kuroの気楽な日々!

下手な俳句と写真で綴るkuroの日記

これが子供達の砂場?!

2017-03-05 03:27:13 | 日記

とある小さな児童公園です。

なんの写真かわかりますか?

ナント砂場なんです。

まるでプロレスのデスマッチリングみたいじゃありませんか。

今はお子さん達を金網の中に閉じ込めて遊ばせるのでしょうか。

なんとも不気味な遊び場に見えます。

もちろん理由あってのこととは思いますが・・・。

ガラス片や釘、針金等混入を防ぐため。

犬や猫がトイレがわりに使用し、ばい菌等が繁殖するのを防ぐため。

等々・・・。納得のいく理由です。

 

それにしても物々しすぎませんか。

我々(団塊世代と言われる年代)が子供の頃は、砂場というものは完全にオープンでした。

自由に入り込んで自由に遊んでケガをしたらしたで絆創膏を貼ってもらって更に遊び続ける・・・。犬や猫の糞は見たことありませんが、ひょっとしたらあったのかもしれません。

でもこの歳になっても元気でいます。

私だったらこんな金網の中に閉じ込められたら二度と砂場遊びなどしたいと思わないのでは、と思います。

いっそのこと砂場など取っ払って別の遊具を置いたほうがよろしいような気もしますが・・・。

        

 

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「読売編集手帳0211」より<東風吹かば・・・・・>

2017-02-12 02:09:04 | 日記

菅原道真の歌<東風吹かば匂ひ起こせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ>

この和歌は文献により2通りの書き方があるそうです。

第5句の<春な忘れそ>です。文献によってはこれが<春を忘るな>となっているようです。

      

<春な忘れそ>は春を忘れないでおくれぐらいの言い方、<春を忘るな>は文字通り命令調の言い方ということになります。

この後<東風吹かば・・・>の和歌が掲載された最初の歌集は拾遺和歌集のようですが、それには<春を忘るな>と書かれているようですから菅原道真のオリジナルは<春を忘るな>なのかもしれません。

しかし私としては和歌の各句の流れ上また意味上から言っても<春な忘れそ>のほうが柔らかな雰囲気を醸して好きです。

                                             

 

この和歌があまりにも有名なため、私はてっきり梅の咲くころには東風が付き物なのかなと思っていたのですが、そういうことではないようです。

菅公が太宰府に左遷されたのは旧暦正月、新暦で言えば2月ごろのことだったようです。まだまだ西高東低の気圧配置が主流で風向きはというと北風が最も多かったろうとは推測できます。

でも西高東低が崩れ移動性の気圧配置の現れる頻度が少しずつ増えると、時々は東風や南風の吹くことも増えてきます。風向きは北より一辺倒からいろいろな方向へと変わるということになります。

海からの湿った暖かい空気が入り込み陽だまりでは暖かいという日も現れます。

旧暦の正月半ばというのはちょうどこんな変化の時期だったのではないかと思います。

天気は西から東へと移動します。

<南風(はえ)>より<東風(こち)>が先に来ます。だから昔の人は<東風(こち)>をもって<東風(はるかぜ)>と呼んだのだろうと考えられます。そして東風は西へ西へと吹いてゆきます。その行く先は遠い西方の太宰府です。

 

      

     東風吹かばにほひ起こせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそ

        東風が吹き始めるぞ!そろそろ花開いて梅の香を(西方の太宰府に届く

        よう)東風に乗せておくれ!

        もうここに主はいなくなるが、決して春を忘れて咲く時期を間違えたり

        しないでおくれ!

 

 

 

 

      

      

      

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アッという間に逝ってしまった・・・ミー死去

2017-01-09 08:49:28 | 日記

ミーが逝ってしまいました。肺がんだそうです。

まだたったの四歳なのに・・・。わが子を二匹も残して。

昨年師走のことです。

死ぬ2~3日前までは元気でした。少なくとも病気には見えませんでした。

ただ前にもブログには書きましたが、粗相をする回数は多くなっていました。

食欲も減っていました。そして寝転んでいることが多く活動がすくなくなってはいました。

いつも私の帰宅時は玄関に出て待っててくれた娘が迎えに出てくれなくなりました。

私としてはその時点で変化に気づくべきでした。

仕事にかまけて私は気づけませんでした。

私が呼ぶと甘えに来てくれるし、そんなに痩せたという印象もなかったのです。

      

ところがいきなり朝起きると呼吸は荒いし、お腹は波打つし、表情が苦しそうなのです。

その日のうちに医者に行き、その日のうちにがんの宣告を受け、精密検査の結果も見ないまま翌日には逝ってしまいました。

逝ったのは日曜日でした。

朝私が起きると、気配を察してかミーがトコトコと二階から降りてくるのです。

慌てて階段に走り抱きかかえようとしたとたん、ごろごろと階段を転がり落ちたのです。

あの軽快だったミーが、あのしなやかだったミーがです。

猫のミーが階段を踏み外したというだけで涙が出ます。

けれども踏み外す時に意識を失ったのか、落ちてからなのかは分かりませんが、既に口から泡を吹いていました。

それきり意識の戻ることはありませんでした。

そんな状態でなんで階段を降りることなどありますかっ!じっと二階で安静にしていればいいものをっ!

でもミーにすれば私のそばに来たかったのです。私のそばで寝ていたかったのだと思います。

苦しくて辛い時にもです。

健気です。

それに比べて私はなんなんだ。何週間も前からあったミーの変化に気づきもできず、手遅れになってから気づくなんて。

後悔とミーに対する済まなさと悲しさで涙は止まりません。

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あけましておめでとうございます

2017-01-03 10:28:44 | 日記

            

新年第一稿です。西暦2017年平成29年の始まりです。

昨年は(あるいはここ数年)いろいろな事がありました。世間ではそれぞれがそれぞれに感慨を持ち対応を考えたことと思います。

TVや新聞等メディアの報道の仕方にもよるのでしょうが、一つ一つの事件事故や災害は暗さを伴うものが多く、ある種傾向のようなものを感じられます。

メディアとしては未来に対する警鐘という意味を含めて暗い事象をクローズアップするのでしょうが、世の中には明るい出来事ももっともっとたくさんあったはずです。

                    

希望とか強さといったものは明るさの中にこそあるものです。

明るい事柄に光を当てることで世の人々の希望を持ち続ける心やブレのない強さを醸成できるような気はします。

個人的資質の差異はあったとしても、人は皆明るさに身を置く勇気を持ち、希望や強さを実現していくべきと思います。

私自身はどん底に落ち、現世での残り時間もあまりない状況ではあっても明るさを演出し続け、死の瞬間まで希望を持って自己を変革したいと思います。

            

            

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納めの歳の市・・・・・薬研堀不動尊

2016-12-26 12:12:02 | 日記

p>久し振りの更新となってしまいました。

色々とバタバタドタバタしているうちいつのまにか年の暮れ。

なにやら回りは忙しげになってきました。

今日は12月の26日、東日本橋の薬研堀不動尊の納めの歳の市&大出庫市は今日から三日間開催されます。

師走にしては暖かく、天気は申し分ない。

チンドン屋が朝から付近を練りまわりチンドンと木管楽器が独特の音楽を奏で弥が上にもテンションを高めています。

   

不動尊入り口付近から始まる露天商のテントがどんどん数を増し、清杉通りの歩道をも埋め尽くしています。

江戸時代を起源とするこの「歳の市」なるものも、現代では知名度も減り盛り上がりも欠けてはいますが、それでも東京では深川八幡から始まり浅草寺や神田明神花園神社などで開催され最後に薬研堀で納めるという伝統的形は変えていないようです。

羽子板市、蓑市、酉の市、ガサ市などと呼び名は変わってきていますが、このように品目を限って多くの店が集まるようになり、それで逆に人気を博しているところも多いようです。

正月行事というものは伝統的な古い雰囲気を大事にするようなところが見られます。

それがなんとなく郷愁を誘い、我々年寄りには懐かしくうれしいものです。

歳の市はそんな正月行事を盛り上げる暮の風物詩ですから神社仏閣はもっともっと盛大にする取り組みをしてほしいと思います。

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