お知らせ

★フォトエッセイ『セントビンセントノオト』2014年秋 電子書籍化予定。

★その前に、文庫本版をグループ写真展で置いています。

写真展「Light」
期間:2014年8月28日(木)~9月2日(火)11時~19時

場所:ギャラリーHANA 下北沢
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おまけ 2年越しの奇跡


ビンセントを離れて、早1年半。

2009年3月、ビンセントから日本に太鼓が届いた。
太鼓仲間が作ってくれたもの。

この太鼓を貰うまでに、2年かかった。




2007年初めごろ
そもそも、帰国する半年以上前から「日本に帰る時には、作った太鼓をプレゼントする」と言われていた。
ビンシーの言うことはあてにならないが、私としても是非持って帰りたかったので、帰国が近づくと「そろそろ帰るからね」とアピールしていたし、太鼓仲間のオービーも作ってくれている様子だった。

2007年9月
しかし、帰国数日前に会った時に渡してくれるはずが、完成が間に合わず。(計画性のないビンシー)
帰国前日に首都まで持ってきてもらう約束を再度したが、最後の仕上げにいざ皮を張ろうとしたら、用意した皮が小さくて張ることができなかったらしく「I have a problem.」と電話がかかってきた。(何をやるにも深く考えないビンシー)
それでも、「ぜひ渡したい。完成したら友達に渡すから日本人の連絡先を教えてくれ」と言われ、一人の隊員の電話番号を教え、隊員には輸送料相当のお金を託して帰国した。

2007年12月
クリスマスカードに、「私はまだ太鼓を待っている」と書いて日本から送った。

2008年6月
最初に太鼓を送ってくれるよう頼んだ隊員が帰国、別の隊員が引き継いでくれた。

2008年12月
クリスマスに、日本から電話をして太鼓仲間の一人と話すことができた。
「お前の太鼓は、俺が持っている。どうしたらいいんだ?(当初の段取りなんてすっかり忘れているビンシー)」というので、隊員に渡すようにもう一度お願いした。

2009年2月
オービーから帰国間近の隊員に太鼓が手渡され、ついにビンセントから発送された。

2009年3月末日
私の元に、届いた。


包みを開けてみると、1年半前のオービーの「ボブマーリーを彫ったんだ」という
言葉通り、それらしき人間が彫ってある。
残念ながら、皮が破れていたので太鼓としては使えないけど、これは力作。

2年もかかったけど本当に太鼓を作ってくれた彼らの気持ちが、うれしい。言葉だけで終わるビンシーが多い上、時間と距離を越えて太鼓が届いたこと、これはかなりの奇跡。

「期待しない。でも、あきらめない。」
怒らず、焦らず、でもこちらから何度も働きかけて、ひたすら待つ。
そうすれば、もしかしたら、彼らの気持ちが動いて、いつか何か起きるかもしれない。
変わるかもしれない。そんな隊員活動を象徴するような、嬉しい出来事が、2年の歳月をかけて起きたのだ。


日本で働く生活が淡々と過ぎて、ビンセントの日々がどんどん遠くなっていく。
それでも彼らのことはよく思い出す。
活動についてもいまだに考えることがある。
確かにビンセントでの生活、隊員活動は終わったことだが、
経験したこと、感じたこと、考えたことは自分の中に残っていくもの。
彼らとの関係はこれからも続いていくもの。

I can't foresee the future or know how our lives will belnd,
But more and more I know that I have found a lasting friend.

最後に友達がくれたメッセージボードの言葉を見るたびに、
日本の反対側で、全く違う世界が存在していることにほっとする。
彼らは、今日も強い陽射しの中、外で腰かけておしゃべりしているんだろうな。


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最後に

9月21日に、日本に帰ってきました。
9月8日にセントビンセントを出国し、アルゼンチンを旅行してきました。


活動終了間際は精神的に余裕が無くて、帰国間際はあわただしくて、更新が中途半端に終わっていました。中途半端で終わるのも嫌なので、下書きだけはしていた最後の活動サマープログラムの2週間のことを、さらっと紹介したいと思います。8月13日~24日のところをご覧ください。
もう、多くは語りません。写真だけにします。
サマープログラム中は、毎日ドリカムの「何度でも」という歌を繰り返し聴いてました。ほぼ毎日、日本の母に電話していました。やせました。それだけ申しておきます。



セントビンセント最後の日、
オハイオらがバイラから空港まで見送りに来てくれました。
ジェラルドらは、「見送りに行けないけど、気をつけて帰ってね」と電話をくれました。
「To a special friend 」という詩が書いてある盾と手紙をくれた友達がいました。
大家さんとは、最後に鍵を返しに行った時に、3時間も話し込みました。
隣の家の人は、「日本に無事に着いたら、連絡してね」と言ってくれました。

親切にしてくれた人、本当にお世話になった人が誰だったか、最後によくわかりました。
アルゼンチンに着いてからも、たびたび彼女ら、彼らのことを思い出しました。


最後はちょっと、美しかったよ。


セントビンセント生活が終わったので、このブログも終わりになります。
これまで見て下さった方々、どうもありがとうございます。

日本で、どこかで、お会いしましょう。

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バイバイ、バイラ

バイラ最後の日。

サマープログラムの反省会をした。
話せば話すほど、感覚の違いを痛感した。
また私は声を荒げた。
お互いに思っていたことを話せたのはよかった。
でも、「お互いに誤解していたんだね」という結論は納得いかない。
そして、私は言いたいことを半分しか言っていない。
言っても真意が伝わらなくて、相手に嫌な思いをさせるだけだと思ったから、
言いたいことを全部言うのはやめた。
本当に考え方が違うんだということはよくわかった。
期待することが全然違う。
しかも、彼女達は思ったことをその場で言わない。

サマープログラムは来年もやることに、もはや誰も異論はない。
やる気になっている。

スタッフをやる気にさせるという目的は達したから、
もうお互い分かり合えなくてもいい。


ミーティングのあとは、お別れ会。

コミュニティーセンターに行ったら、parenting programmeに参加しているおばちゃんたちがいた。
お別れ会の為にきているのかと思ったら、編み物をしにきていた。
そうか、今日はいつもプログラムをやっていた水曜日だった。
プログラム再開は夏休み明けかなと思っていたが、もう人が勝手に集まるようになっている。いいことだ。

ミーティングの前にあった出来事でかなり落ち込んでいたので、この光景には救われた。



お別れ会の主役は、
3ヶ月の任期を終えてあさってジャマイカに帰るバークレー氏と、2年2ヶ月の任期を終えて来週の土曜日に日本に帰る私。

みんなも私も涙ぐんだけど、私は内心ほっとしていた。
みんなに感謝もしているけど、終わってほっとした。

自分のやったことに満足はしているけど、
活動終盤になればなるほど、ビンセント人との感覚の違いに私の心は離れ、ジャマイカ人、アメリカ人と関わることでのストレスも加わり、疲れがたまっていた。

活動が終わってしまった悲しみよりも、今は安堵のほうが強い。

「これぞ協力隊」ってみんなが思うような美しい話が書けなくて申し訳ないね。
でも、これが私の現実だから。

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皆既月食


疲れて家路についていたら、水平線近くに赤い丸いものが見えた。
カメラを持って、家の裏の海まで走っていった。

皆既月食だ。

急ピッチで荷物を整理しているのもあって、また余裕がなくなり、ビンシーの挨拶程度の言動にまでいちいち腹を立てていた1日だったけど
こんな特別な月を見たら、心がほぐれたさ。



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洗濯

2時間半寝て、朝いちで家に帰る。
洗濯機をまわしている間に一眠りしようと思ったら、洗濯機が動かない。仕方がないので、手洗い。
洗面器に入れた服を見て、自分てこういう色、柄が好きなんだなと改めて気づく朝8時。


出国まで2週間をきりました。
荷物を整理し、報告書を作成し、おみやげを買いに行き、いろんな人に別れを告げ、忙しくなりそうです。ブログの更新どころではないのですが、サマープログラムのことも、そのうち、載せたいと思います。
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解放

久しぶりのお酒。

夜、外で友達とご飯を食べたり飲んだり、ということがほとんどないので、こういう日はとても嬉しい。メニューを見て、選んで注文するのが楽しい。活動も一段落したし、解き放たれた気分もあった。
あまりに嬉しくて、飲みすぎた。

気持ち悪くて横になり、その後は目が冴えて4時まで語る。

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Sounds of Freedom

サマープログラムが終わって、ストレス状態から完全復活。
活動以外でも、ビンシーと関わる元気が出てきた。
夜は、イベントで太鼓を叩くために、キングスタウンへ。

ここ最近気力がなくて練習に出てなかったので、何をやるのか知らなかったし、出発直前まで本当に行くのか疑っていたが、珍しくバンの手配もうまくいき、時間通りに会場に到着できた。

イベントは大西洋奴隷貿易廃止200周年を記念したもの。「Sounds of Freedom」と題した音楽イベント。
1807年に奴隷の売買が禁止された。すべての英国植民地で奴隷そのものが禁止されたのはその27年後の8月1日。8月1日の奴隷解放日を皮切りに、今月はいろんなイベントがあった。

文化大臣や首相の挨拶もあり、ちゃんとしたイベントだったらしい。
プログラムの前半はうちのグループのような素人中心で、後半は有名なプロの歌手達が中心だった。ビンセンシャンのアイデンティティーともいえる、アフリカをルーツとするもの、カリブ特有のものがプログラムの中心。










スチールパン

トリニダードで発明された。
















アフリカの民族衣装

こういうアフリカに関するイベントの時は見るが、普段来ている人はほとんどいない。





カリプソ

トリニダード発祥の音楽。
話すことを禁止された奴隷達が、音楽でコミュニケーションをしたことから始まった。

私には、このカリプソ歌手の表情、動き、衣装がお笑いにしか見えず、必死に笑いをこらえていた。でも、彼の歌は観客に好評で、アンコールがあった。うーん、感覚の違い。その他にも、有名なカリプソ歌手が次々に登場。



うちのグループは、衣装がバラバラ。

おしゃれする人、アフリカの服を着る人、普段着の人。
私は、どういうイベントかもよく分かっていなかったので、普段着のTシャツにジーンズだった。もっと気合いを入れた格好をしてくればよかったと思っていたら、案の定、文化大臣のおばさまから「あんたたち、田舎ではいいけど、こういう国のイベントの時はちゃんとドレスアップしてきなさい!」と怒られた。
うちは、外見じゃなくて中身で勝負なんだと言いたいところだが、演奏もたいしたことはない。私はぶっつけ本番で、2曲やると聞いていたのに、ステージにあがったら3曲やると言われた。しかも、私の知らないリズム。もう、適当に演奏。



有名な歌手も出演しているのに、観客は多くないし、なぜかみんな遠巻きに見ている。拍手もまばら。
ソカみたいにもっと激しい音楽じゃないと、若者は来ないし、観客は盛り上がらない。
国が小さいから、首相も有名人も身近な存在で、特に騒いだりしない。

そして、何かやっていると、この国では必ず上半身裸で変な踊りをする変な人が出てくる気がする。今日も、2人くらいそういう人が現れた。




終盤に現れた、
このレゲエ歌手は秀逸。
うまい。
たたずまい、歌、独特なオーラに惹かれた。

音楽を聴いて感動したのは、久しぶりだ。文化的な刺激に飢えている自分に気がついた。
ライブは、いいなあ。















    うっとり。

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サマープログラム最終日

プログラム中に作った作品を展示して、子供達に修了書をあげる。
スナックをもらって、自分が作ったものを全部身につけて、子供達はおうちに帰る。





































































































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第2回 新組織ミーティング

新しいコミュニティーグループの集まり、2回目。


前回より、参加者が増えた。

「クリスマスに、村中にイルミネーションをしよう!」という意見が出た。
何でもいいよ。何でもいいからやってくれ。
がんばれ、バイラ。
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