ごみ出しは朝早くする、すっぴんボサボサ頭で行けるからだ?(^w^)
諸般事情でごみステーションが少なくなって、足の悪いおばあちゃんがごみ袋を下げて杖をついて捨てにいくのを窓から見掛けるようになった。
今朝、プラスチックごみを捨てに出たら、たまたま家の前でそのおばあちゃんに遭遇した。杖をついて腰も曲がってるから前だけ向いて歩けない、今日のごみは軽い、けど、距離はまだあるし、「よかったら一緒に捨てて来ますよ」というと、「ありがとうございます」と笑顔で何度も言われ過ぎてもうしわけないくらい。
おばあちゃんはここから戻っていった、少しの距離だけ短くなったと思う。
でも、ほんとはごみを出しながら歩くようにもつとめているかもしれないし、とも思ったりする。
親切は本当は難しいものなのだと思っている。
本当に喜ばれた一日一善だったかどうかは、実は曖昧なこともあるって事実はある、ただ逆に考えると、その人の心が嬉しいときはある。
「一日一善ありがた迷惑注意」空気を読めることがいつも大事かなと思う。
諸般事情でごみステーションが少なくなって、足の悪いおばあちゃんがごみ袋を下げて杖をついて捨てにいくのを窓から見掛けるようになった。
今朝、プラスチックごみを捨てに出たら、たまたま家の前でそのおばあちゃんに遭遇した。杖をついて腰も曲がってるから前だけ向いて歩けない、今日のごみは軽い、けど、距離はまだあるし、「よかったら一緒に捨てて来ますよ」というと、「ありがとうございます」と笑顔で何度も言われ過ぎてもうしわけないくらい。
おばあちゃんはここから戻っていった、少しの距離だけ短くなったと思う。
でも、ほんとはごみを出しながら歩くようにもつとめているかもしれないし、とも思ったりする。
親切は本当は難しいものなのだと思っている。
本当に喜ばれた一日一善だったかどうかは、実は曖昧なこともあるって事実はある、ただ逆に考えると、その人の心が嬉しいときはある。
「一日一善ありがた迷惑注意」空気を読めることがいつも大事かなと思う。