HBD in Liaodong Peninsula

遼東半島での街歩き日記です。
2016年11月に駐在を終え、帰国しました。
今後は東京からボチボチと発信します。

旧大連ヤマトホテル – 初めての宿泊

2017-06-16 | 大連を歩く
先月、大連を再訪した際、大連賓館(旧大連ヤマトホテル)に宿泊してみました。

旧大連ヤマトホテルはこの日記でも何度かご紹介しましたが、自分が宿泊するのは初めてです。


1914年開業、大連随一のクラシックホテルです。
花崗岩を積み上げた壮麗な外観は建築当時の姿をとどめています。


ホテルの開業後、溥儀や与謝野晶子夫妻、リットン調査団、毛沢東、鄧小平ら多くの著名人や国賓、欧米人がここに宿泊しました。

1945年8月22日、進駐してきたソ連軍と関東州庁との間で大連の明け渡しの調印式が行われた場所でもあります。
その後数年間、ソ連軍司令部として活用された歴史も持っています。

満鉄が関東州と満州各地で経営したホテル群の旗艦店だったこのホテルは、単なる宿泊施設を越えたシンボル的な意義があったと思われます。

世界に知られるコスモポリタン都市になりつつあった租借地大連で、ヤマトホテルは日本が世界に高い格式と存在感を示すショーウインドウとしての役割を担いました。
このため、設計から施工、仕上げに至るまで入念な工事が行われました。
サービス面も欧米ホテルに負けない一流な施設とサービスを追求しました。


今回、僕が宿泊したのは409号室です。
北側の解放街に面したシングルルームです。

この部屋には、この100年間でどんな部屋が宿泊してきたのでしょうか。




客室は、1987年と97年に改修されていますが、1世紀を超える時間を経ているため、設備は現代的なホテルとは異なります。


北側(解放街)から見たホテル外観です。この写真の最上階右上から2番目の小さな窓の部屋が409号室です。

階ごとに窓枠のデザインに変化を持たせるなど、手が込んでいます。日本人が手掛ける西洋建築として、実験的な要素もあったのでしょう。

現在の部屋数は76室ですが、ヤマトホテル時代は115室だったそうです。この差は客室の面積を拡張したことや、テナントとして長期貸し出しをしている部屋との差でしょうか。

廊下が広く、シックな装飾や使い込まれたカーペットには重厚感があります。

朝食に案内されたのは、ルネサンス装飾のボールルーム「友誼宮」です。

満鉄や関東州庁、関東軍関係者など数々の社交の場となってきた天井の高い大宴会場です。
かの李香蘭もここで美声を披露したことがあるそうです。


ここも歴史の舞台になった宴会場です。

ここで朝食を取る宿泊客は少ないのか、利用客は僕1人でした。


永い時の流れを感じつつ、1人で日曜の朝食をのんびり楽しんでいると、暇を持て余したのか、給仕のおばちゃんも厨房に近い席に腰掛けて食べ始めました。

今朝の客は僕1人だったのかもしれません。こういう時間もよいものです。


2階のカフェテリアからは、中山広場のラウンドアバウトが一望できます。テラスに出ることもできます。


2階のテラスから3階方面を見上げてみます。


テラスに出て東側を見ると、旧大連市役所が目に入ります。

ところで、清岡卓行の著書「大連小景集」によると、このホテルの奥の方から、天津街にかけて広がる巨大な地下壕の入口があったそうです。
清岡は、1983年、35年ぶりに大連を再訪した際、外事弁公室の案内でこの地下壕を歩いたと記しています。

朝食後にそれらしい場所を探してみましたが、見当たりませんでした。
この地下壕は、2万人を収容する広大な空間なのだそうです。
駐在しているときから探していましたが、結局探し当てることができませんでした。

東北を代表するクラシックホテルとはいえ、格付けは三つ星ですので、宿泊料は格安です。

大連を訪問する際は、記念に一度宿泊してみることをお勧めします。


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