マゾヒズムに花札を!

Female Domination & BDSM …とは殆ど関係ない花札に関する四方山話です。

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2007年07月24日 19時29分37秒 | 雑の話題
赤今日はまた八八(合わせ)競技の手役の話をしましょう。

7枚の手札の内、6枚がカス札の場合。
残り一枚の札種でそれぞれ、光一、十一、短一という役になる、前に話しました。
では、カス×5では?
この場合、残り2枚が5点札の場合に『赤』という手役になります。
赤、(赤短冊に限らず)短冊という意味、これもまた前に話しましたね。

これが、光×2+カス×5、種×2+カス×5 だと、役にもなにもならないのです。
面白いですよね。5点札というのは、ある意味20点札、10点札よりも効力が強い札なのですよ。
ちょっとした下克上ですか?
奇しくも花札の原型が出来だしたのは下克上に明け暮れていた戦国時代、
ってことで、最強の戦国大名は? というお馴染みのお遊びでもしましょうか。

関東管領・上杉政虎、のちに輝虎と改名、さらに出家して謙信 (何たる改名マニア!) を押す声が…

っと、今日こそループは避けて、ちゃんと話を進めます。

赤というのは、このように色々な意味に転用されますよね。
どうもあんまりいい意味はない。乳飲み子くらいはまだしも、損するとか、左系思想の蔑称だとか。
そうですねえ、これはどうです?

  真っ白な 名歌を赤き 人が詠み

はい、いつもの万葉集は初期代表歌人・山部赤人をからかった川柳です。
真っ白な名歌とは、お馴染みの『山部宿禰赤人、不盡の山を望む歌一首 并に短歌

 天地の 分れし時ゆ 神さびて 高く貴き 駿河なる 布士の高嶺を 天の原 ふり放け見れば 渡る日の 影も隠らひ 照る月の 光も見えず 白雲も い行きはばかり 時じくぞ 雪は降りける 語りつぎ 言ひつぎ行かむ 不盡の高嶺は
 
        反歌

 田児の浦ゆ うち出て見れば ま白にぞ 不盡の高嶺に 雪は降りける

これは有名な歌ですね。
反歌の部分は、百人一首にも選ばれています。


  田子のうらに うち出でてみれば 白妙の ふじの高ねに 雪はふりつつ


第一句の助詞に注目して下さい。
原歌『田児の浦ゆ』、『に』に変わってます。
『に』は分かるにしても『ゆ』とは?
古語辞典を引くとこうあります。

①時や動作の起点を表す …から
②動作や時間の経過点を表す …を通って

どうも参考書や学習ガイドを見ると、②の意味『田子の浦を通って』と訳しているものが多いようです。
ずばり、間違いです。
だって、そうでしょ。じゃ、田子の浦を通って、『どこに打ち出でて』この歌を詠んだの?
ここは、①の意味『田子の浦から』と解すのが正解です。

ええっ?! と反論の声が聞こえて来ましたねえ。
田子の浦から出たらば、海に落っこちっまうじゃないか?、と。
事実、江戸時代の万葉学者の中には、一向は田子の浦で船に乗り換え、赤人は駿河湾上から富士を望んでこの歌を詠んだんだ、と解釈した向きもありました。

それもまた違います。
ここで忘れてはいけないのは、赤人は都人であり旅人であることです。

上代でいうところの田子の浦とは、現在の由比蒲原のあたり。
さて、赤人一向、東国には富士なる霊峰があるとの予備知識のもと、田子の浦近辺にさしかかる。
ところが富士山はちっとも見えてこない、そりゃそうでしょう。
一口に田子の浦といっても些か広うござんす、富士山がよく見えるところもあれば見えないところもあるでしょうよ。
いぶかりながら旅を続ける赤人一向、やがて展望のいい箇所にさしかかり富士山がぱっと見えてきた。
そのときの感動がこれなんですよ。

少し回りっくどく言えば、「田子の浦の入り口『から』同じ田子の浦でも少し進んで見晴らしのよいところ『に』」というのが一句の意味ということになります。
『から』と『に』、fromとto、字面では正反対の意味の助詞を使ってあっても、実は同じ意味だったとお分かりいただけたでしょうか?

と、この言い回し、



しょっぱなの『富士を望む歌』

を丸写ししました。

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて~!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!

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