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日本ハリストス正教会教団復活大聖堂

2018-02-03 10:51:23 | 重要文化財
前回のブログは、国内でタイムリーな出来事がありましたので、その事について書きましたが、今回は前々回からの続きで、湯島聖堂を出て向かった先は、同じく文京区内にあり、国の重要文化財に指定されています日本ハリストス正教会教団復活大聖堂、通称‘ニコライ堂’です。
前々回のブログでも書きましたが、台東区にあります東京国立博物館を出た後、ニコライ堂にすぐ向かう予定だったんですが、教会という事で、拝観時間が決まっており、最寄りの駅であるJRの御茶ノ水駅に着いた時点で、まだ拝観時間になっていなかったため、湯島聖堂に立ち寄ってからニコライ堂に向かった次第です。
御茶ノ水駅から徒歩5分もかからない場所にあるので、すぐにその特徴あるドーム屋根が見えてくるんですが、いざ、ニコライ堂の目の前に立つと、その教会然とした美しい建造物は、私の目を魅了しましたね。
ただ、中に入るとより一層、その荘厳さは増していて、聖堂内の写真撮影は禁止されていましたが、その分、聖堂内の情景と感動を目と共に心に焼き付けようと、神父のニコライ堂の説明を聞きながら、まじまじと聖堂内を眺めていました。
このニコライ堂はその通称の通り、江戸時代末期に正教を日本に伝道するために来日したニコライ大主教に由来し、そのニコライ大主教の依頼を受けたミハイル・シチュールポフという方(今回のブログもこの後、何人か建築家の名前が出てきますが、詳しくはインターネット等でお調べ下さい)が、原設計を行い、先月27日付けのブログで紹介した東京国立博物館内にあります表慶館の設計をした片山東熊や、東京駅や2016年1/21付けのブログで紹介した大阪市中央公会堂を設計した辰野金吾等の日本人建築家を育成したジョサイア・コンドルが実施設計を担当した建造物です。
その後、前々回のブログ‘湯島聖堂’でも紹介しましたが、ニコライ堂も大正12年(1923年)の関東大震災で大きな被害を受け、昭和2年(1927年)から昭和4年(1929年)にかけて、上記で紹介した大阪市中央公会堂の設計原案を行った岡田信一郎により、構造の補強と修復が行われ、太平洋戦争での東京への大空襲による被害も免れ、現在に至っているそうです。
しかしながら‘神’が見守っていてくれたからなのか、関東大震災や東京への大空襲も乗り越え、これだけの美しい姿を現在まで、よく残してくれたものだと思います。

さて、この日は、ニコライ堂を出た後は、宿泊先に向かう予定だったんですが、チェックインの時間まで、まだ間がありそうだったので、宿泊先に向かう途中の文化財に立ち寄ったんですが、どこに向かったかは、明日以降のブログにて紹介したいと思います。