フレンドリー サロン

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死と向き合うとは

2013-01-28 17:48:11 | フレンドリーのつぶやき
   長年闘病生活を続けてきた姉が21日ついに帰らぬ人となった。子供の頃から母親のように可愛がってくれた姉だけに悲しみは大きい。
姉は28年間もの長期間人工透析を続けて来た為に体はぼろぼろであったが、驚異的な生命力で82才まで生き抜いた。夫とは幸せな生活をいとなんでいたが、残念ながら子宝に恵まれず、最愛の夫にも6年前に先立たれてしまった。その後は入院生活を余儀なくされ、生きる事の喜びも徐々に薄れて行く様子が痛いほど良く分かった。

   この数年間は生きる事の意味を問い続け、日々死と向き合う姉の姿に心を痛めてきた。人間が死に直面しながら、長く生き長らえる事がどんなに辛い事か目の当たりにし、何もしてやれない自分の不甲斐なさをただただ恨めしく思った。最後の10日間ほどは息苦しさに懸命に堪える姉の姿を見るのは本当に辛かったが、息を引き取った後は苦しみもがいていた姿が嘘のように安らかな顔になり、ああ、あの苦しみからやっと解放され、仏様になったのだと実感する事が出来たのはせめてもの救いであった。

   住む主を失った姉の家に何日か泊まったが、今回ばかりは真夜中に姉の遺骨の前に座ってもまるで怖さを感じなかったのは不思議である。正直言って、今までは誰もいない家の仏壇の前に夜一人で入ったり、寝たりするのは何となく怖くて勇気が出なかったが、今回はその怖さを全く感じない自分に驚いている。

   自分もいつかは死と向き合わなければならない時が来るのは間違いないが、その時にはジタバタする事なくただ静かに寿命が尽きるのを待つ心境になるには、これからの余生を如何に送るべきかつくずく考えさせられた悲しい出来事であった。

   

近況

2013-01-07 15:33:21 | フレンドリーのつぶやき
   新年に入って早1週間が過ぎた。

   今年の正月は例年通り近所に住む息子家族と新年を祝ったが、息子一家は2日からスキーに出かけたので、二人だけのゆったりした時間を持つ事が出来た。

   今年は基礎体力の強化が最大の課題なので、先ずはしばらく腰痛で途絶えていた早朝の散歩を再開した。初日と二日目は気のせいか足腰に負担を感じたが、徐々に慣れてきて元通りのスピードで歩けるようになった。後は柔軟体操と呼吸法などを取り入れた自己流のメニューを日課として適当にこなしている。
  
   先日、レ・ミゼラブルを観る為、久しぶりに女房と映画館に行った。このミュージカルは過去に何度か見ているが、映画は流石に迫力満点で俳優も素晴らしかったし、感動した。このミュージカルはストーリーは十分分かっているのであるが、何回観てもラストシーンでは必ず泪が溢れ出てくる。
この正月からまた女房と韓国ドラマを見始めているが、はらはらドキドキはしても、涙を流す事はまずない。韓流ドラマと言っても自分は時代劇しか見ないが、いつも型が決まっていて、出てくる俳優も同じで、ちょっと馬鹿馬鹿しい感じもするが、実に上手く出来ていて、一度見始めると最後まで見ずにはいられないところがミソである。分かっちゃいるけど止められない。困ったものである。まあ、冬の間は寒くてゴルフも冬眠状態なので、女房と韓流ドラマをゆっくり楽しむのも悪くはないかと思っているが、時には映画館や劇場に行って、感動を味わう事も必要だとも思うので、今年は出来るだけ時間を見つけて、映画館や劇場にも行くようにしたいと思う。

   年賀状は相変わらず印刷だけでノーコメントの儀礼的なものが多いので、如何なものかと思うが、まあこれも知人・友人に関係なくお互いの無事を一年に一度確認し合うと言う意味では、それなりに意義もあるのかと思っている。

今度の選挙で何が求められているのか?

2012-12-11 00:37:04 | フレンドリーのつぶやき
   日本は戦後世界が驚くほどの経済復興を成し遂げ、民主的平和国家として世界の一流国入りを果たした。しかし、民主主義と言っても、基本的にアメリカ型の民主主義であり、急速な経済復興を成し遂げたのも、アメリカの軍事力に支えられての事であり、謂わば、全てがアメリカ依存型の国家構造になってしまったと言っても過言ではない状況である。

   戦後70年近く経った今なお政治的にも経済的にもアメリカ依存から脱却できていない状態の中で、韓国や中国などの近隣諸国がかつての日本と同じく急速に経済成長を成し遂げ、日本は激しい競争の波の中で苦しみもがいている。

   そんな中で、日本の政治は乱れに乱れ、完全に将来に向かっての方向性を見失ってしまっている。正に国家存亡の危機と言っても過言ではない状況である。その原因は、果たして我々自身が選んだ政治家達にあるのか、それともそれらの政治家達を操ってきた日本特有の官僚組織にあるのか、極めて難しい問題であるが、今や見極める時期が来ている事は間違いない。

   自分はその両方であると思っているが、残念ながらちゃんとした政治家が少なく、政治家を選ぶこと自体が難しい上に、歪んだ官僚組織を壊すのはもっと難しいのが現状である。

   3年前、ひょっとしたら民主党がある程度やってくれるのではないかと期待したが、とんでもない集団で結局失望させられた。野党になった自民党はかつての民主党と同じで、今は批判ばかりの言いたい放題、良い事づくしの公約を掲げているが、果たして信用していいものかどうかも極めて怪しい。第3極の日本維新の会は弁舌爽やかな橋下大阪市長の強力な実行力と説得力のお陰で期待が持てそうではあるが、何しろ俄か仕立ての政党であり、人材が不十分な上に、石原東京都知事の超右翼的発言が心配である。未来の党は野合集団であり、破壊屋の小沢が操っている限り、かつての民主党みたいになる事間違いなし、全く信用できない。みんなの党はまともな事を言っているが、まだ十分な力にはなっていない。

   こんな混乱した状況の中でも、今度の選挙では必死に考えて、少しでもましな政治家と政党を選ばなければならない。選ぶのは我々国民一人一人の権利であり、義務でもあるし、つまるところ選んだ責任は我々国民一人一人にあるのだから、その事をはっきり自覚する必要がある。日本人はこの自覚が世界中で最も少ない国民であると言わざるを得ない。どうせ自分一人が投票してもしなくても世の中は変わらないと考えて自らの権利と義務を放棄する事は大変無責任である。兎に角、難しい選択の中で必死に考えて何らかの意思表示をしたいものである。

   さて、いざ投票するとなった場合、一体何を基準に選んだらよいのか?
自分自身は次のような基準で選びたいと思っている。
1. 日本の教育制度を抜本的に改革すべきだと明確に主張している政党
2. 官僚組織を根本的に変えるべきだと明確に主張している政党
3. 国防問題を含めて憲法を改正すべきと明確に主張している政党
4. 原発問題に対しては国民に迎合しないで明確な責任ある主張をしている政党
5. 社会保障問題と増税問題に対するバランスのある政策を推進しようとしている政党
どの政党も似たような事を言っているので、判断が難しい面はあるが、少なくともこれら5項目の中で3つ以上当てはまる政党を選びたいと思っている。

   政治家個人に対する基準としては、
1. 明確な国家ビジョンを持ち、情熱的にその主張を貫く信念の政治家であるか
2. 言葉だけではなく、実際に行動で示してきたか、またその覚悟があるか
3. 人格的にバランスの取れた人物であるか
4. どの政党に属しているか
   地方区に関しては政党よりも人物本位で選びたい。政治家は先ず立派な見識を備えた品位のある人物でなければならない。

   今回の選挙で投票率は上がるのか下がるのか、若者の投票率はどうかには大いに関心を持っている。

腰痛その後

2012-11-21 20:21:15 | フレンドリーのつぶやき
   10月初めに腰痛に苦しんでいると書き込んだが、その後さらに1ヶ月半以上に亘って苦しみが続いた。最初近くの整骨院に飛び込んだが、1週間経過しても一向に改善しないので、次は近所の人の勧めで鍼灸院に行ったが、これも効果がなく、その後別の友人の勧めでペインクリニックに3週間以上通い続けた。結局これも効果がなく、困り果てていたところ、FFの仲間の一人から大阪の箕面にある整体師を紹介され、藁をもつかむ思いで、兎に角行って見る事にした。正直言って、最初は半信半疑であったが、2度目くらいから明らかに改善が見られ始めたので、この整体師に賭けてみようと思い、通い続ける決心をした。その結果、驚いた事に、この整体師の予言通り、4度目で見事に痛みが解消したのである。

   腰痛とか膝の痛み、肩の痛み等に関しては、症状が人様々で、誰一人として同じ症状はないと言われているが、自分にとってはこの整体師の説明が治療法も含めて今までの中で最も納得性があり、正に救世主的存在となった。他の人にも効くかどうかは保証できないが、症状次第では、紹介するに値する人物だと思っている。

   「健全な精神は健全な肉体に宿る」と昔から諺にも言われているが、今回の苦しい経験から、その事を実感させられた。兎に角、腰痛に苦しんでいる中は、何事にも集中する事が出来ず、考える気力も失せてしまうし、勿論、前向きに将来の事など考える余裕など全くなくなってしまうのである。
万が一、自分が健康を害して、動けなくなったら、生き甲斐を何に求めるべきなのか、今回ほど真剣に考えさせられた事はない。

   何はともあれ、健康で毎日を過ごせる事の有り難さを実感させられる貴重な経験をした。

神様の警鐘

2012-10-06 19:48:10 | フレンドリーのつぶやき
   10日ほど前から、強烈な腰痛に襲われ、苦しんでいる。今回は今までとは大分様子が違う痛さなので、不安もあるが、これは長年健康について自信過剰気味であった自分に対する神様の警鐘かなあと思い、しばらく自重しながら、養生に努めようと思っている。

   腰痛になって、動けなくなったり、パソコンの前で落ち着いて座れなくなったり、新聞を読んだりテレビを見たりするのも座っているのが辛い為、じっとしていられなくなったり、今までの生活スタイルが激変してしまって、大変戸惑っている。

   いつか、こんな状態になったら、生き方をどう変えて行ったらよいのかなどと先の事まで色々考えさせられ、その意味では神様が自分に与えた一つの試練に違いないと思っている。

   お陰で、女房を始め周囲の人達に多大の迷惑をかけており、大変心苦しく思う毎日であるが、みんな親切にしてくれるので、つくづく有り難いと感謝している。当面は周りの人達の親切に甘えさせてもらい、いつかご恩返しをいたいと思っている。

朝の散歩

2012-08-26 18:28:20 | フレンドリーのつぶやき
   8月下旬になっても蒸し暑い日が続くが、暑い暑いと嘆いていても始まらないので、1週間ほど前から思い切って早寝早起きを実行する事にした。夜10時までには床につき、朝5時には起きて、女房と共に散歩に出ることに決めた。

   早朝の散歩は実に気持ちが良い。同じ歩くのなら健康的にも効率のいい歩き方を心掛けようと考え、二人とも出来る限り腕を大きく振って歩くようにしている。最初の内は、何となく気恥ずかしい気もしたが、慣れればどうと言う事もなくなった。腕を大きく振れば、足取りも軽くなり、速度も上る事に気付いた。姿勢も良くなるし、一挙三徳のような気がする。

   コースは以前から歩いていたのとほぼ同じで、家から薬師寺方面に向かい、秋篠川の川土手を通って、唐招提寺の前を通り抜けて帰ってくるコースが標準で約一時間である。しばらく歩いていなかったので、最初の二日間はちょっと筋肉痛を感じたが、三日目からは慣れてきた。

   今まで夜12時ごろまで起きている事が多かったので、睡眠不足になりがちであったが、早寝早起きを実行し、朝の散歩後シャワーを浴びると、体もしゃんとして、気分も引き締まるような気がする。
  
   朝の散歩はもう一つ効用がある。それは女房との結構いいコミュニケーションの時間になると言う事である。共通の時間を意識的に持つ事によって、日頃何気なく見過ごしている事にも気付く機会にもなると分かった。

   まあ、いつまで続くか分からないが、この習慣は出来るだけ長く続けたいと思っている。

夢と希望

2012-08-05 00:09:37 | フレンドリーのつぶやき
   フランスの有名な哲学者アランと言う人が「学ぶとは心に誠実を刻む事であり、教えるとは共に希望を語る事である」
と言う非常に奥深い言葉を残している。自分はこの言葉を座右の銘として大事にしてきたのであるが、教える事と学ぶ事は常に表裏一体の関係にあると思っている。

   どんな人間でも夢とか希望がない限り本気で学ぶ気持ちが起こらないものであるが、逆に夢や希望があれば、人から言われなくても自ら進んで学ぼうと努力をするものだと思う。それ故に、教えるとは学ぶ者がどんな夢や希望を持っているのかを共に語り合い、引き出す事なのだと思っている。

   ところで、若者は将来が長いから、夢や希望を持たせる事は比較的易しいが、年を重ね残りの人生も少なくなって来るに従い、人間はだんだん現状に満足しがちになり、むしろ夢とか希望などを考える事に抵抗感すら覚えるようになるのではなかろうか。夢とか希望は概して非現実的であり、それを追い求める事は不安定につながるからだと思う。年を取れば取るほど保守的になり、変化を嫌い、安定を求めるのが世の常である。その為に、夢や希望は若者の特権のように思われがちである。

   これは我々大人が陥りがちな最も大きな落とし穴の一つではないかと自分は思っている。現状に満足し、何事にも挑戦する気持ちのない人間は退屈であるが、常に何かに挑戦し、学ぼうと努力している人は活き活きしているので魅力的である。

   自分自身はどうかと言うと、若い時から比較的夢を追いかけるタイプであったが、意志が弱くてなかなか実践が伴わないものだから、いつも女房にからかわれて来た。アランの座右の銘は字の上手い人に書いてもらって、昔から額に入れて飾ってあるのであるが、心なしか白々しく見える時もあるが、自分としては、女房から冷たい目で見られようが、夢を追いかける姿勢だけは崩したくないと心に誓っている。

   過ぎ去った事には懐かしさと郷愁はあっても夢も希望もないが、未来には夢と希望がある。
夢と希望は活力の源である。年老いて、体力に限界を感じたら、若者と夢や希望について語らい合いたいものである。

思い掛けない事故

2012-06-01 23:22:38 | フレンドリーのつぶやき
   4月初旬から千客万来で目の回るような忙しい毎日が続き、ちょっと疲れ気味である。
それでも4月は合間を縫って2・3度ゴルフに行ったのであるが、その最後のゴルフに仲間の車で行った際、とんでもない事故に巻き込まれ、あわや命を落とすところであった。

   余りにも突然の出来事であったので、よく覚えていないのであるが、多分友人の操作ミスではなかったかと思う。運転はA級ライセンス並みの腕前なのだが、ちょっとした油断があったのか、山からの急カーブの多い坂道を下ってくる時、ブレーキを使わず、エンジンブレーキのみで速度を落とそうとした瞬間、自動車が急発進し、前のガードレールに激突、あわや20メートルもある崖から転落する寸前に柔らかい木に引っかかり、転落を免れたが、次の瞬間、今度は車が横に一回転し、もう一つの崖に転落する寸前に手前の木に引っかかって止まったのである。

   その事故の一部始終を見ていた後続の仲間は完全に一巻の終わりだと思ったと言うから、余程運が良かったに違いない。自分は後ろの座席に乗っていて、シートベルトもしていなかったが、前の二人も含めて誰一人かすり傷もせず、助かったのだから、奇跡といってもいいかも知れない。勿論車は大破して全損である。事故が起こった瞬間は何とか助かろうと必死になっていただけで、怖いと思う暇もなかった。人が死ぬ時はかくも唐突で簡単なものなのかと思い知らされた。

   その後は事故の事など考える間もなくまた多忙な日が続いたので、今ではすっかり過去の出来事のようになっているが、考えてみればぞっとするような恐ろしい目に遭ったものである。

   人間万事塞翁が馬である。折角命拾いしたのであるから、これからは余りあれこれ取り越し苦労などせずに、その時その時を全力投球で精一杯生きて行こうと思う。

ブログ再開

2012-05-23 18:28:35 | フレンドリーのつぶやき
   2月初旬以来、すっかりこのブログから遠ざかっていた。今年は何故か例年に比べ色々な行事が目白押しで年初来息つく間もない慌しい日が続いた。
先週オーストラリアからの客人25名を送り出し、その後我が「男声コーラスコンパーレわかくさ」の10周年記念コンサートを終えてやっと一つ目の長いトンネルを抜けたような気がする。6月中旬にはまた海外渡航の予定があるので、今は束の間の休息期間と言う感じである。

   ところで、先週までオーストラリアからのゲストとして我家には2名の女性が宿泊していたのであるが、その内の一人は83才の高齢で体力的にはかなり厳しい人であった。ご本人は自分の体力の限界をある程度自覚している様子ではあったが、それにしても90kgを越えそうな巨体をゆすりながら、杖を頼りに、重いスーツケースを二つも持って、一人でタイのバンコクの知り合いに会いに行き、その後関西空港で他の24名と合流したのであるから、大したものである。日本での滞在は約3週間であるから、今回の旅行は合わせてほぼ一ヶ月と言う事になる。何ともその凄まじいばかりの気力には圧倒され通しであった。

   我家では結局畳の上では寝起きが無理だと言うので、2階にある自分のパソコン部屋を提供しベッドで寝かせたのであるが、毎日階段の上り下りも大変な重労働であったと思う。
奈良公園では車椅子を借りたが、乗せてもらう事は快しとせず、自ら車椅子を押して最後まで歩きとおした。京都では他のメンバーとは歩く速度も大きく異なるので、結局自分が個人的にアテンドする羽目になった。

   このように言えば、こんな受入は大変だったろうと思われるかも知れないが、自分としては結構勉強になる部分もあったし、それなりに楽しむ事が出来たと思っている。よく考えてみれば、自分とは一回り程度しか離れていない年上のお姉さんのようなものである。明日は我が身と思い、毎日お付き合いしている内に自然と親身にお世話をしてあげたいと思うようになった。この気持ちは相手にも十分伝わったようで、然程気を遣わずにいつの間にか気を許しあう仲になっていた。

   彼女は毎日口癖のように“I will survive, I will survive”といい続けていたのが大変印象深かった。ああ、彼女にとっては毎日が“Survival Game”なんだなあと、つくずく思った。
それにしても、少しでも人に迷惑を掛けずに、最大限体力の続く限り精一杯生きていこうとするこの女性の激しいばかりの姿勢には強く心打たれるものがあった。
それでも、別れ際にこれが最後の旅行になるだろうとポツンと淋しそうにつぶやいた時には、ちょっとほろりと来た。

コンピューターは怖い!!

2012-02-06 23:35:31 | フレンドリーのつぶやき
   最近あるごく親しい人物とメールでの議論となり、ちょっとしたボタンの掛け違いから収拾がつかなくなるほどとんでもない議論に発展してしまって、困り果てた。結局、何とか元の鞘に収める事が出来たが、その間全く無駄なエネルギーを使ってしまったと後悔しきりである。

   日頃はメールによるコミュニケーションが多くなっているものだから、ついつい気安くメールで済まそうとしてしまい勝ちであるが、議論を伴いそうな問題はメールにすべきではないと悟った。直接顔を見ながら話をするとか、電話で話をする場合は相手の反応を察知する事ができるので、ややこしそうになりそうだと思ったら、ある程度軌道修正する事も可能である。ところが、メールの場合は相手の反応が分からないまま一方的にこちらの言い分を伝える事にばかり意識が行ってしまうので、必要以上の事まで書き込んでしまう傾向があるのである。そして、結果的に相手の心を傷つけたり、自分自身も傷ついたりしてしまうのである。

   今回は正にこのコンピューターの落とし穴にはまり込んでしまった典型的な例であった。
直接顔を見ながら話をしておれば、簡単に解決してはずの事が、いつの間にか心理的負の連鎖反応に進んでいってしまったのである。そう言えば以前にもこんな経験をしたはずなのに、すっかり忘れてしまっていた事に気がついたが、後の祭りであった。

   コンピューターは大変便利な道具ではあるが、使い方を間違えるととんでもないトラブルの原因にもなりかねないので、注意が必要である。もう2度とこの間違いは繰り返さないと改めて自分自身言い聞かせた貴重な経験であった。