長年闘病生活を続けてきた姉が21日ついに帰らぬ人となった。子供の頃から母親のように可愛がってくれた姉だけに悲しみは大きい。
姉は28年間もの長期間人工透析を続けて来た為に体はぼろぼろであったが、驚異的な生命力で82才まで生き抜いた。夫とは幸せな生活をいとなんでいたが、残念ながら子宝に恵まれず、最愛の夫にも6年前に先立たれてしまった。その後は入院生活を余儀なくされ、生きる事の喜びも徐々に薄れて行く様子が痛いほど良く分かった。
この数年間は生きる事の意味を問い続け、日々死と向き合う姉の姿に心を痛めてきた。人間が死に直面しながら、長く生き長らえる事がどんなに辛い事か目の当たりにし、何もしてやれない自分の不甲斐なさをただただ恨めしく思った。最後の10日間ほどは息苦しさに懸命に堪える姉の姿を見るのは本当に辛かったが、息を引き取った後は苦しみもがいていた姿が嘘のように安らかな顔になり、ああ、あの苦しみからやっと解放され、仏様になったのだと実感する事が出来たのはせめてもの救いであった。
住む主を失った姉の家に何日か泊まったが、今回ばかりは真夜中に姉の遺骨の前に座ってもまるで怖さを感じなかったのは不思議である。正直言って、今までは誰もいない家の仏壇の前に夜一人で入ったり、寝たりするのは何となく怖くて勇気が出なかったが、今回はその怖さを全く感じない自分に驚いている。
自分もいつかは死と向き合わなければならない時が来るのは間違いないが、その時にはジタバタする事なくただ静かに寿命が尽きるのを待つ心境になるには、これからの余生を如何に送るべきかつくずく考えさせられた悲しい出来事であった。
姉は28年間もの長期間人工透析を続けて来た為に体はぼろぼろであったが、驚異的な生命力で82才まで生き抜いた。夫とは幸せな生活をいとなんでいたが、残念ながら子宝に恵まれず、最愛の夫にも6年前に先立たれてしまった。その後は入院生活を余儀なくされ、生きる事の喜びも徐々に薄れて行く様子が痛いほど良く分かった。
この数年間は生きる事の意味を問い続け、日々死と向き合う姉の姿に心を痛めてきた。人間が死に直面しながら、長く生き長らえる事がどんなに辛い事か目の当たりにし、何もしてやれない自分の不甲斐なさをただただ恨めしく思った。最後の10日間ほどは息苦しさに懸命に堪える姉の姿を見るのは本当に辛かったが、息を引き取った後は苦しみもがいていた姿が嘘のように安らかな顔になり、ああ、あの苦しみからやっと解放され、仏様になったのだと実感する事が出来たのはせめてもの救いであった。
住む主を失った姉の家に何日か泊まったが、今回ばかりは真夜中に姉の遺骨の前に座ってもまるで怖さを感じなかったのは不思議である。正直言って、今までは誰もいない家の仏壇の前に夜一人で入ったり、寝たりするのは何となく怖くて勇気が出なかったが、今回はその怖さを全く感じない自分に驚いている。
自分もいつかは死と向き合わなければならない時が来るのは間違いないが、その時にはジタバタする事なくただ静かに寿命が尽きるのを待つ心境になるには、これからの余生を如何に送るべきかつくずく考えさせられた悲しい出来事であった。