ほほえみ通信

要約筆記サークルほほえみのブログ。
会員の情報交換や要約筆記についての徒然です。

沖縄障害児教育発祥校

2009年12月09日 | よもやま話
勉強会での巡見場所を決める際、世界遺産となった座喜味城址、琉球王国時代の宿場だった喜名番所跡などいろいろ検討しましたが、たまたま読谷村にある小学校が沖縄での障害児教育を最初にはじめたところという話を聞き、もうここに行くしかないと会長さんと話が進みました。


沖縄に盲学校やろう学校ができる以前にこの「渡慶次小学校」で取り組みが行われていたのだそうです。



これは明治40年の琉球新報の記事です。

盲唖児童の教育
不具者の教育に就いては全く閑却せられ居る有様なるが此程渡慶次尋常小学校長與那嶺惟俊氏は進で同校学区内の盲唖児童を教育せんとし既に相当の準備を整へて授業を始めたる由なるが父兄の歓喜一方ならず皆其篤志を賞揚し居ると云ふ。尚ほ聞く所に依れば同氏は平素職務に対して頗(すこぶ)る忠実に従事し万事に熱誠なる上に夙(つと)に盲唖児童の教育に着目して数年来熱心研究する所あり未だ実地に試みたることは無けれど漸次経験を重ねるに随つて成績を挙ぐるに至るべく兎に角本県に於ける不具者教育の嚆矢(こうし/すべての物事の最初)として大に歓迎すべき事業ならんかと云ふ。


※( )内はこちらでつけました。


こんな読谷のいなかの学校が沖縄の障害児教育発祥校だとはほとんどの方が知らないのではないかと思います。

私自身も今回初めて知りました。


石碑の碑文



その教育の様子は記録が残っていないため詳しく分からないようですが、健常児であっても教育を受けるのは難しい時代(農作業が優先と考える親も多かったとのこと)、盲やろうの生徒は学校に通わず畑仕事や家に引きこもることが多かったのだそうです。

そのような状況の子供たちにも教育を受ける機会を与えたということは、とてもすごいことだと思いました。



この石碑は校内にあるので、今回は学校に許可をもらい近くで見学することが出来ました。


もし見学を希望される際には問い合わせされることをオススメします。



ちなみにここでは、要約筆記者3人が1枚ずつボードを持ち、書き次第交代という方法でやってみました。

対象者が3名だったので、見づらそうでした。

そこで、次の巡見地では別の方法を試しました。
それはまた次回・・・。




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