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メソポタミア⑥

2017-10-21 10:40:24 | Library
今も続いているイスラエルをめぐる紛争をもうすこし詳しく述べておく。

第二次世界大戦中のナチスのホロコーストを経験した多くのユダヤ人が、イギリス委任統治領のパレスチナへ移住した。
ユダヤ人からすれば、神が与えた約束の地(旧約聖書)に戻るという正当な行為だったが、居住するパレスチナ人(人種はアラブ人)とたびたび衝突した。
行き詰ったイギリスは、問題の解決を国連に委ねた。
そして1947年、アメリカ大統領トルーマンの強力な圧力により、アラブ国家とユダヤ人国家に分割し、イェルサレムを国際管理とするパレスチナ分割案が可決。
これを受け、イギリスの委任統治が終了し、イスラエルが建国された。

その直後、レバノン、シリア、ヨルダン、エジプトなど、建国に反対する周辺アラブ諸国がイスラエルへ攻め入った(第一次中東戦争
戦争はイスラエルの勝利に終わり、各国と結んだ停戦協定により、パレスチナの大部分をイスラエルが獲得した。
停戦時にエジプト軍が保持していたガザ地区はエジプト領になり、ヨルダン軍が保持していたエルサレム旧市街を含むヨルダン川西岸地区は、ヨルダン領となった。
また、聖地イェルサレムは東をヨルダン、西をイスラエルが領有して、中間を国連が監視する非武装中立地帯となった。

1956年、エジプト大統領ナセルは、スエズ運河の国有化を発表。
スエズ運河の株主であり、貿易ルートとして利用している英仏両国はこれに反発。
エジプト軍をシナイ半島から追い払いたいイスラエルを支援し、エジプトとの戦争を扇動する。
これを受けてイスラエルがシナイ半島を攻撃し、第二次中東戦争が勃発した。
しかしアメリカ、ソ連など国際世論が非難し、3ヵ国は撤退を余儀なくされた。

1964年にパレスチナ解放機構(PLO)が結成されるなど、イスラエルへの抵抗運動が強まる。
1967年、エジプトのナセルはチラン海峡を封鎖。
事実上の経済制裁に反発したイスラエルは、エジプト、シリア、ヨルダン、イラクを奇襲攻撃し、短期戦でゴラン高原、ガザ地区、ヨルダン川西岸地域、シナイ半島を占領した(第三次中東戦争)。
この戦争でイスラエルの占領地帯は戦前の4倍以上まで拡大した。

停戦後、シリアではクーデターで実権を握ったアサドが、エジプトでは急死したナセルに代わりサダトが、それぞれ大統領に就任。
この両国が共同し、1973年、イスラエルに奇襲攻撃した(第四次中東戦争)。
アメリカの支援を受けてイスラエルも反撃したが、シナイ半島の一部を失った。
この戦争では、アラブ諸国によってオイルショックも引き起こされた。

(つづく)



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