HBD in Liaodong Peninsula

ぶらぶら街歩き日記です。北京編4年目です。

「水師営の会見所」1930年代の土産物

2017-12-05 | その他
この置物は、昨年、大連で手に入れた骨董品です。



「水師営の会見所」の方位磁針付きキーホルダーです。
水師営の会見所は、1905年1月5日、乃木希典とステッセルによる停戦の署名式が行われた歴史的な場所です。

日本租借時代の旅順の観光地で販売されていた土産物と思われます。
水師営会見所で売られていたのかもかもしれません。




当時の写真が残っています。




キーホルダーは金属製なのでずっしりとした重量感があります。

紐を通す穴がありますし、方位磁針が付いているので持ち歩くことを想定して作られたのだと思いますが、キーホルダーとしては些か大きすぎるサイズです。

下側が平らになっているので、置物にもなります。

日本租借時代の旅順は「聖地」と呼ばれた一大観光地でしたので、訪れた日本人向けにこのような土産物がたくさん製造されたのでしょう。

このキーホルダーを模っている末広がりの石碑は、満州戦績保存会により1916年に建てられたものです。

旅順の戦績を巡るバスツアーが整備され、観光客で賑わったのは1930年代ですので、この土産物の製造もその頃でしょう。

裏面には、こんな文字が刻印されています。


昨日の敵は 今日の友
語る言葉も うちとけて

これは戦前、小学校で広く歌われた文部省唱歌「水師営の会見」のフレーズです。
今も戦前生まれの高齢者であれば歌える方が多いと思います。

この歌が初めて掲載された教科書は、1910年(明治43年)発行の尋常小学読本唱歌(十巻)です。
読本は東京の乃木神社の宝物殿に展示されています。


小学生にこんな国威発揚のメッセージが強い歌を教え込み、こうした土産物にまで刻み込むのですから、当時の日本の特異な雰囲気が伝わってきます。

きっと、今も日本国内のどこかの家に同じものが眠っていると思います。

水師営の会見

作詩 佐々木信綱  作曲 岡野貞一
尋常小学読本唱歌(十巻) 明治43年7月

旅順開城 約成りて
敵の将軍 ステッセル
乃木大将と 会見に
所はいずこ 水師営
庭に一本 棗の木
弾丸あとも いちじるく
くずれ残れる 民家に
今ぞ相見る 二将軍

乃木大将は おごそかに
御めぐみ深き 大君の
大みことのり 伝うれば
彼かしこみて 謝しまつる

昨日の敵は 今日の友
語る言葉も うちとけて
我はたたえつ 彼の防備
彼はたたえつ 我が武勇

かたち正して 言いいでぬ
「此の方面の 戦闘に
二子を失い 給いつる
閣下の心 如何にぞ」と

「二人の我が子 それぞれに
死所を得たるを 喜べり
これぞ武門の面目」と
大将答え 力あり

両将昼食 共にして
なおも尽きせぬ 物語
「我に愛する 良馬あり
今日の記念に 献ずべし」

「厚意謝するに 余りあり
軍のおきてに したがいて
他日我が手に 受領せば
ながくいたわり 養わん」

「さらば」と握手 ねんごろに
別れて行くや 右左
砲音絶えし 砲台に
ひらめき立てり 日の御旗
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