忘備録の泉

思いついたら吉日。O/PすることでI/Pできる。

高野房太郎伝(6)

2016-11-11 14:08:10 | Library
1894年、房太郎はアパラチア山中の田舎町からアメリカ労働総同盟ゴンパーズ会長に宛てて手紙を出していた。
ゴンパーズ会長からの返事が届き、「手紙だけでは意を尽くせないから是非ニューヨークに来るように」と勧められる。
また、創刊直後のアメリカ労働総同盟機関誌の見本誌が送られてくると同時に、同誌に日本の労働者階級の状態について寄稿するよう依頼があった。
ゴンパーズは、この極東の島国から来た若者にひとかたならぬ興味をいだいたようである。

房太郎は3年契約でアメリカ海軍に入隊することとなり、軍艦出航までの待機期間を利用してゴンパーズ会長に会った。
ゴンパーズは初対面の房太郎を気に入り、彼をアメリカ総同盟の日本担当オルグとして任命する。
二人が顔を合わせてから30年近くも後に執筆された『自伝』で、ゴンパーズは次のように回想している。
「私は1890年代に、高野房太郎と会った。
彼は労働運動に非常に興味をもつようになり、わざわざ私の事務所にやって来て、日本の労働階級に役立つと思われるアメリカの労働組合運動に関する情報を私に求めた。
私は彼と数回会って話してみて、彼の才能と真剣さに打たれた。」

ゴンパーズ会長と面識を得た後、房太郎は軍艦マチス号の乗組員として東方へ向かい出航する。
日清戦争直後のことであった。
彼は働きながら世界各地を回れることや、あわよくば日本に帰国する船賃を無料にすることを考えたのかもしれない。
事実1896年に日本に寄港した折、3年契約を待たずマチス号から脱走して日本帰国を果たしている。
乗船中も彼はゴンパーズとの文通を続け、機関誌にも英文論文を何本も寄稿して、労働運動への思いを温めていた。

(つづく)
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