オランダ風車は転法輪

オランダでの生活日記

蘭国遊学記

2017-05-19 17:04:21 | 日記
 
 観自在菩薩の行深般若波羅蜜多時は、渾身の照見五蘊皆空なり。五蘊は色受想行識なり、五枚の般若なり。照見これ般若なり。この宗旨の開演現成するにいはく、色即是空なり、空即是色なり、色是色なり、空即空なり。百草なり、万象なり。般若波羅蜜十二枚、これ十二入なり。また十八枚の般若あり、眼耳鼻舌身意、色声香味触法、および眼耳鼻舌身意識等なり。また四枚の般若あり、苦集滅道なり。また六枚の般若あり、布施・浄戒・安忍・精進・静慮・般若なり。また一枚の般若波羅蜜、而今現成せり、阿耨多羅三藐三菩提なり。また般若波羅蜜三枚あり、過去・現在・未来なり。また般若六枚あり、地水火風空識なり。また四枚の般若、よのつねにおこなはる、行・住・坐・臥なり。
                                               (道元 正法眼藏 摩訶般若波羅蜜)
 以上を仏教の専門的な言葉で説明したモノはいくらでもあると思うしかし、十二處十八界だのなんだのと能書きを垂れる前に真摯に自己に習って読み込めば難しくはない。只管打坐はこれによって説明されると思う。自己をもって坐禅をしこの身心の空なることを体験し観て、自己一体現前せる有様を深く深く坐上で参究し尽くし、自己一体でありながらもそれぞれ完全に違っていることを体験しなければならない。自己の身心他己の身心をして脱落せしめているこの世界を体験しなくては只管打坐にはならない。只管打坐を語ることはできない。体験諦觀なくして只管打坐をもちだすことは悟りを騙ることよりも危険なことだ。
 何も知らず何も参究せずにただ祇管に打坐しても何もならない。これは道元の正法眼藏全てに現れている。実践ありき、でも工夫辨道を参究しつづけていることを前提に、それらに裏打ちされながら実践しなければ非常に危険な修行とも鍛錬ともいえない実践になってしまう。仏教は主義でもなく学問でもなく哲学でもない生き方の見つけ方を知る薬、そして生き方であるからこそ何に比重を置くかと言うことにこだわらなくてはいけない。それがわかっていたからこそ正法眼藏を著したんだろう。
 
《釈迦牟尼仏の言く、「舎利子、是の諸の有情、此の般若波羅蜜多に於て、仏の住したまふが如く供養し礼敬すべし。般若波羅蜜多を思惟すること、応に仏薄伽梵を供養し礼敬するが如くすべし。所以は何。般若波羅蜜多は仏薄伽梵に異ならず、仏薄伽梵は般若波羅蜜多に異ならず。般若波羅蜜多は即ち是れ仏薄伽梵なり。仏薄伽梵は即ち是れ般若波羅蜜多なり。何を以ての故に。舎利子、一切の如来応正等覚は、皆般若波羅蜜多より出現することを得るが故に。舎利子、一切の菩薩摩訶薩・独覚・阿羅漢・不還・一来・預流等、皆般若波羅蜜多によりて出現することを得るが故に。舎利子、一切世間の十善業道・四静慮・四無色定・五神通、皆般若波羅蜜多によりて出現することを得るが故に》
 しかあればすなはち、仏薄伽梵は般若波羅蜜多なり、般若波羅蜜多は是諸法なり。この諸法は空相なり、不生不滅なり、不垢不浄、不増不減なり。この般若波羅蜜多の現成せるは仏薄伽梵の現成せるなり。問取すべし、参取すべし。供養礼敬する、これ仏薄伽梵に奉覲承事するなり。奉覲承事の仏薄伽梵なり。                                                         (同じく 正法眼藏)

 『問取すべし、参取すべし。』正法眼藏には多く引用される言葉が多い、本当に沢山の美しい言葉がある。でも似たような表現でこの二言ほど多く繰り返されているフレーズはないのではないだろうか。それこそ正法眼藏や仏教に興味があるならば各祖師の書物から問取し参取してみてはいががだろう。



ジャンル:
その他
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 蘭国遊学記 | トップ | 蘭国遊学記 »

コメントを投稿


コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
  • 30日以上前の記事に対するトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • 送信元の記事内容が半角英数のみのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • このブログへのリンクがない記事からのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • ※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。