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過猶不及

「過猶不及」

すぎたるはなおおよばざるがごとし

と読みます、

徳川家康の人生訓にも出てくる

一句です。

「過則勿憚改」

あやまちてはすなわち

あらたむるにははばかることなかれ

と読み、

たまに政治家の方もよく使われます

 

この「過」という字ですが

お経にも出てくる言葉です。

すぎるという意味もあり、

また、過失という意味もあります。

経典では、

「出過」、「過地」、

「勝過三界道」という文句でも

出てきます。

特に「十地経」では十の地ですから

初地から十地まで修行の段階で

地に入り、地に住して、地を出て

という具合にとても重要な言葉

ではないでしょうか。

 

面白いのは、

過のすぎるという一面は

過のあやまちということの

認識がないと

次へ進めないということです。

 

勉強もただ聞くだけではなく

聞いただけでは分かったような

気になりますが、

予習をしていくと

わからない所が分かってくる

つまり自分の過失が発見できる

すると、聞いていても

自分が一番聞きたいことがわかる

そこには勉強の喜びが

出てくるものです。

 

自分の過失がわかれば

次の段階へステップアップできる

過ぎていくことができる

ということです。

 

「失敗を拝む」

ということがあります。

失敗したことを有耶無耶に

して覆い隠してしまうと

なかなか先へは進めません。

自分の失敗を感服して見直せば

そこから本当の歩みが出てくる

 

「大工が見つかった!!」

とも、

お釈迦さまは悟りを開いたときに

述べておられます。

つまり、自分の迷いを構築している

煩悩の構造が発見できた

ということです。

法が見つかったということは

自分の迷いを明らかにしてくれる

道理の法が見つかった

ということです。

 

一歩が出ないのは

過失を過失として認めることなく

そのままにして次へ進もうと

するから一歩が出ない。

 

戦前・戦中・戦後ということも

過失ということをどのように

認識するかによって

その歴史観の深さが違ってくると

思います。

そのままにして、

次へ次へと前へ進むことばかり

考えるから

少しずつ歪が出てきているのでしょう。

 

「過」という意味も

すぎる、という意味もあれば

あやまち、という意味もあります

さらに、すぐれる、という意味も

含んでいるのです。

 

修行ということも一面には

自分の過失の発見です。

過失を見つけることによって

次の段階へ進むという出過

ということがあり、

その進んで行くこと自体が

修行が勝れている

ということになるのでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

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