横浜本牧ロータリークラブの活動報告

横浜本牧ロータリークラブの活動報告

6月23日の例会はSAAプラス3役退任挨拶でした。

2016-06-25 09:47:21 | 例会報告

近藤会長の退任挨拶は本人5分で終わると言っていたのですがしっかり10分以上の話でした。

会長のロータリーに対する思い、人に対する思いが表れたいい話でした。

建築紹介は坂茂でした。

彼は紙を資材とした建築が有名で、1995年の阪神淡路大震災の時に崩壊した高取教会の後に「紙の教会」

=住民が集まれるコミュニティーホールを作った。この教会の資金は彼が義援金で集め、建築はボランティアによって行われた。

その時に[紙のログハウス]も作っている。企業から提供されたビールのケースを土台として比較的細い紙管「かみにを強度を持たせるために建てに並べて屋根を載せるという構造である。8時間で6棟の仮設住宅を建てた。このとき市は勝手に家を建てることを許可してなかったが、長田区役所は紙と言うことで黙認したのではないだろうか。また家具によって怪我した人、家具によって堕ちてきた屋根に守られた人などの経験から、本格的木造住宅を建てるときには「家具のアパート」という工場で充分強度を持った家具を作りそれを構造材としてアパートを作ることを提案している。

「紙の建築」と言えば先にバックミンスター・フラーダイマクション・ハウスがあるが、これは段ボールの平面材によるものであるのに対して、坂のは紙管によるものであるのがオリジナルである。

ヨーロッパの石から始まる建築に比べて、木を基とする建築は材料的に弱いかもしれない。しかし、日本でも500年以上持っている建物はある。大きな違いは、木造建築は直しながら使っていくことにある。

坂は紙を資材として、認めて貰うために本人言うところの「行きもしない、使いもしない」別荘を建てて1993年に認定を採っている。つまり現在では資材として認められているのである。

もともと紙という発想はパビリオンなどの終わったら壊してしまうものに、普通の構造材の木や鉄、コンクリートを使うのはもったいないという発想から始まったが、今では恒久的な建物に使われている。詩人高橋陸郎の「詩人の書庫」は有名である。これが1991年で初めてのようである。

彼も建築界のノーベル賞といわれるプリツカー賞を2014年に受賞している。目の離せない建築家である。

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6月16日の例会は関 健作さんのブータン紀行でした。

2016-06-23 06:38:09 | 例会報告

6月16日の例会は関 健作さんのブータン紀行でした。

日本で初めて準ブータン人のとなった関さんのお話しはたいへん面白かったです。

本日の建築の話は象設計集団でした。

象設計集団は早稲田の吉阪隆正のもとに集まった大竹 康市、樋口裕康、富田玲子、重村 力、有村桂子の5人により作られた集団です。

吉阪隆正は1970年頃の大学紛争時代に理工学部の学部長として、学生との対話に臨んだ人として有名です。

大竹 康市は1983年、サッカーの試合中に倒れて亡くなり、現在のメンバーは樋口裕康、富田玲子、関 郁代、坂元 卯、 岩田英来となっています。
富田玲子の母親は高橋信子といい日本で初めて女性大使としてデンマークに赴任したひとです。

「女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約」に著明した人です。
富田玲子は東京大学理科2類に入学し、建築学科を卒業しました。『小さな建築』という本を書いています。
同じ書名の本を熊研吾も書いていますので、読み比べると、建築に対する立ち位置の違いが分かって面白いです。
近くには、磯子アベニューと用賀プロムナードがあります。どちらも環境設計です。この環境設計というキーワードが象設計集団の姿勢を表しているかもしれません。

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5月12日の例会はクラブ協議会でした。

2016-06-02 07:30:48 | 例会報告

磯崎新さんは世代的には丹下健三と伊東豊雄の中間になります。
建築界では、かなりの理論家?評論家・批評家で、その著作の多さは随一かもしれません。

初期の篠山紀信との『建築行脚1~12』は12冊の大作ですが、建築というものを観る眼を養ってくれます。確か市立図書館にあったと思います。

大学2年の時、ノーベル賞受賞者の大江健三郎の指導教官であった渡辺一夫の所に下宿して、彼の息子に得意の数学を教えています。

建築界のノーベル賞と言われるプリツカー賞を受賞してはいませんが、その審査委員になっています。世界3大賞の一つ王立英国建築家協会が授与するRIBAゴールドメダルを受賞しています。
奥さんの愛子さんは、宮脇愛子という名前の彫刻家で、すでにお亡くなりになっています。宮脇という姓は彼女の前の夫の姓で
、その名前で彫刻家として有名になってましたので、彫刻家としてはその名前を使い続けました。

初期に設計した通称新宿ホワイトハウスと呼ばれる、新宿百人町の吉村アトリエは、現在、カフェ・アリエという名の喫茶店になっていて、吹き抜けの高い天井がいかにもアトリエという感じで、良いところです。大久保当たりにいったときはぜひ行ってみてください。

オリンピックの施設についてザバ ハデットについて、いろいろ発言してますが、自らも、バルセロナオリンピックの「パラウ・サン・ジョルディ」、トリノオリンピックの「パラスポーツ・オリンピコ」を設計しています。

私が1度覧てみたいと思っている彼の作品は「ア・コルーニャ人間科学館」です。

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