北面武士

至誠通天

暴風雨

2015-08-26 | 日記
八月二十五日(火) 暴風雨

台風15号は遙か九州の北側にて猛威をふるっているはずが、何故か近畿・東海地方にあたるこの地が暴風雨に襲われた。  過去の直撃型台風ですら、この様な長時間にわたる暴風雨はなかったような気がする。 
唸るような突風と叩き付けるような雨の中、会社の門を開けるために外へ出て、傘を一本大破 & ズブ濡れ・・・。 
唯々、地元の方々に被害が無い事を祈るばかりだ。
先程、夜間運転中も豪雨で視界不良の為、超安全運転。 いつもの2倍の時間をかけて無事帰宅。

熊本では旧藩主・細川刑部大輔宅の外塀が10mにわたり倒れていたが、熊本城は無事との事でひとまず安心。
台風の度に熊本城の事が気になって仕方がない。 昔、外塀が倒壊した時は泣きそうなった・・・。


今月は本業で問題が多々発生して、勤務時間が滅茶苦茶な状態となっている。
昼間に稼働したのは僅か2日間のみで、あとのはほぼ夕刻から深夜にかけての稼働ばかりだった・・・。
緊急呼び出しや徹夜もあり、体調も甚だ芳しくない。 週末に「だいちゃん」で生ビールを胃に流し込む時が至福の一時だ。

先週、待ちに待った秋刀魚が出た!
刺身と塩焼きで秋刀魚三昧を楽しんで、一時的に身体的・精神的疲労を回復する事が出来た。 「だいちゃん」のチーフに感謝。


生ビールを飲んでいたら秋刀魚の刺身がcome come! 一口食して、「冷酒」が頭に浮かぶ。



刺身が終わる頃に塩焼きがcome come! 今月上旬は市場価格・一匹千円くらいだったが、だいぶん安価になってきた。

とりあえず近況報告という事で、これにて失礼致します。

それでは、また。 ごきげんよう。
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地獄の一週間

2015-08-16 | 日記
八月十六日(日) 晴曇

八月九日(日)から続ていた地獄の一週間が、本日昼をもって終了した。
巷では盆休みという事で、町中や海水浴場は大勢の観光客や帰省の者達で溢れかえっていたが、
その間、私は徹夜も含む24時間シフト体制で本業の緊急問題解決対応に従事していた。
久しぶりの激務に些か疲れを感じ、ビールを飲んでも一瞬にして酔いが回ってしまう。

八月十五日はオフだったが、疲れ果てて一日中自宅警備状態。 
神宮へも護国神社へ行く気力もなく、昼間は呆然として過ごしていた・・・。 我ながら情けない。

今夜はおとなしくiPod Touchに新規音楽を追加して、ベトナム戦争当時の音楽を聴きながら葡萄酒を一献。
クリーデンス・クリア・ウォーター・リバイバル、スリー・ドッグ・ナイト、ジミヘン、ドアーズ、ジャニス・ジョプリン等を聴きながら、当時の激動の時代にタイム・スリップ。 先日30年ぶりに観た「地獄の黙示録」の影響大! 
1994年に半年程、ベトナム・ハノイ~サイゴン(ホーチミン)間の旧激戦地等を回っていた時、米軍が散布した枯葉剤が残る広大な平野が昔ジャングルだったと聞いた時は驚きを隠せなかった。 
当時、楽しい日を過ごしたダナンの町が懐かしい・・・。
音楽に関連するいろいろな思い出が頭の中を駆け巡ってくる。


ガキの頃観た時は経験値が低かったので理解度も低かったが、今観ると心に重くのしかかってくるような深い闇を感じる。



ヒトラーの一番のお気に入りだった、ワグナーの「ワルキューレ」を大音量で流しながら攻撃していく空飛ぶ騎兵隊。



このシーンはいつまでも頭から離れない。 特殊部隊にしては少々物足りなさを感じるのだが・・・。 

酔いも回ってきたようだ。 
それでは、また。 ごきげんよう。


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猛暑日

2015-08-08 | 日記
八月八日(土) 晴

今週は仕事三昧の多忙な日々と、禁酒 & 食事制限が続いた。
猛暑のせいか?暴飲暴食で体重が増加してしまったので、減量を行うべく鋭意努力中。
この一週間で増加した体重2kg分を減量したが、あと1kg~2kg程減量予定。

体調はすごぶる上々であるが、飛び切りの冷たい生ビールを飲みたくて悶々としている・・・。
冷蔵庫を開けると、冷えた赤葡萄酒が2本・・・。  辛抱我慢!しかし、心ふるえる。

猛暑が続く中、仲間や知り合い3人が軽度の熱中症になったが、重度の熱中症となると命に関わるので日頃からの注意が必要だ。
私も御白石持行事の最後の頃に症状が出たが、汗でくっついた衣類を脱ぎ、短パン・Tシャツに着替えて冷風を浴びたら、一瞬にして覚醒したが、ふくらはぎの筋肉が痙りっぱなしの状態が長らく続いた。 ふくらはぎをタオルで巻いて運転・・・。 翌日は筋肉痛になっていた。 

各人症状が違うが、手足の筋肉が攣ってきた時が初期症状なので、経口保水液「OS-1」を飲まれる事をお薦めする。 体液に近い成分なので、即効で不足した水分補給可能。  
二日酔いの時に飲んでも良く効くので、冷蔵庫には欠かせない一品、というか常備品。(間違った使用方法?)


皇大神宮別宮・伊雜宮の境内が手入れされ、枯山水の風流を醸し出している。
芝本宮司の数寄と創意工夫が溢れ出す仕上がりになっていて、現在も池の周りを手入れ拡張中。
無駄を省き、簡素ながらも奥行きを感じさせた空間を楽しめる。 伸ちゃんによると、宮司は境内を昔の状態に戻しつつ、新たな風流を取り入れているとの事。 


鳥居をくぐり、社務所左手を望む。 この間までは草で覆われていたが、現在は簡素ながらも奥行きある空間を感じさせる。



池の周りも手入れされており、落ち着いた空間が作り出されていた。 

駐車場あたりは炎天下だが、伊雜宮境内は涼しい風が吹き抜けおり、何となく古の鎮守の杜というものを実感する。
伊雜宮で心が安らいだので、帰宅後に同田貫又八鑓を眺め、一心に磨く。 久しぶりにのんびりした静かな一日を過ごせた。

明日は仕事・・・、再び多忙な日が続く予定。 

それでは、また。 ごきげんよう。
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本居宣長記念館 2015

2015-08-02 | 日記
八月一日(土) 晴

本居宣長記念館編


庭園入口で本居宣長先生の歌を拝見したので、このまま北畠神社から本居宣長記念館へ移動する事とする。
猛暑とカレーうどんで汗まみれとなったシャツを着替えて車に乗り込み、再び峠道を走りぬけ、只ひたすら松阪を目指す。 
本居宣長先生宅へは、昨年の伊雜宮・御白石持行事の翌日、横山大兄と行って以来の訪問となる。 今回は地図を中心に資料が展示されていた。 本居先生の地図コレクションや、自ら作成された地図を掲載させて戴きます。
私も地図を眺めるのが好きで、グーグル・アースで世界の各都市や観光名所を眺めて楽しんでいるオタクである。


「地球一覧図」。 この地図はどこから入手されたのだろう? また、本居先生はこの地図を見て何を考えておられたのだろうか。



「地球一覧図」の下に座られる本居先生。 



「日本行脚文集」 大淀三千風著。



日本地図。 偏向フィルター無き故、蛍光灯の光が写ってしまう・・・。 




本居先生が10代の時に描かれた、御所近辺の地図。 昔は表札をかけなかったので、各屋敷にどなたが住まれているかわかりにくかったはずだが、この地図には公家屋敷の位置が明確に記されてあります。 聞き込み調査をされたのか?



本居先生が描かれた京都周辺地図。



本居先生が描かれた京都市中地図。




「延喜式」に記された国郡別の神社登録リストを参考に大和国地図や伊勢国地図を作成された。







「職源抄支流」を、本居先生16歳の時に書き写されたもの。  
私も「有職故実」を勉強する為、パソコンで同じものを作成した事があります。 懐かしい・・・。




「都考拔書」。 本居先生の京都に関する抜き書き、素晴らしい資料です。





本居先生が第49回式年遷宮に神領民として参加された時に作成された、神宮内宮・外宮地図。 感無量。









隣接する本居先生宅を訪問。 本居先生に御挨拶すべく、奥の間の掛け軸の先生のところへ。
障子が締め切ってあり、薄暗い蒸し暑い部屋の中で本居先生を偲ぶ。 
座していると何かを感じた・・・。???  誰もいない本居先生宅の一室なのに、人気を感じてしまった・・・。 
蒸し暑いのにちょっと寒気がしたが、汗は止まず。 暑い!


本居先生宅を辞し、松阪城裏手にある紀州藩士・御城屋敷を訪問。 ここだけ時間が止まっているようだ。


猛暑の中、松阪城攻略方法をイメージしながら天守閣跡を目指して歩く。 途中何度も殺された・・・。



石段を上がり、途中3回程矢で射貫かれて死んだ頃、ようやく月見櫓跡へ到着。 暑さで本当に死にそうだが、景色は良好!





写真では分かり難いが、石垣マニアの私には、ここの石垣の恐ろしさと素晴らしさに足がふるえる。 
戦争したくないので、足がふるえる・・・。





最終的に10数回矢で射貫かれたり、槍で横腹を刺されたりしながら天守閣跡までたどりつく。
攻城戦においては、鉄砲より矢の方が危険だと再確認。 しかし、一番強くて怖いのは天照大神だと身に沁みて感じた!暑い!


夕刻から豊受大神宮前にて「外宮さん ゆかたで千人お参り」という行事があり、伊藤先生と教え子達がいちごジャムを販売されるとの事で、再び汗まみれのシャツを着替えて外宮へ移動。 




外宮のせんぐう館でミストを浴びて涼んでいると、紙芝居の準備をされていた。 神話は良いね!
伸ちゃんに電話したら近くにいるとの事で、二人で赤福にて一服。

あまりの暑さにピンぼけ。 いつもは多すぎると思っていた赤福氷が、今回は一気に食べきってしまった・・・。 暑い!



17:00より、いちごジャム、クッキー、チョコレートケーキを販売される伊藤先生と教え子達。
私はいちごジャムを10個購入。 伸ちゃんは両手に袋を持っていた。


いちごジャムとチョコレートケーキを持つ月亭可朝。 



伊藤先生と教え子達。 炎天下、お疲れ様です。 


ジャム購入後、私はとっとと帰宅し、風呂に入って汗をながし、「だいちゃん」にて生ビールを戴く。
女の子達にいちごジャムを配布し、宣伝活動に従事す。  

唯々暑い一日であった。 デブだからでしょうか?(人見さんのパクリ、失礼!)

それでは、また。 ごきげんよう。



















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北畠神社参拝

2015-08-02 | 日記
八月一日(土) 晴

10時間睡眠したが、まだ眠い。  うたた寝していたら09:00頃急に暑くなってきて、仕方なく起床。 暑くて寝れない・・・。
洗顔を済ませた直後、何故か北畠神社が頭に浮かんだので、参拝へ出向く事とする。
暑くなりそうなので着替えを準備し、写真機を肩に移動開始。 所要時間:約1時間30分。 いざ、出陣!

三重県内部の山深い峠道。 車両離合もままならない、くねくねした細道を、長い時間をかけて通り抜け、道の駅・三杉へ到着。 道の駅で茶を飲んだ後、北畠神社へ移動。


くねくねした細い峠道。 ハンドルを切るのが面倒くさい!



山をいくつか越えると大和国(奈良県?)へ。



いつも開放的な海の近くに住んでいるので、最近は山深いところは苦手。 山の圧迫感が凄い!


山の中を黙々と運転して、目的地の北畠神社へ到着。


北畠神社一の鳥居。 鳥居をくぐり、小さな橋を渡り右手へ進むと神社本殿。 左手へ進むと霧山城跡。



二の鳥居。



大きな杉の木が本殿の周りに佇む。 





神社本殿。 伊勢国司・北畠家の館があった処。  いまさら、北畠家の説明は不要かと思われますので割愛。


神社由緒。 こちらに詳細が説明されているので御覧になって下さい。



南朝と深い関わり合いのある神社が明記されている。



陸奥守鎮守将軍・北畠顕家像。 二十一歳の若さで大阪・阿倍野に散った。


神社に併設する、国指定・名勝及史跡 北畠氏館跡庭園(三大武将庭園・日本名園五十撰)を拝観する。
作庭者は管領・細川高国(細川政元の養子)で、娘が北畠晴具夫人。 将軍の命を受けて、援軍を頼む為に、婿の晴具を尋ねて国司の館に逗留していた折に作った庭園だと言われている。
翌年、細川高国は戦に敗れて、摂津国大物の広徳寺で自害をしたが、その時世の和歌数首の中に、伊勢国司に宛てた一首がある。「絵にうつし 石をつくりし海山を 後の世までも 目かれずや見む」


明和九年の春、本居宣長先生が吉野の桜を見ての帰り、飼坂峠を越えて北畠神宮を詣で、先生の祖先で本居惣助という人が北畠氏の家臣であったことを懐かしく思い出されれている。
「君まさで 経りぬる池のこころにも いひこそででね 昔こふらむ」




 










南北朝動乱の中に行き、室町文化お爛熟とともに凋んで散った名族の末路を偲んでここに立てば、滅びゆくものの美しさ、ひとしおの感慨を覚えずにはおかぬだろう。
もう少し手入れして清掃してあれば良いと思うのだが・・・、昨今の神社経営は厳しい状態にあるから仕方ないのかも。
それにしても暑い! 汗か豚汁かわらないものが、身体中からわき出来る! 誠に不快である! 暑すぎる! バカヤロ~!

この後、隣接した休憩所でカレーうどんを食し、霧山城跡へ行こうかと資料を眺めていたら、距離:約3.4km、高低差:約200m、 所要時間:1時間30分・・・。  この猛暑に山登りは無理だと思い、即断念。 自分ながら良い決断だったと満足している。

とりあえず、登山入口まで移動。 資料を見ていなかったらこの1350mという距離に騙されていたはず。危ない、危ない!

次のブログへ続く。

それでは、また。 ごきげんよう。







 
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