忘備録の泉

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日朝の歴史(5)

2017-11-06 16:58:35 | Library
秀吉の死後、日本では1603年に徳川幕府が成立した。
秀吉の朝鮮侵攻に消極的で朝鮮半島に派兵していなかった徳川家康は、朝鮮との国交回復を望み、対馬の宗氏を介して使節を派遣した。
こうして徳川家康と朝鮮王朝の間で国交回復の交渉が進められた。
だが、1811年に最後の通信使が来訪して以来、両国の公式な関係は途絶えた。

日本も朝鮮も徹底した鎖国政策をとっていた時代に、人類の歴史を大きく塗り替える出来事がイギリスで起こる。
18世紀後半の蒸気機関の発明(1765年)をきっかけにして先進国で次々と産業革命が起きたのである。
強力な軍事兵器をも手にした欧米列強は植民地獲得競争を激化していく。
清国進出のきっかけとなった「アヘン戦争(1840年)」は日朝両国にも大きな影響を与えた。

日本は江戸時代末期に開国し、王政復古により成立した新政府は近代化を目指した。
新政府は外圧による危機意識が周辺地域への領土拡張論へと結びつき、南下政策を取り続ける帝政ロシアに対する日本の国際政策の一環として、朝鮮半島に注目した。
日本は朝鮮に国交を強く要求するが、朝鮮は清による冊封体制の下にあることを理由に日本との国交を拒否し、日本と朝鮮との間では対立が激しくなっていった。
1875年には日本軍と朝鮮軍との間で江華島事件(こうかとうじけん)がおき、翌76年に日朝修好条規が結ばれ朝鮮は開国し、開化政策が行われる。
1894年に朝鮮を巡る対立から、清国と日本との間で日清戦争が勃発、日本は勝利した。
翌95年に日本と清は下関条約を結び、朝鮮が清との冊封体制から離脱すると実質的に日本の影響下に置かれた。
これに伴い1897年に大韓帝国へと国名を改めた。

(つづく)
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