本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

災害の歴史 in うじ

2017-06-13 16:26:36 | 住職の活動日記

「水害の歴史

宇治川の洪水の歴史を読みなおす」

という講座がありました。

京都大学防災研究所

附属地震予知研究センター

の加納靖之先生のお話です。

 

これからは風水害の問題

そして

何時どこで起こるかわからない

地震の問題

分からないだけにどのように対処

したらいいのか

常々関心を持っていたのです。

 

熊本地震のこともあり

本当にどこで起きてもおかしくない

そのような時に来ているようです。

 

京都は千年の都という位ですから

安全な所と考えがちですが

歴史を紐解くと100年周期ほどで

水害あや地震に見舞われています。

 

宇治は宇治川を抱え

その水害には悩まされたようです

宇治橋から見る景色は

とても風光明媚で美しい所です

しかし、水の流れを見ると

結構、流れも速く水量も多い

 

その元は琵琶湖に発し

瀬田川となり宇治に注ぎ

そこから宇治川と名前を変え

さらに、桂川、木津川と合流して

淀川となって大阪湾に流れ着きます

 

宇治橋は日本一古い橋です

奈良と京都を結ぶ要衝の地

無くてはならない橋だったのです

宇治川を挟んで合戦もあり

また、

宗教的にはこの世とあの世を分ける

宇治川

平等院があるように

宇治川を渡ると浄土の地という

そういう意味合いも持っていたようです

 

この宇治川をいかに治めるか

秀吉もずいぶん苦労したのでしょう

伏見に伏見城を作るに際し

宇治川の大規模な河川工事に

取り組みました。

それまでの宇治川は

西に、大きな巨椋池に注ぎ込み

自由な流れをなしていたようです

太閤堤を作り、

宇治川の流れを伏見の方へ

引いていったのです。

そのことにより、

伏見の地が物流の拠点になり

政をするにも

便利がよくなったのです

大阪と京都を結ぶ

一大交通網が出来上がったのです。

 

しかし、それによって

災害も起こるようになります

堤の決壊です

自然の力は強く

人が作った堤くらいでは

防ぐことはできません

 

ちょうど、

先日の薩摩屋敷の図面の話とかぶり

慶応4年1月に鳥羽伏見の戦いが

おこります。

同じ年の5月には槙島堤が決壊

「4月より大雨続き、大池(巨椋池)

一丈八尺(5m以上)増水に相成り」

という記録があり

小倉村で流出家屋多数とあります。

伏見の地では戦があり

ほんの南の地では宇治川決壊

多数の家が流されたと、

 

歴史の表舞台と

その裏で起こっている災害

重ねあわせていくと

その当時の人々のご苦労が

思い計られます。

 

水害年表を見ると

お寺さんの記録も多く

醍醐寺の「義演准后日記」には

慶長3年5月木幡の民家浸水

慶長19年6月には

伏見六地蔵水底となる

というような記録や

東山にある「智積院」

宇治のあたりに

領地を持っていたようで

同じ場所でしょう

何回も何回も洪水の襲われ

という記録が出ています。

 

近いところでは

2012年に京都府南部地域豪雨

ということもあり、

自然災害との戦いの歴史のようです

「忘れた頃にやって来る」

ともいわれるように

自然の力には勝てるわけありません

常々心掛け

わが身に起こるということを

忘れないようにしなければ

いけないということを

あらためて思い知りました。

 

次回は「地震の歴史」です。

真剣にお聞きしなければ

と思っています。

 

 

 

 

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