忘備録の泉

思いついたら吉日。O/PすることでI/Pできる。

高野房太郎伝(3)

2016-11-07 09:06:37 | Library
房太郎が最初に見つけた仕事は〈スクールボーイ〉だった。
スクールボーイとは通学時間を保障することを条件に家事の手伝いをさせる低賃金の家事労働者のことである。
房太郎は翌年一時帰国をしているが、それはアメリカでの開業資金の調達のためであった。
ところで、この一時帰国は、商売とは別のことで、房太郎の生涯に重要な意味をもつものとなる。
この一時帰国の時期に「読売新聞」の通信員を委嘱され、社友として、アメリカから通信を送る仕事を得たのだ。
もちろん定期的な収入の入るポストではないが、これによって、彼は新聞通信員としての第一歩を踏み出したのだ。
この経験があったからこそ、後年、労働組合の組織活動に従事しながら、アメリカの労働組合機関紙誌へ通信を送ることでその生活費を支えることになったのである。

アメリカに戻った房太郎は日本物産店を開業するが経営は思うようにならなかった。
そのため以前宿泊したコスモポリタンホテルの従業員部屋にただ住まいさせてもらうかわりに、月に3回日本からの着船があるたびに波止場へ出かけてホテルの客引きをするという暮らしをしていた。
1888年、日本で靴店を開業していた城常太郎が、アメリカ靴工の実情視察で渡米してきた。
このとき波止場で客引きをしていた房太郎と、城常太郎とが運命的な出会いを果たす。
二人は同じ九州人ということから親近感を抱き、房太郎は福音館に泊まることになっていた城を送り届けてあげる。
城は福音館に斡旋してもらってコスモポリタンホテルの皿洗いの仕事を得て、房太郎と城は隣り合わせの従業員部屋で暮らすこととなる。
房太郎と城がコスモポリタンホテルで培った友情は、それから先も別れと出会いをくり返しながら終生続き、日本の労働運動のさきがけを照らす先達になるのである。

(つづく)
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