忘備録の泉

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メソポタミア①

2017-10-13 16:34:26 | Library
世界の火薬庫であり続けている中東の歴史。
国々の歴史をたどることで紛争の火種が見えてくるのであろうか。

豊富な石油資源をめぐる争いやイスラエルとパレスチナ問題など、21世紀になった今も戦火が止むことはない中東。
アジア、ヨーロッパ、アフリカのつなぎ目である中東には、紀元前から複雑な民族と宗教の問題があった。

1万年前、石器の時代が過ぎ、青銅器時代を超えると、農業の発達に伴い、治水工事や灌漑工事などが大河のほとりで盛んになってきた。
4大文明の始まりだ。
ティグリス・ユーフラテス川の流域で興った文明を「メソポタミア文明」と呼ぶが、農耕民と牧畜民が混在するメソポタミアでは戦乱が繰り返され、部族対立の激しい社会が形成された。
メソポタミア南部(現在のイラク)に前1800年ごろ誕生した古バビロニア王国は、6代ハムラビ王の時代にメソポタミア全域を統一した。
王が発布したハムラビ法典は領域国家をまとめる役割を果たし、後世に大きな影響を与えた。

灌漑農耕は、メソポタミア・エジプトからシリア・パレスチナに広がって、一つに結ぶ三日月のような肥沃な農耕地帯をつくり、古代ローマ人から“日の昇る方向”のオリエントと呼ばれたが、それは、やがて中近東全体をさす言葉となった。
肥沃なオリエントに、インド・ヨーロッパ語族が侵入して先住民を征服、アッシリア帝国によるオリエントの統一を果たす。
アッシリア帝国滅亡後、エジプト・リディア・新バビロニア・メディアの4国分立時代を迎える。

前7世紀末、ペルシア人がアケメネス朝ペルシアを建国し、オリエントを統一した。
アケメネス朝はインド・ヨーロッパ語族のイラン(ペルシア)人が建てた最初の帝国だ。
メディアに従属していた小王国ペルシアは反乱を起こしメディア・新バビロニア・リディアを滅ぼし、エジプトも併合していった。
アケメネス朝はマケドニア王国や北西インドにまで領土を拡大したが、前330年、マケドニア王国アレクサンドロス大王の東方遠征により滅亡した。
アレクサンドロス大帝国は大王死後、武将の抗争により3国に分立した。
マケドニア王国、エジプト王国、シリア王国である。
その後も地域の覇権をめぐって抗争が収まることはなかった。


(つづく)

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