疾風の帰り径

BROACHに存在した「疾風の通り径」を移行しました
ブログ内リンクが以前のまま、画像が移行出来てないものは、修正予定

ナショナルミュージアム

2009-06-30 06:00:00 | Art & Design
 さて博多の二日目
 朝の散歩をして、朝飯を食べ、再び集合です。

 バスに乗って向かった先は此処。



 ここも変わった建物でしょう。
 平面ガラスの外観は異様ともいえますが、周囲の森を綺麗に映しこんでいます。
 九州国立博物館。此処から2枚は貰った資料のコピーです。

 地元系列局のOBで、海外支局でも活躍された方が再就職されていて、丁寧に説明していただきました。



 表側と違って内側には天井といい床といい、大胆に木材が使われています。これを建てるために伐採した木々かもしれません。

 東京、奈良、京都に続いて国内で4番目の国立博物館。
 京都の博物館が出来て108年後の、2005年の完成だそうです。

 福岡に国立博物館があることすら知りませんでした。

 特別にバックヤードや収蔵庫も見せていただきました。



 他の三館は美術系の博物館だそうなんですが、ここは博物系。
 もちろん数え切れないほど国宝や重文があります。

 文化財の修復のための測定器を含む設備、人材にも秀でたものがあるようでした。木造りの収蔵庫も当然完全空調。

 肝心の展示のほうは、時間が限られていたので、ボランティアスタッフの方に駆け足で説明してもらいましたが、一時間ほどだけではほんの一部しか見られません。
 印象に残ったのが、玄界灘に浮かぶ絶海の孤島、海の正倉院と呼ばれる沖ノ島の発掘物とストーリー。

 明治38年(1905年)の日本海海戦の様子が、沖ノ島の神官の日記に残っているそうですよ。ブログにして欲しかったですね。

 行ってみたいものですが、年に一度だけ200人程度しか入れず、全裸になって5月の海でお清めをしなければならないと言う慣習。似たような修道院は地中海にもあったと思いますが、まだ日本にもこんな島があったのですね。

 また、青森の三内丸山遺跡の時代、東北では遮光器土偶の出土が有名なんですが、土偶を作る技術、芸術的なテクニックは東北地方が一番優れていたそうです。

 4年前の同じ会議の後、愛地球博で見た、スーパーハイビジョンのプロジェクターが此処に移設されていました。
 ただ放映されていたソフトに動画がないのは残念。



 来月には阿修羅像がやってくるそうで、夏休みは阿修羅のごとき大混雑になりそうですね。

 この博物館は太宰府天満宮の裏山を切り開いて建てられたもの。

 山を降りて昼食です。



 猛烈に暑い大宰府の街をしばし歩いて、



 「梅の花 自然庵」で昼飯です。



 大宰府の住宅街の通りに、ぽつんと建つ一軒家で雰囲気は最高、料理は豆腐と湯葉のコース梅の花膳です。



 梅の花膳の内容は

峯岡豆腐
お浸し
湯葉煮
茶碗蒸し




お造り
名物 とうふしゅうまい
おしのぎ
湯豆腐




生麩田楽
湯葉揚げ
湯葉グラタン
湯葉吸物
飯物
香の物
デザート


でした。美味しいのですが、このあっさりしたコースは、九州の人には厳しいかも。



 ご馳走様でした。
 梅の花、聞いたことがある名前だと思ったら、全国に支店があり、青山のベルコモンズの前のお店にずいぶん前に行ったことがありました。仙台の東映プラザにもあるんですが、行ったことあるかなぁ?
 榴岡天満宮は行った事があるんだけれど。          つづく

神風、そして半島を出よ

2009-06-29 06:00:00 | 街角探検隊
 博多の朝

 ホテルがある地区は、シーサイドももち海浜公園



 ホテルの窓から、一昨日の記事にも登場している、気になる場所が見えます。

 この辺りは、最初の元寇、文永の役(ぶんえいのえき・1274年)の時に、どうもモンゴル高麗連合軍が二番目に上陸したところらしいのです。



 恐らく海の底には今でもいろいろ沈んでいるのでしょう。

 たぶん埋立地ですが、でも今はパラダイスのようなビーチ。海っぴビーチと呼ぶそうです。
 早朝のウォーキングにいそしむ人、釣り人や犬が行き交います。

       

 特に元寇の遺跡は無いようです。

 そこにこんな、プチ・モン・サン・ミシェル。



 いきなりここから漁に出る舟もいます。どこに住んでいるんだろう。

 もう泳いでいる人もいました。



 後に見えるのは能古島です。金印が見つかった志賀島も沖に見えます。あの幼児3人の命を奪った酒酔い運転事故があったのはこの志賀島に向かう道路でした。
 福岡西方沖地震の時に大きな被害が出た玄界島はもう少し沖だそうです。



 この海に浮かんだ建物は、マリゾンという、スーベニアショップ・レストラン・結婚式場の集合体でした。



 朝7時前なので、さすがにどこもしまっていましたが、陸側にもお店が数軒。



 博多=福岡は仙台よりはかなり大きな街で、地方の中心都市という意味では似ているとは言えますが、日本海に面していて、海に開いていると言う形が、仙台とは全く異なります。
 仙台も、もし伊達政宗がもう少し海より、たとえば多賀城から塩釜か、石巻を街の中心にしたとしたら、博多のような街が出来上がったかもしれません。
 函館や長崎と似ているかも。宮城だったら気仙沼。



 ただ宮城の目の前はずっとハワイのほうまで海ですが、博多の場合は朝鮮半島があり、その先にはアジアがあります。
 今も、高速船で釜山まで二時間半でいけるとか。日帰り弾丸ツアーも可能です。

      

 中国や北朝鮮がもっと開かれた国になれば、此処から多くのツアラーやライダーが大陸に旅立っていくのでしょう。



 そういえば村上龍の「半島を出よ」でも朝鮮軍がここに上陸するのかな。まだ読みかけなんです。
 そんな、仙台や東京とは違う、向こう側を意識せざるを得ない、地域なんですね。

      

 福岡タワーも槍か銃剣のように見えて来ました。海から来るものを威嚇しているみたい。

 ホテルに戻ります。
 SEA HAWKホテルは、刀の刃をイメージしているようです。

      

 とても切れ味が良さそうに、エッジが効いています。

      

 写真には写っていませんが隣は福岡YAHOOドーム。ホテルのロビーからショップ街を抜けたらそのまま球場です。
 イーグルスの選手も遠征の時にはここに泊まるのかな、だとすると、もし優勝を決めたらここでビールかけ。妄想ですね。

 半島を出よ、では、北の武装コマンドが福岡ドームの観客を人質に占拠するみたい。読まないと。
 えっ!! シーホークホテルが!?

      

 温室のようなドーム、海側なので北向きですが、此処が吹き抜けになっていて、朝食が食べられるのでした。

      

 ずいぶん久しぶりのパンの朝食です。ブログ用としては洋風のほうが絵になるでしょう。



 JALホテルのマークがデュッセルドルフのホテル・ニッコーと同じで懐かしく感じられました。



 博多の旅の最後はあそことあそこに行ったのでした。          まだまだつづく。

限界まで玄界灘

2009-06-28 05:22:22 | 美味いもん
 昨日の記事にも書きましたが、良いホテルに泊まれるときに限って、夜は遅くなるもの。
 この晩も例外ではありません。

 全国から集まっている皆さんと早速バスに乗って移動です。

 中洲まで行くのかと思いきや、すぐそばでした。

       

 漁理「小松丸 」漁師のしている店。

 玄海湾(だけじゃないと思うけど)の旨い魚を思う存分食べさせてくれるお店でした。



 料理の写真はごく一部です。
 上はイサキのお造り。

 右側は肝醤油。カワハギの肝って言ってたかなぁ、イサキの肝だったかな。トロッとしたタレになっています。
 九州の人は、たまり醤油と言い、ラーメンと言い、こってり系が好みなんですね。

 左のほうに転がっている団子みたいなのも肝みたいでした。

 ビールを数杯いただいて、水分を十分補給した後、ちょうど前に座ったと言うか、私が押しかけたんですが、百日紅さんと私は、周りが焼酎に移行しているのを尻目に、日本酒です。それも福岡産。

       

 手前が「寒北斗」、奥が「仁四郎」です。他の日本酒は全て新潟産の中に二銘柄だけが地酒です。どちらも初めてだし、銘柄も知りませんでした。まあ普通東京や仙台で、福岡の酒は呑みませんよね。

 調べました、あとから。
 寒北斗は嘉麻市大隈にある玉の井酒造製。

 一方、仁四郎は筑紫野市二日市にある大賀酒造製です。

 逆だったかもしれないけど、最初に呑んだ仁四郎のほうが、一言で言うとやや強い酒。美味しいけど主張も強い、これも福岡っぽいのかな。
 寒北斗、これが旨かったです。似ているのですが、こちらのほうがややさらっとしていて、それがゆえに、ごく仄かな吟醸香を感じさせるテイスト。後でもう一本頼んでいます。
 蔵元の名前が、私が大好きな「綿屋」の金の井酒造と似ているのは偶然でしょうか。

 どちらも辛くも、苦くも、酸っぱくも、そして甘くもなく、良い酒でした。

 そして蝦蛄。



 醤油味で炊いてあります。
 美味しいけど手で剥くのが難しいというか、要するに下手。悪戦苦闘でした。

 そして、



 仲居さん曰く、蛸しゃぶなんです。店のHPだと、手長蛸の蛸ちり。
 まだまだ生命力発揮中の蛸足のぶつ切りを自分で鍋に入れるんですが、これが箸でつかみにくいんです。

       

 蛸しゃぶと言われちゃったから、無理にでもそうしたんですが、ちり鍋ならザブンと一斉に入れても良かったかも。
 歯の悪い私はちょっと難儀しました。

 他にもいろいろ出たんですが、写真は一部だけです。

 小松丸、たまたま見つけた知らない方のブログでも絶賛でした。

 再びバスでJALホテルに戻り、Barで二次会で。



 若手は連れ立って中洲に逃げ出しています。



 まだまだ業界人の話は続いたのでした。

 ちゃっかり福岡と札幌の局の方には、プレーオフ、よろしくとお願いしちゃいました。



 深夜になっても、光っている観覧車が見えます。

想い出の博多っ子純情

2009-06-27 06:47:34 | 空と雲
 マイケルジャクソンの音楽そのものはあえて聴きたい分野ではなかったので、特にCDを買ったこともありませんでしたが、スリラーの時期のダンスと映像作品は革命的でした。
 たぶんちょうどMTVを見る人が増え始めた時期で、あのダンサーの足音や衣擦れまで意識して収録された音と、繰り返し繰り返し何度観ても飽きが来ないカメラワークと編集(ひょっとしたら異なるヴァージョンがいろいろあったのかも)。今でもPVのお手本なんでしょうね。

===

 20代のころ、ドイツに行く前の数年間、毎週漫画雑誌を買っていた時期がありました。

 今でも強く記憶に残っているのが、「がんばれタブチ君」、「じゃりん子チエ」、「のたり松太郎」そして「博多っ子純情」です。
 「What's Michel」はもう少し後かな? 会社の先輩には、いしいひさいちのバイト君にそっくりだと言われていました。
 そのうち復刻版を買わなきゃいかんなとは思い続けているのですが、置き場所がありませんね。

 「博多っ子純情」で博多弁に惚れたのでした。



 この日は福岡の系列局で会議があり仙台空港から久しぶりに飛行機に乗って博多へ飛びます。たぶん同じ会議が昨年広島であった以来のフライト。JALです。

 上は朝日連峰でしょうか?
 どうも航路は新潟方面で日本海に出て後は海岸沿いのルートのようでした。

 これ以上の青はないというほどの最高級、プレミアム青空です。藍よりも蒼い青空。



 途中ちょっと海岸線が見えたのは能登半島だったのでしょうか、反対側の窓側からは鳥取砂丘も見えたらしいのですが、こちら側から次に見えたのは此処。

       

 鳥取と島根の境あたりにある中の海の砂州でしょうか。

 松江には高校の修学旅行で来たし、米子は大昔にBSSさんの天気カメラの工事できたのですが、それ以来この地方はご無沙汰。
 出雲に出来た日本一のウィンドファームは見えませんでしたが、そのうちのんびりシジミと蕎麦を食べに来たいものです。

 福岡空港に無事到着し、これは日本一、いやひょっとしたら世界一の空港から市内へのアクセスとも思われる地下鉄で天神へ。

 まず昼飯です。
 しかし天神で街に出たものの、今回は全く事前調査無し、博多も10年ぶりくらいだし、もともと土地勘もないし、なんとなく裏通りへ。
 串かつ屋さんにちょっとなびきかけましたが、時間があったのでもうちょっと歩いたら良い雰囲気のラーメン屋さんがありました。



 Shin Shinです。

 博多の屋台と言えば名刺が貼り巡らされているのが有名ですが、ここは色紙がすごいです。

       

 ベガルタ仙台の選手(判読不能)の色紙までありました。

 チャーハンつき、固めでラーメン、750円。ラーメンだけだと500円で、替玉100円です。



 このラーメンが実に美味。私としては大当たりでした。

 でもこんなどろとろな濃厚スープを年中飲み干してたら、汗腺からコラーゲンが噴出すこと間違いありません。

 東北人には真夏のような空気の中、百道に向かいます。

       

 エッフェル塔のちょうど100年後に完成した福岡タワー。高さ234mだそうです。
 平成元年のアジア太平洋博の時にできたそうで、全てのテレビとFM放送の送信アンテナが集中しているようですね。

 その隣にある地元局での会議でした。
 最上階の会議室フロアからの眺め。



 元寇で激戦地となった博多の海岸線ですが、この辺りは千葉の幕張のような埋立地。
 でも美しい海岸線は、ブライトンかサンタモニカのようです。

 我が社と違ってこの時期に人事異動がある局が一般的なんですが、カメラマン出身の映像部長が報道部長になったり、報道技術のベテランがスポーツ部長に昇進したり、予想外の異動は昨年の私だけではありませんでした。
 TVニュース報道の世界も変革が求められていると言うことでしょうか。

 インフルエンザ騒動の初期に取材を担当した局からはさまざまなことを教えてもらえましたが、始めの頃、取材スタッフが全員マスクをして病院の待合室に入ったら、「なんや、俺らはばい菌か!!」と怒鳴られたこともあったそうです。

 最後に九州のカメラマンたちが撮った企画物の作品を数本見せてもらいましたが、長崎のランタンフェスティバルを追った作品が秀逸でした。映像と音と、音楽だけで、インタビューはありますが、ナレーションなし。最低限のスーパーが乗るだけだけど、素晴らしい構図と編集。
 来年にでも是非行って見たくなりました。

 九州のカメラマンレポートは、ナレーション無しが主流でしたね。



 JAL SEA HAWKホテル30階の部屋から見た夕景です。
 地元局のおかげで素晴らしいホテルに泊まることができました。

Midsummer Sunset's Dream

2009-06-26 06:00:00 | 空と雲
 夏至が過ぎ、一番夜が短い季節になっています。
 早く帰宅できる日は、家で夕焼けを眺めることも出来るんです。



 これは23日の夕焼け。



 まさに梅雨の合間の晴れ間の夕焼け。



 高校2年の秋、文化祭で我がクラスはシェイクスピアの「真夏の夜の夢」を厚生年金会館小ホールで上演したのでした。Midsummer Night's Dream。私は、小道具と音楽を担当しました。ポスターもずいぶん描いたし、結構演出にも口を出したかも。ずいぶん屋上で練習しましたね。

 そして24日の夕焼け。



 心が浄化されるような空の景色です。

SYABI@YGP

2009-06-25 05:00:00 | Art & Design
 東京への帰郷ツアー最終回です。
 此処最近、週末二日間の出来事を5回前後に分けて書くことが増え、読んでくださる方に一週間ずっと遊んでいるような誤解を与えていないか心配しているのですが、平日は仕事してますからね。次の週末のプランを練りながら。

 日曜日の新宿の朝は土砂降りでした。朝食の後、しばし部屋でのんびり時間調整。
 近所のコンビニまで走るのさえ躊躇われるほどで、ホテルで400円のビニール傘を買い、新宿駅方面へ、歌舞伎町を歩きます。コマ劇場は閉鎖されてました。
 あっという間に膝から下はびしょびしょ。靖国通りまで来ると地下街の恩恵に与れます。

 故里、祖師ヶ谷大蔵の駅前通を歩いて、レポートしようと目論んでいたのですが、雨天順延。

 懐かしい地下街をまた西口までとぼとぼ歩いて地上に出ます。

 カメラ屋さんめぐり。
 キタムラ、新宿カメラ市場、マップカメラの順に、中古屋さんを覗きました。
 やはり新宿カメラ市場の品揃えは群を抜きます。圧倒的。

 キタムラとマップカメラは、Webでもチェックできるし、時間がないときは新宿カメラ市場だけ訪れれば十分かも。
 ASAHIFLEXに少し惹かれましたが、今回はパス。

 二日酔いだとあまり購買意欲も沸かないと言うことかも。

 山手線で恵比寿に行くことにしました。

 恵比寿駅から、昔のビール工場跡に向かって伸びる、動く歩道。



 動く歩道(って正式名称ですか?)の上をさらに歩くと、スーパーマンかエイトマンになったような気がします。でも降りる時の膝への負担が......

 仙台に来る前まで勤めていた会社の本社があったビルです。

       

 天気が悪いのでこの日は上には行かず、隣の美術館へ。



 東京都写真美術館です。愛称SYABI。



 ここなら雨でもゆっくり出来ます。たぶん入るのは初めて。

 まずは三階の展示。ここからは貰ってきたパンフです。



 「東方へ 19世紀写真術の旅」です。

 19世紀に発明された写真の技術。
 持ち運べるようになったカメラを担いで、世界を回ったカメラマンたちがいました。

 最初はピラミッドやエルサレム、いわゆる名所旧跡を撮っては、印刷し、人々に見せたものでした。絵葉書と同じですね。



 それが、オリエントから極東へ向かったカメラマンたちによる、異なる文化の紹介と言う新たな分野へ、変質して行き、さらに報道写真へと変化していったわけです。カメラマン魂の始まり。

 100年以上前の写真、撮った人の鼓動、見た人たちの感動が伝わります。

 混んではいませんが、過半数が欧米人のようでした。

 次は二階の展示です。



 「プレスカメラマンストーリー」

 朝日新聞社のライブラリーからなんですが、まさに日本の報道写真の黎明期に活躍された方々の力作が並んでいました。

 一枚の写真が多くのことを物語ることができるようになった激動の時代。



 戦中戦後に使われたカメラ、スピードグラフィックも展示されています。

 圧巻はベトナム戦争の写真。

 テレビニュースのカメラマンも、もっとフリーに動けるようにしなきゃならんのかなぁと感じました。
 軽い機材も必要かな。

 最後に地下一階の展示です。
 此処がダントツに混んでいました。



 「世界報道写真展」
 WORLD PRESS PHOTO 2009です。

 まさに世界最高のカメラマンたちが撮った傑作が並び、言葉を失います。



 人間の生と死を真正面から捉えた写真、私たちがテレビで流せる映像との大きなギャップを感じました。
 でもそれは、別の方法で乗り越えなくてはなりません。

 うちのカメラマンたちにも刺激になるかと想い、写真集を買い求めて外へ出ました。
 雨は小降りになっています。

 蕎麦か饂飩を食べようかと、恵比寿駅の周りをうろうろしたのですが、開いているのは洒落たカフェか中華料理ばかり。

 結局ランチの旗が翻っていた、最近テレビで良く目にする「びっくり寿司」に入ることに。仙台にはありません。

 チェーンのお鮨屋さんらしいのですが、回転ではありません。でも結構年季が入った風の板前さんが二人、回転寿司屋さんのような広くて四角いカウンターの中央で握っていました。

 ランチメニューの、びっくり丼、1260円。
 安さで勝負の店ではないのですね。



 豪華なバラちらしと言った感じでしょうか。でかい味噌汁と茶碗蒸しがついている上に、ちらしの量も多めです。



 これにかき揚げを乗っけるコースもあり。
 まぁ、美味しくいただきました。

 この後また山手線でぐるりと東京駅まで回り、こまちで帰ってきました。



 鉄塔の写真を撮ろうと思いましたが、仙台はこの日も霧の中。でも何だかほっとしました。

 今日はこれから博多に出張です。

二丁目か三丁目あたり

2009-06-24 06:00:00 | 街角探検隊
 土曜日は新宿で高校の同窓会でした。一次会の様子はこちら

 さて怒涛の二次会は去年と同じ会場



 新宿三丁目駅の上辺りにある「新宿・のみや

     

 住所は二丁目じゃないのかなぁ。

          

 高校の一年後輩がやってる粋な呑み屋なんです。

 一階はこんな感じ。



 角瓶と小雪が似合いそうでしょう。

               

 ところが貸切の地下一階は、完全に昭和。



 差し障りの無さそうなコーナーの写真を載せておきます。(湖水地方くん撮影)



 H組の二次会だったはずなのに、G組結構来てるじゃん。

 大いに盛り上がったのは言うまでもありません。

 東京の呑み会の良いところはシンデレラタイムになると急速に収束するところ。

 私も若いころはずいぶんこの時刻、新宿駅の中を走りました。終電、待ってーーーー!!

 歌舞伎町のホテルへ帰ります。
 と、気づいた微妙な空腹。気のせいかもしれませんが、まだベッドに行くのには早いぞ。天のお告げ?

 蕎麦屋を探したのですが、夜の歌舞伎町には、超高級な蕎麦屋さんしか開いていません。

 で、結局入ったホテルの目の前のラーメン屋。
 博多 和田商店と言う変わった名前のお店なんです。



 信じられないでしょうが読んでください。

 24時をちょっとすぎた、歌舞伎町のホテル街の端っこのラーメン屋に客は私一人。まだ繁盛する時間にはちょと早いのかな。

 カウンターに座ったら、注文する前にいきなり私の名前を呼ばれたのです。



 店にはマスターしかいません。

 しばし見詰め合う、眼と眼。

 な、な、な、なんと、ドイツで一緒に仕事をしていた、後輩です。

 私と同じくI社を辞め、しばらくはP社のサービスに居たところまでは知っていたのですが、今は歌舞伎町でラーメン屋さんのマスターですよ。料理が好きなのはドイツ時代から聞いていたような気がしますが。

       

 広い東京の真ん中ともいえる場所で、まさに奇遇です。
 何の縁なんでしょう。

 酔っ払った脳で、いろいろ話をしつつ、豚骨ラーメンを食べ、ホテルに戻りました。
 もう一回行かないと、味については説明できません。

 やはり、故郷には時々、帰ってみるものですね。

 歌舞伎町に行かれる方は、是非利用していただきたいものです。バッティングセンターのそばですよ。

 ちなみに私が泊まったのは、何故か、白川郷と言う名前のホテルでした。

走馬灯のように.........

2009-06-23 06:24:00 | 街角探検隊
 20日土曜日は、八王子から京王線の準特急に乗って新宿へ。

 東京と八王子を結んでいるから京王線ですね。
 東京と横浜は東横線と京浜急行、京浜東北線もありますね。
 東京と成田は京成線。
 東京と千葉は京葉線。
 東京と埼玉は埼京線、これだけ東京があとですね。
 武蔵と上総下総は総武線。
 常陸と磐城を通る常磐線。上野と越後は上越線、信濃と越後は信越線。
 目黒から蒲田の目蒲線はなくなってしまったようです。

 まず西新宿のエルタワーと言うビルへ。
 28階にニコンのサービスセンターがあるのです。
 盆と正月以外はほぼ無休。
 数年前までは仙台にもあったのですが、いつの間にか消滅してしまったのでした。

 うちのニコノスⅤが、試写してみたら、どうも巻上げがスリップしているように感じたので、持ち込んでみてもらったのです。
 
 ニコンプラザには大勢の人が出入りしていますが、結構女性が多いのが、流行を反映しているように思います。家庭でのカメラマンはいまや奥様の仕事みたい。

 エルタワー28階からの風景。高層ビルは大好きです。



 銀行のように番号札をプリントしてしばし待ち、呼ばれてカメラを見せて症状を説明、預けてまたしばらく待つのに高層ビルは良い場所です。

 上は京王デパートから、南新宿、明治神宮内苑の方向です。南側。

 中学生の時、初めてヨドバシカメラに行ったころが、西口に京王プラザホテルがたつ前だったし、高校は新宿にあるので、新宿の高層ビルの建築はずっと見守ってきて、10か15ぐらいまでは大体ビルの名前も言えたと思うのですが、もうさっぱり。

 こちらは小田急デパートの方向、東向き。

        

 京王デパートや小田急デパートは、たぶん小学生のころに出来たのですが、建物は昔のままです。昔はよく母について来たものです。
 小田急ハルクの地下に日本初の動く歩道があったはずです。10mぐらいだったけど。
 もうハルクとは言わないようですが、すれ違ったおばさんは、ハルク、ハルクと呼んでいました。
 でも写真にはHALCっで写っていますね、まだ呼ぶのかな。

 その前は戦後そのままの風景で、古い駅舎の周りに、傷痍軍人の方がアコーディオンを演奏していたり、道端に座っていたりしてたのを覚えています。

 かつては新宿西口広場だった場所も、権力の手で新宿地下通路になってしまったのも懐かしい想い出。

 ティーンエイジャーのころに悪友たちと初めて自前で入った焼き鳥屋もこのあたりですね、いろいろ思い出します。

 結局ニコノス、異常は無いということで、返却。シャッタースピードも測定してもらってOKでした。無料。
 試写の時は、フィルムの先がスプロケットから外れていたんでしょうね、きっと。

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 今回の東京行のメーンエベントは高校の同窓会です。
 一旦ホテルにチェックインした後、今度は新宿センタービル53階へ。

 ニコンプラザよりももっとずっと高い場所。「dining out」と言うお店に集合です。



 さらなる絶景が広がっています。
 これは新宿駅、タイムズスクエア、新宿御苑越しに神宮外苑から東京タワー方向です。光っているのは神宮球場。
 この夜の神宮はスワローズが王者ライオンズにサヨナラ勝ちだったのですが、私は宴会中でした。
 母校はちょうどコクーンタワーの影で見えません。



 同窓会の写真は、湖水地方くんから沢山送ってもらったのですが、若干公開はためらわれるので、限定公開。やめてーーと言う声が出たら削除します。別途非公開の閲覧方法を検討中。

   

 高校時代は8クラスあっって私はケツのH組なんですが、今回はなぜか何でか隣のG組との合同同窓会。

       

 40代後半から50代にかけてってどうも同窓会年代なんですね。最近年中会ってる奴らがいっぱいいるような気がします。



 それで、趣を変えるための合同同窓会になったみたい。

           

 ホノルルでゲームソフト会社の副社長をしているO田くん(彼はH組)も、私と競いあったような高校生時代の長髪は消えうせています。彼曰く、スリムでベルボトムが似合ってたよなぁ。お前、だって。とほほ。



 さすがに隣組ともなると、あいつ誰だよ、が結構います。私も言われたんだろうな。
 当時から一番太った男なのは間違いなし。


 そんなG組の一人、プロなんで名前を出しちゃいますが、立花くんはいまやオペラ歌手。高校時代はジミーペイジのコピーがかっこよかったギター少年も大きく変身していました。



 なぜかアカペラで民謡を一曲歌ってくれたのですが、当店は高層階からの夜景がサイコーのデートスポット。
 良くこんな場所が取れたものなんですが、窓際はぐるっと外側に向いたテーブルが並び、アベックがずらり。

 一応扉でさえぎられてはいたのですが、即スタッフからダメ出し。でも松島が出てくる曲をワンコーラス歌っちゃいましたね。

               

 地上に降りて記念写真。



 みんなまだまだ若いよーー。

 この後、此処も想い出の地下街を、新宿三丁目まで行進し、怒涛の二次会へ突入です。      つづく

BASARAの血

2009-06-22 06:40:45 | Touring
 八王子には、大正以降の天皇陵があるせいか、霊園が多く、お彼岸やお盆の大渋滞が有名です。

 我が家の墓地は市内川口と言う場所にあり、八王子駅からバスで40分ほど。東京駅から八王子駅までが中央線の特別快速で一時間ほどなので、合計二時間弱。ちょうど新幹線で仙台まで行くのと同じくらいかかるのです。
 新幹線の威力はやはりすごいですね。



 戦国時代、八王子は北条家の領地、交通の要所でもあり大きなお城もありました。武田信玄にもずいぶん攻められたらしいのですが、何とか持ちこたえ、結局秀吉の小田原攻めの前に、前田利家と、上杉景勝の連合軍に攻め落とされます。
 残虐な殺戮戦だったそうです。

 江戸時代には、萩霊園、長福寺がある地域は伊達家の小さな領地だったそうで、宮城野萩の名所にもなっています。

 

 この時期咲いているのは、山萩。

       

 お参りを済ませた後、住職さんにお願いして、本堂の中を見せていただくことが出来ました。

 片倉小十郎や、伊達政宗の血を引く方々が守ってきたと言われる長福寺、先代が集めたお宝があるのですが、観光客に展示するほどではありません。
 観光客も来ませんが。



 前にも書きましたが、ここのお墓は、私が転職して仙台に来る数年前に父が求めた地。
 法事の時に本堂に入り、伊達政宗公の鎧兜のレプリカを見たときには驚きました。

       

 縁というものは、本当にあるんですね。
 父が母のお墓を此処に建てようと決めた時に、わたしが仙台に来ることが運命となったのかもしれません。

 そんな運命論を、住職さんと話していたら、それならもっとすごいものがありますよ、と隣のお堂に入れてくれました。



 白萩堂と言います。半分倉庫状態で、非公開。



 伊達綱村公手彫りの観音像です。三体しか残っていないとか。



     

 お墓参りの人たちしか来ないような小さなお寺なんですが、歴史はあるのでした。

       

 八王子は、幕末の新撰組とも関係が深い場所で、東北地方ともいろいろつながっているのですが、地元の方も歴史には興味があるようでした。

       

 伊達家ゆかりの長福寺、歴女の皆さんにも見参していただきたいものです。

 ところで仙台から往復すると、交通費が2万円ぐらいかかるのですが、ETC割引を利用すると、ガソリン片道40リッターで計算しても1.5万ぐらいで収まりそうですね。次回は車かな。

xx王子発祥の地か

2009-06-21 19:13:49 | 汽車旅行
 なんとスワローズ、三試合連続のサヨナラ勝ちで7連勝。
 独走状態だったジャイアンツに2ゲーム差です。今日神宮に行っておけばよかったかも。

 昨日は朝に家を出て、新幹線に乗ったのでした。

 二階建てのMaxやまびこ、二階は満席とのことで、一階の通路側だったのですが、大宮で席が開き窓側へ移動。
 一階席の窓際の張出しと言うか、飲み物やらケータイを置いておくのに手ごろなスペースって、ちょうどホームと同じ高さになるんです。



 駅に停車したときにちょうどベンチの前だったりすると、妙に気まずくなります。

 上の様な写真を撮ろうと、カメラを構えている時にスカートのお嬢さんがいた日には逮捕。

 やまびこだと大体二時間ぐらい、はやてに乗れれば100分で東京駅に到着します。E5系が就航してもこれがせいぜい90分になる程度でしょうか。

 ねとっとした亜熱帯の空気を感じながら、中央線の快速に乗り換えます。

 今回の東京の旅で私が乗った車両には良くこれが貼ってありました。



 最初はまた逮捕かとあせりましたが、週末はオジサンも乗れるんですね。良かった良かった。

 久しぶりの中央線のせいか、間違って青梅行きに乗ってしまい、国分寺で高尾行きの特別快速に乗り換えました。

 東京駅からちょうど一時間ぐらいで八王子に到着します。

 八王子、小さいころから馴染んだ名前ですが、考えて見るとちょっと変わった地名です。
 調べてみると、神道の神様の一人、牛頭天王の8人の王子神が祀られている「八王子権現」があるからだそうです。
 牛頭天王はスサノオノミコトとも関係が深く、天王洲や天王寺の天王も彼のことだそうです。

 数年前に駅前にこんな立派なビルが出来ました。

       

 立川、町田と共に都下を代表する街八王子ですが、なんと知らぬ間に人口は50万人を越えており、大都市になっていました。政令指定都市以外では4番目に多いそうです。
 大学が多いので20才前後の人口が異常に多いのと、市内に陣場山や高尾山と言ったハイキングコースで有名な山々があること、が仙台市と似ています。

 大事な昼飯。仙台から上京するといつも何を食べようか迷うのが昼飯です。
 仙台と違って晴れてるし、とにかく暑いので、冷し中華を探したのですが、最近良く名前を聞く「天下一品」には無さそうで、結局ここに入ることにしました。

       

 哲麺
 たたずまいで決めたんですが、八王子の商店街、安っぽい七夕飾りが目立ちますね。

       

 メインはラーメンらしいのですが、この日はつけ麺です。八王子は暑さが有名なんですが、此処にも冷やし中華がありません。
 何だかずいぶん久しぶりに食べるつけ麺。



 矢鱈いろいろ注文が付けられるシステムなんですが、特に聞かれなかったので黙ってデフォルト。
 1.5玉の普通サイズ500円に磯海苔のトッピング120円。
 大盛りでも600円でしたが、替え玉50円はすごいですね。



 後から来た高校生が、固めでこってりとか注文しています。

 麺は結構太目かも。

       

 これで、ばりかたとか、はりがねは、ありえないですよね、だとすると、太いのはつけ麺専用で、ラーメンはきっと細麺なんでしょうな。そうすると替え玉50円もラーメンだけかも。

 ちょっと焦がし系の豚骨醤油味で、美味しいつけ麺でした。次回はラーメンをばりかたで行って見ましょう。

 この後バスに乗ります。西東京バス。
 実は、昨年都内で、メトロカードが使えず、大恥をかいたので、今回これが心配の種だったのです。



 たぶん数年前に購入したバス共通カード、一応西東京バスのHPでは使えると書いてあったんですけど、やっぱり乗るまでは心配で心配で。八王子の皆さんに白い目で見られたくないし。

 八王子のバスは仙台と同じ後のり、前で降りる時に支払いなんですが、なんと恐るべし西東京バス。
 入口の横に、整理券の機械、最新式Pasmo/Suicaのマシンと並んで、共通バスカードのリーダーも並んでいます。運転手のとこにはさらに両替機と現金箱、博覧会です。八王子のおじいちゃんおばあちゃん達、対応出来ているのでしょうか。

                     つづく。

噂の来夏

2009-06-20 06:34:16 | Camera
 先日、スポーツニュースを見ていたら、風神ライカという名前のスポーツ選手がいるのですね、驚きです。

 今週は、Olympus E-P1発表の話題で、コンパクトカメラ好きは大いに盛り上がっていたのですが、同じくマイクロフォーサーズを採用しているPanasonicからも、G1/GH1のような一眼レフライクなモデル以外に、もっとコンパクトなモデルも出てくるのではと言う噂があります。

 それは、今もLX3という、F2からの大口径ズームレンズを搭載したコンパクトモデルを販売していて、バックオーダーがあると言われるほど好調だからなんです。
 これの後継機としてマイクロフォーサーズのレンズ交換式が出てもおかしくないと言うわけです。

 このLX3には、パナがライカにOEMで供給しているモデル、D-LUX4と言う兄弟カメラもあり、当然ライカにもマイクロフォーサーズは有望なマーケットであり、こっちだって新しいモデルが出てもちっともおかしくありません。

 それで勝手にPanasonicとLeicaの新マイクロフォーサーズカメラを予想しているサイトがあるんです。新車の予想と似ていますね。

 それが、Leica Rumors

 ここにその新モデル、LX5のイラストがあるんです。(無断引用掲載)なぜか、LX4はパスしているんですが。

     

 とても良くかけているイラストです。このLX5のデザインをリメイクして、D-LUX5も登場するだろうと言うわけです。

 今年の4月から、出ている噂のようなんですけど。

     

 E-P1とほぼ同じコンセプトに見えますが、ストロボは内蔵ですね。

     

 実際出てくるのでしょうが、楽しみです。

 実は私はRicohがこのレンズマウントを採用してくるのを一番期待しています。
 なんと言っても今コンパクトカメラ、特にハイエンドのコンデジでがんばっているのはリコーですから。

 こちらも期待しましょう。

 今晩新宿で高校の同窓会があるので、これから上京します。

 カリフォルニアやハワイから来る奴もいるらしいし、日本中から集まるので、うがい手洗い気をつけないと。50代は大丈夫?

 ちょっと億劫ですが、こんなことでもない限り、なかなか故郷にも行けないし。
 今日は八王子まで行って両親の墓参り

 明日は体調次第ですが、故里の街を歩いてみたいと思っています。

 合間に中古カメラ屋巡り。

今そこにある危険物

2009-06-19 05:48:28 | インポート
 先週末誰かが忘れて行った、煙草の箱。



 数本残っていて、捨てにくいので、久しぶりにじっくり眺めてみました。

 煙草は喫った事はありますが、自分で買ったことは無く、誰かに勧められるままふかしても、美味いと思ったことはありません。学生のころは紫煙漂うロック喫茶なんかの雰囲気を、良いなと思ったことはあったかもしれませんが。

 女性向けなのかな、美しいデザインの箱なんですが、注意書きが半端ではありません。



 過激な内容。世にも珍しい商品とも言えます。

 こんなに大きく表示させると言うことが、輸入品の参入障壁になると言う意味もあるのかも。

 全ての種類の煙草箱に同じことが書いてあるのでしょうか。喫煙者は毎日これを見ているんですね。

      

 いつも同じ内容では麻痺してきっと読まなくなると思うので、どこかのサラリーマン川柳や、誰かのブログの今日の言葉みたいに、毎回違う内容だったら良いのに。

 今に、豚カツや、鶏の唐揚の衣に、「脂っこいものの食べすぎは、中性脂肪を増やします」とか、ラーメン丼の縁に、「スープの飲みすぎは、あなたの血圧を高めます」とか、辛子明太子や数の子の表面に、「足の親指の付け根が痛むあなたには、魚卵の摂取は危険です」とか、饅頭の裏にも「一日三個まで(15歳未満は二個)」とか印刷されるようになるのでしょうか。

 ちなみにお酒のラベルにもちょっと書いてありました。



 穏便です。

 ドイツのビール。



 注意書きは無いようです。

 まあどんな病気にかかっても、医者に酒は呑んじゃ駄目だけどビールだけにして、と言われるお国柄ですからね。

 昨日、何だか法案が衆院で可決されましたが、私は脳死状態になったら全ての臓器を提供します。



 肝臓と腎臓は役に立たないと思うけど。よろしくお願いします。

黄金のうたた寝

2009-06-18 05:28:17 | インポート
 Slumbersって単語の意味、知らなかったので改めて辞書をひいてみました。

 浅い眠り、うたた寝。

 金色に輝く朝日が差し込む寝室のベッドをイメージしてしまいます。

 ポールマッカートニーに子守唄を唄ってもらいながらのうたた寝。最高にゴージャスですね。

          

 仙台在住の伊坂幸太郎氏が書いた「ゴールデンスランバー」の映画撮影が市内で進んでいるようです。宮城県内での映画撮影の話題や、監督や俳優のインタビューには良く取材を出すので、映像も良く見ているのですが、最近は撮影から公開まで結構時間差がある映画が多く、「アヒルと鴨のコインロッカー」や「重力ピエロ」の話題が交錯していて、もう私にはどれがどれだかわからなくなっています。

 伊坂氏の小説は、仙台が舞台であることが多いらしく、是非読んでみたい作家の一人なのですが、最近ほとんど小説を読まなくなっていて、未読の文庫本がたまっているので、しばらく先になりそうです。

 それでゴールデンスランバーの映画出演エキストラボランティアの募集がインターネットであったのですね。知りませんでした。

 制作技術の仕事を時々手伝ってくれている熊ちゃん(熊さんとは別人)から昨日メールがあり、日曜日にカメラマン役でエキストラ参加しないかと言うのです。良いブログネタにもなりますよ、と言うことなんでしょう。彼女はボランティアサポートスタッフだそうです。

 日曜の朝は新宿にいるはずなので、参加は無理なのですが、大体私がニュースカメラマンの役を出来るはずも無く、仕事仲間のshishipro君に振ったところ、興味津々。どうも参加することになるようです。他にも何人か知り合いのカメラマンたちが協力。
 楽しみです。

 映画のエキストラって最近はこんな方法で募集しているんですね。
 情報社会。

 私が通っていた大学は調布にあって、近所に映画のスタジオが多かったので、結構エキストラのバイトをしていた学生は多かったような記憶があります。

 私も老後は出てみたいな、仙台が舞台なら。

 観客役のエキストラ募集1000人もまだ埋まっていないみたいだし、映画の撮影現場に興味がある皆さん、是非応募してみては?


 首相の凱旋パレード中の暗殺シーンだと思います。かなり大掛かりなんだろうなぁ。

μ4/3

2009-06-17 04:19:07 | Camera
 ついに昨日Olympusのマイクロフォーサーズ機が発表されました。過去のブログでも散々期待感を表明していた待望のカメラ。画像はPen F以外全てマイコミジャーナルからの無断引用です。



 Olympus Pen E-P1です。PenですよPen。
 一言で言ってしまえばレンズ交換可能なコンパクトデジカメ。



 一見、何の変哲も無いコンパクトカメラでしょう。
 ズームレバースイッチが無いですね。当然レンズ側で手動ですよ、そうでなくっちゃ。

 デザインはもう少し頑張って欲しかったけれど、フルメタルボディと言うことで質感は高そうです。レンズ付きで10万円はするカメラですから当然か。

 上面の斜めのラインが気になるんですが、



どうも往年の名機Pen Fのラインを模倣しているのでした。




 液晶は3インチで立派ですけど、フラッシュやファインダーは外付け、なんです。内蔵フラッシュ、無いんですよ。



 で、レンズはこんな風にはずせます。



 いきなり撮像素子が覗けるんですね、此処が革命的なんです。

 一眼レフのカメラを中心として、ほとんどのレンズ交換式カメラの構造は、フィルム時代からある意味、同じ形を保っています。
 普段は絶対に露光させてはいけないフィルムを光から遮断し、本当に必要な瞬間だけ、場合によっては1/10000秒だけ露光させるためのシステムです。だからレンズをはずした時にフィルムが見えるなんてありえなかったし、撮像素子がCCDやCMOSになっても基本的には同じでした。



 だけどそんな必要は無かったのです。
 特に最近になってライブビューの機能がついた一眼レフを液晶を見ながら撮影する場合、一眼レフのレフたる部分は使用されていないわけですね。無駄。
 元々一眼レフのファインダーは被写体からフィルムへの光をミラーで捻じ曲げて見て構図を決めた後、そのミラーを引っ込めてシャッターを開いて露光させると言う一連の動作のために工夫され無理やりくっつけられたもの。デジカメには必要なかったとも言えるんですね。



 マイクロフォーサーズは初めてそんなデジカメに特化したレンズマウントなんです。
 ミラーもフォーカルプレーンシャッターも無い、レンズと撮像素子の間には光学フィルターとダストリダクション装置だけ。

 レンズと撮像素子の距離が短いので、レンズ設計の自由度は飛躍的に増すはずで、これまでの一眼レフ用のレンズと較べたら、同じ大きさならより高性能の、同じ性能ならよりコンパクトなレンズが出来るはずです。

 フィルム時代のカメラデザインの呪縛から初めて逃れたレンズマウントを持ったカメラなんですね。

 フランジバックが短いので、ほかのレンズシステムとの変換アダプターを作るのも容易で、下の様なOlympusのOMシステムや、普通のフォーサーズシステムレンズ用のアダプターが同時発売されています。



 同じマイクロフォーサーズを使ったカメラとしてはPanasonicのG1とGH1がすでにあるのですが、こちらは一眼レフと同じようなデザインで、光学ファインダーの場所に液晶カラーファインダーを内蔵させているのに対して、Olympusは、ここまでコンパクトにできるんだぞと言う、まさにOlympus Penの発想で最初の製品を発表したのでした。



 レンズキャップには、Pen FのFの文字があしらわれています。

 またライカやニコンなどのレンズマウント変換アダプターもすでに市販されているんですね。楽しいことに。焦点距離はちょうど2倍になってしまうんですが。

 手振れ補正についてもOlympusはボディ側、Panasonicはレンズ側と違いがあり、昔のレンズをつけて楽しむのには、E-P1のほうがよさげですが、両社のレンズをテレコに装着した時の作動についてはまだレポートを見つけられないでいます。どうなんでしょうね。

 いずれにしても、サードパーティ製レンズも出てくるでしょうし、第三のメーカー願わくばライカがマイクロフォーサーズに参入してきて、面白くなればいいのにとも思う一方、同じフィロソフィのレンズシステムは、APS-Cサイズや35mmフルサイズの撮像素子用に出来てくることも、十分予想されるわけで、わくわくしてきますね。

 今週末は東京に行くので触って来れるかもしれません。

 個人的な意見としては、RicohのGX100/200のように外付けでもいいから、液晶VFを付けられるようにして欲しかったのと、デザインが今一なのと、ブラックボディが無いのが駄目なとこかな、今のところ。最初の単レンズが17mm(35mmカメラで34mm相当)なとこは拍手。SDカード採用と、3インチ液晶も○。

 興奮でいつもより早起きしてブログを書いてしまいました。
 また寝ます。

デジカメの絵がこんなんなったら

2009-06-16 06:02:00 | Camera
 出張の時や、小旅行でも荷物が多くてあまりカメラ用のスペースがないときは、薄型のポケットカメラを持って出かけます。最近はケータイのカメラも性能が上がったのであまり必要がなくなってしまったのですが、2004年頃にこんなカメラを買って結構重宝していたのでした。



 デジカメにはよくあるタイプで、撮像素子が小さいのを利用して光軸をミラーで一度下向きに曲げ、上向きのCCDに撮像させることでカメラを薄型に仕上げています。ズーム系の設計自由度が意外と高く、レンズを張り出さないようにも出来るのでスタイリッシュ。
 CanonのIXYとともに、まさに一世を風靡した、SONYのCyber-shotのこれは、T3です。

2006年に志津川の民宿で撮った一枚。



一泊7000円位でこんなお膳にありつけるんですよ。民宿「潮風」


 最近同じ系統のPanasonic FT1を買ったので、全く出番が無くなり、かといってもう下取りに出しても二束三文。ちょうど仙台に単身赴任してきた弟にあげたところ、早くもクレームとなりました。



 こんなお化け映像に。誰でも何処でもオーロラの写真が撮れます。
 明らかにCCDの不良、V方向の転送がワヤになっています。被写体が明るいほどひどくなるのが特徴。




 これはリコール対象なんです。たとえ保証書が無くても無償修理してくれるはず。原因はSONY製CCDの製造工程にあるのですが、対象の製品はSONYに限りません。

 1000万個を越えると言われる、おそらくカメラ史上最大のリコールで、放送用に使用されているプロ用のカメラも例外ではないのです。

 また、SONYと共にメジャーなCCD供給元であるPanasonicのデジカメも例外ではありませんでした。

 我が家の中古で買ったLC1の場合、同じような現象が水平方向に現れ、入院。
 意外にも無償修理で退院だったので、聞いてみたらSONY CCDが原因だったのでした。

 信号を転送するためのパルス信号が鈍るとこうなるんです。

 もし2004年前後に購入したデジカメ、ムービーで同じような現象が出ていたら、メーカーのHPで調べてみることをお奨めします。

 ちょっと古い記事ですが、此処にも一覧表があります。

上の「潮風」お膳だけではなく、こんな舟盛も出るんですよ。また久しぶりに行きたくなりました。



前回のツーリングの様子はこちら


 今日はいよいよ待ちに待ったあのカメラの発表です。