俺は今の首相が大嫌いだ。
教科書から従軍慰安婦の記述をなくそうとしていたり
男女の固定的な役割にとらわれない社会を作る動きを阻止したり
国を愛することを強制したり
様々な思想信条はたしかに存在する。どんな思想信条を持つかは自由だと思っている。
しかし、自分の思想信条しか認めないという態度はおかしい。
さらに、思想信条を持つ自由というのは無条件ではない。
「人を殺してもいい」という信条は、社会から保障されるはずも無い。
少なくとも今は、そういう社会が望ましいと、大多数の人が思っている。
思想信条なんていうものは、結局他の思想信条とぶつかる。
一つの信条を認めるとなれば、もう一つ(あるいは複数)の信条を否定することになる。
そういう関係の中に常に置かれている。
人が人と生きていくためには「俺はこう思うんだけどお前はどう思う?」
という対話が必要だ。
「どんな思想信条を持つのも自由だ」と言うだけでは
「俺はこう思う」と言っているだけだ。
日常生活では、対話が無い場合があるのは不自然ではない。
「あなたとは一緒に生きていかない」と宣言しても、生きてはいける。
しかし、それを国の代表が行うのはどうだろうか。
国の内外に対して。
この国は民主主義のはずだ。対話が基礎にあり、決定はその結果である。
その経過を経ようとしない国は「美しい国」か。
なにより、なぜ国だけを愛さねばならないのか。
「日本国」は、日本に住む人、海外に住む日本国籍の人の集まりだ。
自分の周りの人を愛せよという延長であれば、なぜ、中国やKoreaを愛さなくてよいのか。
とにかく、抑圧的なやつはきらいだ。
教科書から従軍慰安婦の記述をなくそうとしていたり
男女の固定的な役割にとらわれない社会を作る動きを阻止したり
国を愛することを強制したり
様々な思想信条はたしかに存在する。どんな思想信条を持つかは自由だと思っている。
しかし、自分の思想信条しか認めないという態度はおかしい。
さらに、思想信条を持つ自由というのは無条件ではない。
「人を殺してもいい」という信条は、社会から保障されるはずも無い。
少なくとも今は、そういう社会が望ましいと、大多数の人が思っている。
思想信条なんていうものは、結局他の思想信条とぶつかる。
一つの信条を認めるとなれば、もう一つ(あるいは複数)の信条を否定することになる。
そういう関係の中に常に置かれている。
人が人と生きていくためには「俺はこう思うんだけどお前はどう思う?」
という対話が必要だ。
「どんな思想信条を持つのも自由だ」と言うだけでは
「俺はこう思う」と言っているだけだ。
日常生活では、対話が無い場合があるのは不自然ではない。
「あなたとは一緒に生きていかない」と宣言しても、生きてはいける。
しかし、それを国の代表が行うのはどうだろうか。
国の内外に対して。
この国は民主主義のはずだ。対話が基礎にあり、決定はその結果である。
その経過を経ようとしない国は「美しい国」か。
なにより、なぜ国だけを愛さねばならないのか。
「日本国」は、日本に住む人、海外に住む日本国籍の人の集まりだ。
自分の周りの人を愛せよという延長であれば、なぜ、中国やKoreaを愛さなくてよいのか。
とにかく、抑圧的なやつはきらいだ。