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補陀洛→二荒→日光

観音さまのお浄土を

サンスクリットでは「ポータラ」

といいます。

それがそのまま音写されて

「補陀洛」と漢字にあてられました。

チベットのダライラマ法王の住まいを

ポタラ宮殿といいます。

 

やはり日光の近くは

「二荒神社」というように

二荒という名前がよく出てきます。

 

 

ちょうど町のど真ん中でしょうか

ちょっとした小高い丘の上に

「二荒神社」(ふたあらじんじゃ)が

街を見下ろすように

鎮座ましましています。

 

 

急な階段を上ると、

 

 

本殿が見えてきます。

足の悪そうなご婦人

手すりにすがりつくように

上がって行かれます。

ほぼ毎日のお参りということです。

 

しかし、

宇都宮といえば「餃子」

 

 

たくさんのお店が集まって

一つの食堂を形成しています。

 

 

だからいろいろの餃子を楽しめる

ということです。

それぞれに特徴があって

味も千差万別、

餃子といってもこれだけ違う味

があるものかと感心します。

 

この、「二荒」というのは

ポタラ(補陀洛)を「フタアラ」

と読み、「二荒」という字に

置き換えたのです。

すると、

「二荒」は「ニコウ」とも読めます。

その音を取り、「日光」と

いう漢字にあて変えたというのです。

 

この日光と呼ばれている地域は

奈良の末期、

勝道上人によって開かれ

男体山を中心に観音さまの浄土

(補陀落)と感得されたのでしょう。

この地域は神仏習合の色合いが

濃く残っています。

補陀洛が二荒となり日光となって

その名前が神仏両方に

使われたということのようです。

 

 

霧にかすむ中禅寺湖を見ていると

なんとも荘厳な雰囲気

思わずその神秘な姿に頭が下がります。

勝道上人も山を開くにあたって

二度も失敗されたということです。

その湖から流れ出る滝を

「華厳の滝」といいます。

「華厳」というのも「華厳経」という

お経の名前から出てきたのでしょう。

 

日光ということも

その山全体をいうようで

その中に「中禅寺」や「神宮寺」

「輪王寺」というような

お寺や神社が集まって

その修行の道場となっている

ということのようです。

 

今ではもう、ありませんが

昔は観音さまのお浄土へ行く

ということがお坊さんの願いだった

それで、補陀洛渡海といって

那智勝浦の浜から

小さな小舟に乗って海に出たのです

もちろん着くわけではなく、

死を覚悟して、というか

死んで観音さまの浄土へ行く

ということが願いだったのです。

 

そのように「補陀洛」というのは

お坊さん方にとっての

一つの憧れともいうべきもの

だったのではないでしょうか。

ですから、補堕洛という言葉は

二荒となり、日光となって

漢字を変化させながら

神仏両方で使われるように

ポピュラーなものになっていたのでしょう。

 

家康公も日光・東照宮に祀られ

東照大権現となられましたが、

江戸を見守ると同時に

自分も観音さまの浄土に

生まれ変わるを願われたのかも

しれないのではないでしょうか?

 

しかし、日光の地も

見直され有名になったのは

外国の方によってということも

面白いところです。

日本最初の西洋式リゾートホテル

が作られたのも

 

 

この日光の地なのです。

 

 

その最初のホテルが

金谷カテッジインということです。

その片鱗を感じる

金谷ベーカリーで絶品の

ハンバーグ、

パンを刳り貫いた中にハンバーグ

そのパンの味とのバランスは

絶妙でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

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