ぽんのんの2

1本の花の中にも大自然。人の心の中にも大自然
人間は自然の掌の上で生かされている。不自然なことはやがて無理になってくる

北海道はいつまでも、キラキラと命育む自然豊かな大地であってほしい

ぽんのんの とはアイヌ語で、ちいさな(ぽん)花(のんの)です。以前のブログ名にもどしました  

人は 咲かせるべき蕾を抱いたから 生まれてきたのだと・・

2016年09月22日 | 社会保障制度
春に芽が出て
夏に花が咲いて
秋に実がみのり
冬に大地の中で眠る

季節は、繰り返し、命は紡がれてゆく

命は、しあわせに
生まれて 生きて 終わって逝けたらいい

人は 咲かせるべき蕾を抱いたから 生まれてきたのだと思うから
障害があるとか、ないとかでなく
自分の花を咲かそう

キラキラ笑顔の中にも咲いている
いのちの花

        

            












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年金制度も生活保護制度も、実質的に社会保障制度である。

2016年06月10日 | 社会保障制度
しかし、その絶句するような不公平な格差
年金者は年収100万以下がざらにいる。それでも公的扶助は全くなく医療費3割負担。
生活保護者は年収400万円に相当すると聞いた。

しかもアベノミクスは、2年くらい前?私の1カ月5万6千円の年金を2回も引き下げておいて、経済の上向きを自慢していた。

国は、社会保障制度について、少しトータルで考えたら?
金銭感覚が上流階級ばかりで、全く解らないんだろうけれど・・・

低所得者の医療費は3割でなく1割でいいじゃない
生活保護は3割でいいじゃない






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人は生きてきたように、死んでゆく

2016年05月15日 | 社会保障制度
 本来、人は生きてきたように死んでゆく。
 怠け者は怠け者の老後で、働き者は幸せな老後を迎える、だから、家族近所を大切に支え合い、安心の老後の生活を送るのが、今日を一生懸命生きる根拠だった。

 「どういう人生を送るのか、自分が決めている。大きな事から小さな事まで人生はいろいろな事に遭遇し、そのたびに自分が判断し決めている。判断の連続なのだ。そして、その人らしい人生を送る」と,友はいう。

 ・・イギリスは大戦後、「揺りかごから墓場まで」という福祉政策で国民を守ったが、保護された国民は「イギリス病」となり、たちまち働かなくなった。日本も「年金・医療・福祉」が、経済基盤の弱さにもかかわらず いつの間にか「国民の当然の権利」として主張され、国の借金を押し上る。どこの国でも、国民を選挙目的で保護すれば、やがて「過保護」に進むのは“時の問題”、国民の保護要求は高いけれど 「誰がお金を払ってくれるの」(参照 ふじひろパール)

 国に自分の人生を依存させるものではないし、国が人の人生に全部責任もちますよ、というものでもないと思う。理不尽や災害などの不運などからは守られねばならないが、自分の人生はまずは自分のもの、そして自分が責任を取るものだと思う。税金は他人様が必死に働いて納めたお金だ。

 しかし、いまの生活保護制度は、国の責任で、無差別平等に、健康で文化的な最低生活が保障される。受給要件は、「貯金がなく働けないもの」で「困窮に至った理由は問わない」という。つまり、ろくでなしも、運の悪い正直爺さんも無差別平等に保護されるという事だが、そういうのを平等っていうのだろうか?では人は何のために働くのか、どんな生き方をしても健康で文化的な最低生活が保障されるなら、一生懸命働く根拠は消滅したともいえる。
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生活保護制度ではない、社会保障制度を。

2016年05月12日 | 社会保障制度
そんなに大変なら 生活保護を受ければ・・といわれても
私は 受けない。なぜかというと・・

それに社会保障制度とは、生活保護制度ではないと思う
もっと、健全で公平で誰もが納得できるものだ

また75歳以上だとい145万円以下は医療費は1割負担でよく
75才以下は、年収70万円だろうが、3割負担だそうな・・

それから、お金のかかる検査とか治療とか、考えものじゃない?
Drカバン一つで来て、熱、血圧、聴診器をあて、舌や目を見てお腹の様子を見て
診察、診断してくれた
高齢者の医療はそんな感じでいいじゃない

       
        初めての赤いばら             
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100歳になりたくないと海で逝った人~だれも「わかったよ」といってあげれなかったのか

2016年03月11日 | 社会保障制度
ニュースで知った

なんてやりきれない話だろう
どうして、99歳まで生きた果てに
寒い海で死ぬしかなかったなんて

誰も助けてやれなかったの?
「わかったよ」
「大丈夫だよ、冷たい海になんか飛び込まないで」
[暖かい布団の中で、ゆっくり眠りなさい」
そう言ってあげたかった

誰かそう言って、助けてあげれなかったの?

医師は「命を救う」だけでなく「人生」を救ってほしい
生まれるのも、生きてゆくのも 死んでゆくのも大変
でも、生きてゆくのはみんな助けてくれるけれど
死ぬときは誰も助けてくれない

死ぬまで生きよと強制されるのは
時としてこれ以上はない悲惨だと思う
死ねないから生きている、そして壊れて行く人っているのだろう
あるいは、事故を装って自死する人もいるだろう

自死は精神病と見なされ忌み嫌われた

本人の望むように終末を迎えられるよう 助けてほしい

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嫌がることは何一つさせたくない 望むことだけしてあげたい

2015年12月16日 | 社会保障制度

死が近く避けられないのなら

嫌がることは何一つさせたくない 望むことだけしてあげたい

枕もとを騒がしくせずに・・・

             

 

 

 

 

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おばばのたましいのはなし

2015年11月01日 | 社会保障制度
<ちいさかったとき おばばや おとなたちが よくあつまり
いろいろな はなしを してくれました>
https://www.youtube.com/watch?v=45nQL14kB-0おばばのたましいのはなし

人はみんな
やがては たましいとなって
あの世にゆくんだよ

どんなにお金や財産があっても
なにひとつもってはゆけない
たましいだけになってゆくんだよ


たましいはあかりとなって
くらやみのなかを あの世へむかって
ふわふわと とんでゆくんだよ

さきにいった人たちがね
むかえにきてくれて
まよわないように
みちびいてくれるんだ

でもね たましいが汚れていると
光を失うから
みつけてもらえなくて
くらやみを迷いつづけるんだよ

いのちはけっして
この世かぎりのものではないんだ

たましいにはね
そのひとらしいいろがついていて
さくら色だったり あかね色だったり 空色だったり

罪ぶかい人のたましいは
くらくにごって光をうしなう
あのよには ごくらくと地獄があって

ごくらくはかがやきにみちた
しあわせな世界
あいたいひとに  またあえる

地獄はごくらくの いけのそこにある
むげんのやみ
くつうとぜつぼうの世界

ごくらくにゆくか 地獄へゆくか
この世でのおこないがきめる

あの世にゆくときはね
人生でいちばんいい時の姿に
なってゆくんだよ

でも この世をちゃんと生きなかったら
だれもあってはくれない


みているよ
まもっているよ
まっているよ

みていてね
まもっていてね
まっていてね

いっぱいのえがおで
あいにゆくよ

                  
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じいちゃんの住みたい所

2015年08月25日 | 社会保障制度
 新しくできた老人保健施設をふらりと見に行ったら、一人で見に来ていたニコニコじいちゃんがいて、旅は道づれ、一緒に見て回った。

 私は福祉を得意分野としているが、じいちゃんもなかなか冴えている。日焼けした顔に笑い皺が似合うじいちゃんは元大工さんで、自分より年上の妻が2年前より車椅子となり、いろいろな施設を見て回っているという。愚痴もぼやきもなく、明るく飄々とした話し方だった。

 老人保健施設は木の素材の暖かさとゆったりしたスペースが心地よく、じいちゃんは「いいなぁ・・でも一ヶ月5万円なら入れれないなぁ・・まぁ、入る気もないけど、俺が用事がある時、2・3日頼もうかと思っているだけで・・」「あらぁ、奥さんと一緒にいたいんだ」とからかうと、「そりゃそうださ、いいも悪いも・・」とじいちゃんは言った。

 長年連れ添った夫婦、人生の冬の季節だからこそ一緒にいたい、まして妻が病弱ならなおさらのこと、何十年も傍にいてたり前だった妻が入所して、じいちゃん一人の家、夜なら一層さびしさも募るだろう。それは妻とて同じだろう。

 さらにじいちゃんは言った。「家は一人で住んでも二人で住んでも(光熱費、水道代など)大して費用はかわらんからなあ」 離れて暮らせば、「かまど」は二つになるようなもので、経済的負担は大きい。

 「二人でずっといられるところがあったらいいね」と言うと、「うん」と言った。「なかなか思うようなところはないかい?」と聞くと、「ないなあ・・」とため息のように言った。「年をとるって大変なことだね」と言うと、「うん、大変なことだ」といった。私もひどくやるせない気分になった。
 介護が必要な人と、介護している人が、一緒にいられる施設は今の所見当たらない。夫婦でも、高齢の親子でも「離れ離れ」になり、「大変な労力を使って通わなければ」ならない。介護の内容を考えると、食事介助、話し相手は時間がかかるし気心、真心も必要で、誠実な連れ合いがいるなら、連れ合いが一番いいと思う。 そして、おむつ交換、入浴介助などは職員がする。ヘルパーを増員するより、妻の介護者として、夫も入れる体制、施設が、あったらと思う。 

 高齢者の集合住宅のような施設、そうすれば、ヘルパー派遣も24時間巡回介護も、効、わたしも率よくなるだろう。

                              2000年4月 記2000年4月 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
15年たって、年金者の入れそうな場所はないまま、私も自立できなくなった暮らしを考える季節。
無理と言われても、「自由に自立して大好きな自宅で、幸せにのんきに逝く」「風まかせ 歩いてゆけるところまで」の気持ちは変わらない。がんばって!「厚生省、終末期に相談チーム」
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安心できる終の住家を  2003・3 記

2015年08月25日 | 社会保障制度

介護保険制度における老人保健施設は自宅介護困難な老人を何ヶ月か預かり、良くなれば自宅へ、悪くなれば特別養護老人ホームか、老人病院などへ送るというのが基本である。普通、老人は良くなるより、悪くなるほうが多いと思われるが、老人から見れば、老人保健施設へ移るときは「さらば、我が家、生きて再び帰れるだろうか」と、自宅を離れ、初めて施設に入った老人は、今までの日常とは全く違う環境下で、職員の指導の下、テレビの見る時間、電気の消える時間、酒、タバコの制限や、見知らぬ人との共同生活、そして就寝。なじめなかったりしながらも、一日、また、一日と暮らす。自分が何十年と培ってきた人生の日常は、そこには跡形もない。

以前、講演で「認知能力は大体70歳以降、急速に低下すると考えられる、」と聞いた。だから、住まいの配置換えをする時は、70歳以前が望ましいとのこと。また、老夫婦の家を建て替えるときは、使い慣れた位置、家の中を歩き回る作業動線、特に妻のキッチンはそのまま残すといいという。友人いわく、人が痴呆になる一番の原因は自信をなくすことだと言う。住まいが変わることもまた痴呆を招くという。それほどに、「住み慣れた」、「動き慣れた」、「使い慣れた」ということは、老人にとっては大切なことだ。 

老人保健施設から、さらに悪化すると、特養ホームか老人病院へ送られる。病院では、都合により、時々部屋移動があり、さらに悪化すると重症者室へと移動する。そのたびに本人はどれ程心細いことだろう。

ケアハウス、シルバーマンション、高齢者下宿などは入居条件に「自立可能な人」とある。入居者が高齢化して、自分の心身がすぐれなくなると、病気の心配より、「住まいを出される」のではないかという心配のほうが大きくなり、心身の不調を相談することもできず、追い詰められてゆくのではないだろうか。自立可能な人という条件は施設側からは当然かも知れないが、確実に老いてゆく高齢者から見れば、気の滅入る話である。

「年取ってからの夫婦」といわれるように、若いときはそれほどでなくても、年をとると、重ねた年月の絆があり、「いいも悪いも、かけがえのないお互い」になることが多い。もちろん、いろいろな夫婦がいるが、人生の冬の季節、一番寄り添っていたい連れ合いと離れ離れにするのは、酷な話である。しかし、介護保険施設(老人保健施設、特別養護老人ホーム、療養型病床)で入所できるのは、介護認定された人が対象である。

人が老いてゆくのは自然の摂理である以上、心身ともに老いて、病を得てゆくのもまた、やむを得ないことだ。老いても安心して暮らせる家がほしい、夫婦でずっと居られるところ、高齢の親子で暮らせるところ、気に入ったところで死ぬまで居られるところ、痴呆になっても出てゆかなくてもいいところ、そんな終の住家がほしい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
14年も前にかいたものです。基本的な思いは変わりません。
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「厚労省~終末期に相談チーム」と、日比逸郎氏の言葉

2015年08月25日 | 社会保障制度
厚生労働省は8月23日、「本人が本当に望む最後を迎えられるよう」という。

厚労省、終末期医療を全国で支援 来年度から、患者の意思尊重
08/23 18:39北海道新聞

、患者・家族の不安や悩みを聞き、みとりを含む終末期医療の選択肢など必要な情報を提供する相談支援チームの整備事業を、来年度から全都道府県で実施する方針を固めた。
 高齢化率25%、平均寿命が80歳を超えた日本は、年間死者数が120万人に上る。厚労省は事業を通じ、「多死社会」を見据えた終末期医療の在り方を検討、将来の医療・介護提供体制見直しにもつなげる考えだ

ああ、やっとここまで来たとおもうと感慨深い。
比逸郎先生は、「自死を認める権利確立を」(1995年・小冊子 エーザイ・クリニシアン NO437)の終わりの部分に、「自死が本人が希望する時間と場所で、最も安楽で確実、かつ気楽に実行できるようになってほしい」といったが、そこまで行けるのだろうか。。

               
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芥川龍之介「蜘蛛の糸」

2015年08月22日 | 社会保障制度
自分だけ地獄から這い上がろうとして
切れた蜘蛛の糸・・・


                 
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「日比逸郎氏~自死を認める権利確立を」~(小冊子)エーザイ・クリニシアンより

2015年07月13日 | 社会保障制度
web散歩にて「日比逸郎氏~自死を認める権利確立を」に出会った調べると,
小冊子エーザイクリニシアンに掲載されたものだった」
.以下、抜粋。

・・・・死にたいという願望を満たすまでには、案外、厄介なことに思いわずらわされるものである
 人間、誰でも生まれたいという明確な意思をもって生まれてきた訳でない。男と女の間に合意があったかどうか、また愛に彩られてか即物的な状況のもとでかも関係なく、異性間の交渉の結果として、自分の意志とは無関係に、この世に放り出されたのである
 せめて死ぬことぐらい、自分らしく自分の選択で自由に時期や手段を選びたい。生命尊重、人権尊重というものは他人に対してのもので、自分自身の事は自分で決するのが当然の権利だ
 病死、事故死という自己の意志の反映しない死は厳粛で、
 自己の意志による死の選択は自殺として特別視されるのも理解しがたい

 「自殺」という言葉からして不愉快だ。
 自分自身の意志で死を選択するのだから、「自死」と呼ぶべきであろう・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 問題は死に損なって、・・・いやな可能性を最小限にできないかというところにある。

・・・・・幸い医学は、人を助ける技術を開発する過程で、副産物として人からいかに楽に、確実に命を奪うかという方法論も開発してきたが、
 この技術は他殺に利用されるという懸念から、一般に公開されていない。

・・・今、求められているのは、自死したいときに、、こんな面倒なことから解放されて簡単、確実、安楽に実行できる方法の公開である
。尊厳死とか安楽死とか言う前に、まず、自死の権利がみとめられて、その後にその特殊な形としての、尊厳死や安楽死の問題が発生するのが自然だ。

 私は既に述べたが、もうすぐ老人で、人間が死んでくれないとこの世は困るという、誰もが承知しながら口に出したがらないこの世の定めに対面しているだけである。・・・・・,
trong>・・・・・
,
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「安心して人生を終えれる」まちづくり

2015年07月09日 | 社会保障制度
老いた

壊れゆく私
私はそれを悲しまない

のんきに、穏やかに、自由に終末を過ごせたらいいね
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今更ながら 私は悩む

2015年07月08日 | 社会保障制度
自分の心が歩けなくなったら、深く静かに眠ろう
大好きなこの家で・・・

と、それしか考えてなかったけれど
やっぱり、人が死んだ家は(家族がいれば別だが)嫌なのではという

そして、ある人が、
今の病院は、本人の望まない治療はしないから大丈夫!といった。
そうか、よかった、デモ、睡眠薬は、医師の処方で、自分の好きなように飲めないよね
と、言ったら、その人は、そしたら医者は「殺人者」になっちゃう、という
それに家族に訴えられる・・と

やっぱり死ぬときは病院が一番、無難だ
しかし、どんな終末のセンスを持った医師と出会えるか、
そして、自分の自由に睡眠薬とお酒(最期なのでおいしい白ワイン)は飲めないだろうか


私の体は動かなくなってきている
とことん動かなくなるまで生きねばならないのか
生きるとは、そういうものだと、誰かが決めたのか?
自宅で一人で暮らせなくなったら施設へ?
私は、まっぴらだよ

今日、知り合いが二人、静かに認知症を深めていっていると聞いた
誰もが施設へは行きたくない
しかし、家で一人では暮らせない。

自分の望むように死なせてほしい
生きるか死ぬか、自分の意志の問題ではないのか

今更、生きることに苦しんだり悩んだりしたくない
私は病院で深く眠り続けてゆきたい


今更ながら、悩む・・
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何年も家族を介護し続けた人を「殺人者」と呼ばないで

2015年06月23日 | 社会保障制度
国に頼っても限度がある
高齢者に対しても 障害児に対しても
信頼できる預け先がない。自分が通える範囲内にない

今の国の脆弱な社会保障体制では
介護の限界に達しても解決できないことが多い

それはだれの責任か?
せめて何年も家族を介護し続けた人を 
人生を「殺人者」として逝かせないで


殺人者って、どういう人?
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