ぽんのんのⅡ

1本の花の中にも大自然。人の心の中にも大自然
人間は自然の掌の上で生かされている。不自然なことはやがて無理になってくる

もう一度~私の終末宣言書

2017年06月20日 | 社会

<パーキンソンの診断名がついて退職し10年過ぎました体調悪く、しばらく一番のライフワーク「幸せに死ぬ権利」に集中します>

 どんなに健康に気をつけていても、いつかは、歩けなくなる、食べられなくなる。 そうしたら、私は、ただ静かに、寝たきりになって、枯れていきたい。象は死期を悟ると密林の奥深く「象の谷」へと去っていったという。私はそれでいい。
 
 私も、ここまでと思ったときは、もう治療を望まないだろう。胃ろうも、経管栄養も、24時間点滴もしなくて良い。もし、痴呆になって判断力がなくなろうと、自分が嫌がる事は、無理強いされたくない。自然のある所、水の音、風の音、夕陽、月の光、そういうものを楽しみに、最後の時間を静かに、自分の思うように過ごしたい。死の枕元は、うるさくしないで静かであってほしい。できるなら、大好きな、この家で、最後まで暮らし、この家で死ねたら、しあわせ。病院にも、施設にも入りたくない。
 
 若い命は、どんなに困難でも、明日へ生きて行くべきだ。命は、咲かせるべき花の蕾があってこの世に生まれてきたのだと思うから。でも、役目を終えた老いの命は、しずかに去らせてほしい。私は、長生きよりも、明るく、のん気に、幸せに、死んで行くのを、望む。そのときが来たら「体」と「心」の痛み苦しみを和らげてほしい。世間体も法律も超えて、自然の法の中で終わりたいと願う私。
 
 それが私の望む死に方、あなたは、あなたで、自分の死に方を、きちんと心に決めておくべきだと思う。自分の死に方を、人まかせ、医師まかせにしていいわけがないし、まして、政治やイデオロギーに翻弄されたくない。
 
 大事な親だもの、どんな姿でも、1日でも長生きしてほしいと願う話に子供のエゴを思う。大事な親なら、親の望む事やおもいを、守ってやるのが、子の勤めだと思う。

 さあ、骨壷も、死に装束も、終末宣言書も用意できた。後は、押し入れの整理と、私の死に方に付き合ってくれる医師を探すだけだ。
                          
                                                      2006年3月
       
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私の伯父も (しゃちくん)
2017-06-20 15:35:21
離婚後は一人暮らしを続けパーキンソン病を発症してからはデイサービスに助けられながら生活してました。
最期はお風呂に浸かりながら亡くなり、デイサービスのスタッフさんによって発見されました。
伯父は志願して戦闘機乗りを目指すも終戦を迎えて農業に従事してました。病気が進行しても悲観的にはならず親戚の世話にもならず生涯を閉じました。

野良猫は像のように死ぬ時は姿を消しますが、飼い猫は飼い主に見守られながら息を引き取ります。
私達人間は飼い猫と同じく、家族に見守られながら死んでいくのです。
孤独はとても寂しいものです。

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