たのしみは朝起き出でて・・・

語楽、音楽、食樂・・・私の小さなたのしみたち

ミニバラ

2012年05月15日 22時27分34秒 | 花楽
先週末の我が家のベランダ。




「薔薇はたとえどんな名前で呼ばれても甘く香るって本で読んだけれど、
絶対にそんなことはないと思うわ。薔薇が薊(あざみ)とか座禅草(スカンク・キャベツ)
とかいう名前だったら、あんないい香りはしないはずよ」
(『赤毛のアン』 L・M・モンゴメリ著 松本侑子訳 集英社文庫)

訳者あとがきによると、「薔薇はたとえどんな名前で呼ばれても甘く香る」は、
シェイクスピア劇『ロミオとジュリエット』第2幕第2場のジュリエットの台詞なんだそうです。

ミニでも薔薇は薔薇。しっかり甘く香ります。

アッツザクラと仲良く



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『韓国人が一番好きな名詩100選』

2012年05月14日 22時10分31秒 | 語楽
昨日、話に取り上げた『한국인이 가장 좋아하는 명시 100선』(『韓国人が一番好きな名詩100選』)
装丁の愛らしさに惹かれ買いました。




いつ買ったかというと・・・



見えにくいのですが、2003年8月14日です。教保文庫で買いました。9年も前、なつかしいなぁ。
日付印を押されたことにビックリ。こうして見てみるといい記念になりますね。
最近ではインターネットでも、韓国から本を買うことができるそうですが、同じように日付印が
押されているのかなぁ?

去年の年末には、『해설 한국인이 가장 좋아하는 명시 100선(평생 곁에 두고 싶은 책)』
(『解説 韓国人が一番好きな名詩100選(いつもそばに置いておきたい本)』)が
刊行されています。こちらもとってもかわいい装丁で、
副題が「부모와 자녀가 함께하는 명시산책(親子で楽しむ名詩散策)」。
詩人について解説がなされているそうですが、こちらも手に入れてみたいです。

飾るだけでなく、ちゃんと読まなくちゃね。



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岩つゝじ

2012年05月13日 23時16分46秒 | 語楽
日本で春の便りと言えば桜ですが、韓国の春の便りはツツジです。
ツツジといっても、日本の街路樹でよく見られるような大型のものではなく、
枝いっぱいに小ぶりで、紫がかった桃色の花が咲きほこる岩ツツジのことです。
山に自生しているものが多いので、春が来て岩ツツジが咲くと、山一面が桃色に
なって、それはそれは美しい景色だそうです。

『한국인이 가장 좋아하는 명시 100선』の一番最初を飾っている『진달래꽃』(김소월)。
韓国語の勉強をしている方は一度はご覧になったことがあるのではないでしょうか。
韓国の国語の教科書にも載り、詩に曲もつき、老若男女にとても愛されている詩だそうです。


 진달래꽃(김소월)

나 보기가 역겨워 가실때에는
말없이 고이 보내 드리오리다

연변(寧辺)에 약산(薬山) 진달래꽃
아름따다 가실길에 뿌리오리다

가시는 걸음걸음 놓인 그꽃을
사뿐히 즈려발고 가시옵소서

나보기가 역겨워 가실때에는
죽어도 아니눈물 흘리오리다

金素雲訳
 岩つゝじ(金素月)

どうで別れの
日が来たら
なんにもいはずと 送りましょ。
寧辺薬山
岩つゝじ
摘んで お道に敷きませう。

歩み歩みに
そのつゝじ
そっと踏まへて お行きなさい。

どうで別れの
日が来たら
死んでも 涙は見せませぬ。

1920年、12歳で来日して、苦学の末日本語を身につけ、美しい日本語で訳した『朝鮮詩集』
『朝鮮童謡選』、『朝鮮民謡選』等を刊行した金素雲。
林容澤著の「金素雲『朝鮮詩集』の世界 祖国喪失者の詩心」(中公新書)によると、
金素雲が訳した「岩つゝじ」は失敗作だといいます。
理由も分からず突然捨てられることになった私が、相手に対し抱く愛情と怨念、その相反する心理
「恨」がこの詩の特徴であるが、
「結局、このような原詩のアイロニーとパラドックスによる錯綜した「恨」の心理は、金素雲訳の
「岩つゝじ」からは読み取れない。それはやはり、出だしの「どうで別れの/日が来たら」に端を
発しており、このままだと、相手の別れを既定事実として素直に受け止めたうえでの主人公の取る
行動にポイントが置かれることになる。」(以上、同書102ページより引用)
として、ご自分の訳詩を記されています。

林容澤訳
 つつじ

わたしを見るのも疎ましくて
行かれるときは
黙って静かにお送りしましょう
寧辺の薬山の
つつじの花
一抱え摘んで行く手の道に敷きましょう。

行かれる足ごと
置かれたその花を
そっと踏みしめお行きください。

わたしを見るのも疎ましくて
行かれるときには
死んでも流しませぬ 涙は。

日本語、韓国語、共に浅学で勉強中である私が語れるようなテーマでは
ありませんが、二つの訳詩(以下、「金訳」「林訳」といいます。)を読み比べてみると、
金訳の方がずっと原詩に近いような気がします。
そもそも、詩の題名からして、金訳の「岩つゝじ」は韓国で咲く紫がかった
桃色の小さなツツジを思い起こすとができますが、林訳の単なる「つつじ」では
日本の街路樹しか思い浮かばないでしょう。
「どうで別れの/日が来たら」も、別離を素直に認めているわけではなく、
「しょうがなく」という諦めの気持ちがしっかり表現されています。
その他の言葉についても、金訳の方は「翻訳」という感じがしますが、
林訳の方は直訳に近く、古語で書かれている原詩の雰囲気が出ていません。
金訳が七五調に訳されている点なども、日本の文化になってしまっていて
朝鮮の文化を表現をしているものではないという評価もあるようです。

『再訳 朝鮮詩集』(金時鐘訳 岩波書店)に
「訳を始めてみて『朝鮮詩集』は、金素雲の訳詩というよりも当時の日本の
抒情詩にリズムを合わせた、金素雲自身の、詩の歌であることの確信を
もった。そのためもあって私は、忠実に原詩に迫ろうとして極力意訳を
避けた」とあります。

日本人が金素雲訳の詩を読んで受ける感情と、韓国人が原詩を読んで感じる受ける
感情は、そんなに大きな隔たりがあるものなのでしょうか。

もし、難しい時代的背景がなければ、金素雲訳の美しい詩の数々は、
もっと高い評価を得ることができたのでしょうか。

例えば、上田敏の訳詩『山のあなた』のように。
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ビーズ、ビーズ、ビーズ!

2012年05月12日 21時14分05秒 | 天楽


友人がビーズアクセサリーを作ってくれました。
私のネックレスや、母のグラスコードなどなど。
様々な色、形、大きさのビーズ、ビーズ、ビーズ!

あらゆる能力に欠けている私ですが、その最たるものが
空間把握能力。
学生のころ、サイコロや三角錐等々の展開図が
とても苦手でした。こんなものが理解できなくても、
大人になって困ることはないなんて思っていたけれど、
今、しっかり困っています。
ビーズアクセサリーの説明図を見ても、どのビーズに、
どこから、どのように糸が通っているのか、ちっとも把握できなくて、
チンプンカンプン。なぜ、花の形になるんだろう?なぜ、球体に?

彼女は、自分が作ったのではないどんな複雑なアクセサリーでも、
壊れた箇所をちゃちゃっと修理できちゃいます。
ちゃんと展開図ができているんだなぁ。

次は、夏のビーズアクセサリーを作ってもらおうっと

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気になった樹

2012年05月11日 23時06分00秒 | 行楽



根津神社の北参道口にて
葉っぱの色と形に魅せられて
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