忘備録の泉

思いついたら吉日。O/PすることでI/Pできる。

超自我(2)

2017-05-06 09:28:32 | Library
(からだに感じられた意味感覚)のことをフェルトセンスという。
例えば、ある人間関係のことを思うと胸が重たく詰まるような感覚があるとしよう。
ここでいう、「胸が重たく詰まる」ような(からだで感じられる感覚)をフェルトセンスというのだ。
このような感覚はまったく意味もなく存在しているわけではなく、それは、その人間関係について何らかの意味を持っている。
このようなフェルトセンスを私たちは日常的に経験して生きている。

普段はそれらを「気持ち」と呼ぶことも多いだろうが、「気持ち」といえば、それは「不安」「怖い感じ」「怒り」のように、実際の感じ方の上に認知的なラベルが貼り付けられている。
しかし、例えば「不安」ということでも、いろいろな不安の感じ方がある。
試験に合格するかどうかの「不安」と、結婚式でスピーチをする「不安」は、おなじ「不安」と呼ばれていても、実際の感じ方は大きく異なるだろう。
このような「気持ち」の実際の感じ方―実感―に触れてみると、そこにはすぐに言葉になりにくい(からだの感覚)が存在していることがわかるだろう。
フェルトセンスは認知的に言葉のラベルを付ける以前の実感である。

ジェンドリンはフェルトセンスについて、それは「次なるものの暗示」であるとしている。
私たちが感じていることの多くは、「次なるもの」へのメッセージなのである。
そしてそのメッセージが実現したときに、私たちが体験しているものは過程として変化するのである。
ジェンドリンの理論は気持ちを過程の一局面ととらえている。
フェルトセンスは体験過程の一局面であるが、これはフェルトセンスは私たちの生の一局面であるに等しい。
フェルトセンスは私たちの生そのものである。
その「生そのもの」を理論的に還元したり、それに対して理論的な意味をお仕着せず、また、クライエント自身が自分の体験に対して無理に概念をお仕着せるのを止めさせ、新しく生そのものを現れさせるようにともにいることを心掛けていくことが大事だ。

(つづく)
ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 超自我(1) | トップ | 超自我(3) »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

Library」カテゴリの最新記事

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
  • 30日以上前の記事に対するトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • 送信元の記事内容が半角英数のみのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • このブログへのリンクがない記事からのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • ※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。