茶禅一味、道元の説く、只管打座(ただ座って、大自然が語ることを受け取れ)も、心してお茶の中で実践してゆきたいと願っている。

先日、風の会を主催する河本雪夫さんの「道元禅師に学ぶ」勉強会に参加させていただいた。いつも、河本さんには大きな感動をいただける。
今回も、ああ〜と目の前が開けるようなお話を伺った。

道元のいくつかのエピソードの中の、老典座の話。
道元が中国に留学した折、港に日本の特産物の干し椎茸を、年老いた典座(禅寺の料理番)が買いにやってきた。そんな仕事は若い者に任せてゆっくりしたらと声をかける道元を、老典座は一撃する。お前は何もわかっていない。
料理は人の心を知ったものにしかできない、ものを粗末に扱う人には料理はできない。料理で人に喜んでもらうのが、「行」だぞ。
中国では、最高の修行を修めたえらいお坊様が料理番となるのを、道元は知らなかった。日本に帰り、永平寺を開いた道元は、永平寺の修行の基礎として「典座教訓」を定めている。

茶道でも、茶事をするときには、懐石料理やお菓子は、心を込めて手作りする。これが大事なのだけれど、近年は、ちゃんと茶事をする人も少なくなり、やることはやるけど、料理は料理屋さんにまかせっきりということが多くなっている。
お茶の道が廃れていくことを嘆いているのだが、やはり、懐石料理やお菓子を作るところが大事なんだということを、あきらめずに伝えていこうと、思った一日だった。

もう一つ、老典座の話があるのだが、山で汗を流しながら椎茸を干している老典座に、道元が、誰かほかの者にさせたら、もっと日がかげり、涼しくなってから作業をしたらどうかと声をかける。典座は答える。「いまをおいていつやるのか。他はこれ吾にあらず。更にいづれの時を待つべきか。」
いまやらないでどうする。他人がしたことは自分がしたことにはならない。

写真は、先日出かけた農家民宿で見かけた光景。大根を細く切って、天日に干してある。これは、この民宿の女将さんの心づくし。いまさらに、ありがたいと思う。
心で作る、心で受け止めてもらえる、そんな懐石料理、これからも追求してゆきたいものだ。
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ノーベル賞
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