本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

宇治市民大学・巨椋池 水辺の暮らしを語り継ぐ

2017-06-18 20:59:07 | 住職の活動日記

646年   飛鳥時代 

      宇治橋が架かる

1052年  平安時代 

       平等院の建立

1594年  安土桃山時代 

              太閤堤の建設

そして、

現代はブランド力としてもお茶

これが宇治にとっても大きな

ターニングポイントでしょう。

 

ということで、17日の土曜日

宇治市民大学がありました

鳳凰大学と違い自由参加で

都合が合えば聴講できます。

今日の講師は

前宇治市歴史博物館館長の

坂本博司先生です。

 

 

 

 

段々と忘れ去られようとしている

巨椋池

今は田園風景が広がっています。

 

 

そこには高速道路も走り

昔そこが大きな池であった

ということが嘘のようです。

 

宇治川も昔はなかなか激しい川

その水は巨椋池へと注ぎ込み

そして、桂川木津川と合流して

淀川へと流れていました。

秀吉もこの流れに心血を注いで

太閤堤を造り

伏見の地に港を造り

物流の拠点にしたようです。

 

 

 

 

昔はこのような満々と水をたたえる

大池

そこには漁場も広がり

 

 

こういう浸木(したき)漁という

木の枝を指して魚の棲家を造り

集まったところで魚を獲るという

方法のようです。

 

 

 

水のところに点々があるのは

その漁場というところです。

 

 

その池には蓮もたくさん咲き

ハス酒を飲みながら

月見を楽しんだという

風流な遊びもあったようです。

 

 

しかしやはり、一旦水が増水すると

このような赤い地点で決壊して

大きな水害が出たのです

 

 

大正時代の図面では

まだこのような大きな池がありました

 

この巨椋池は干拓事業で

大きな田園地帯を生み出したのです

 

 

水色の水路を作り

その水を集めて宇治川に排水する

という方法で干拓しました

 

 

 

池を埋めて作ったのかと

思っていましたが

干拓ですから、干し上げる

水を出して平地を造る

ということです。

この水を抜くのに2年半

もかかっています。

 

 

巨椋池は京都盆地の

一番底に当たるところです。

ということは

ちょっとした増水や大雨による

水の被害には悩まされてきた

という歴史があります。

 

大池という水路でもあり

漁場でもあった

それなりに大きな恵みを

もたらしていた。

それが干拓で大きな水田となり

宅地となって都市化していった

でも、

油断は禁物!!

この地はあくまでも池であって

盆地の底ということを

忘れてはいけない。

と先生は強調しておられました。

 

 

 

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