オランダ風車は転法輪

オランダでの生活日記

蘭国遊学記

2017-05-17 09:20:41 | 日記

 仏教は宗教ではない。生き方だと思う。数ある考え方、生き方その違いが仏教内部のでの違いだと思う。
悟っても空を自由に飛べるわけではない。何もかも見通せるわけではない。スーパーパマンにはなれない。『そのことに気付き続けること』また『気付き続けなければすぐに私たちは自分を見失ってしまうこと』を痛感すること、それが一番簡単で身近に表現した悟りとは?じゃないかと思う。またそれを表現し続け伝え続けようとすること、それを道元は道得と言ったのではないだろうか。

 修行とは決して特別な行為ではないと思う。修行という言葉そのものが特別なモノという風に位置づけてしまう原因なのかも知れない。人も物も全ての物はその時その時に徹底してその状況環境に対応している。私たち自身は自分自身でそのことに気付かないように自分で自分を騙している。そのほうが生きやすいから、過ごしやすいから。でもそんな状況に一瞬疑問が生じてそれが引っかかり始めたら止まらなくなる。これを発心とか觀無常というのじゃないだろうか。

 仏教は文化を溶かし思想を溶かし私たちの考え方を溶かす。人間なんてそうそう違いはない。肌の色髪色身長くらいなじゃないだろうか?最近文化って何だろうとおもう、共通点を見いだし始めたらきりがないし、それはそれで大切だろうけど、文化って何だろう。
まえに一度教授クラスの人に文化の概念は、感覚は仏教にはないんじゃないか?といったことがある。僕の意味合いとしては釈迦の悟りについてだったんだけども、それりゃ仏教の何万もあるテキストは様々な習慣文化社会環境にに対して反応して出来たモノだけども、根本的に仏教文化というものは後世のモノで根本は人間皆同じ、固有のモノとか持ち出すから身分制度や国境やその他様々に二元化してしまって苦になるんだぜっ、というのが大乘とか原始佛教とかチベット仏教等全体をとおして基盤にあるからこそ仏教と言えるのじゃないかということで言ったんだけども・・・・
 逆鱗に触れたみたいですごく憤慨していた。・・・・・グチになっちゃうからここまでにしとくけど、世界三大宗教として括られているけど、そのなかで仏教は最終的に信仰やバイブル的なモノは皆無と行って良いほどないと言える。知らない間にぽこんと生まれて気づいたら俺がとか私とか僕の名前はとか国籍は・・とかが出来て知らない間に病気になったりしながら老いて死んでいる・・・・・・そこに気付いて俺って誰だ?何なんだ?ってもがいたのが釈迦だったり昔の仏教者達なのではないだろうか。そして時々刻々悟ってやっぱ人間そうそう違いはないわなー、なんて気付いて行動に移していったのではないかと・・・・メモ的に思ったことを書いておく。
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