地元紙 紀伊民報 特集
「熊楠生誕150年 ゆかりの地を訪ねて」
5月18日が南方熊楠生誕150年になります
地元紙 紀伊民報が
「熊楠を知り、熊楠に学ぶ」
をテーマに特集を連載しました
市内外、県内外の人々にゆかりの地を訪れて
馴染んでほしいと特集しました
私も阪神間の人々にも知っていただきたいと思い
図書館で記事を転写してきました
(撮影環境が良くなかったので少し見にくいですが拡大して読んでいただければ幸いです)
① 那智山・大阪屋旅館
熊野古道大門坂にある生物調査、熊楠の国内最初の拠点
陰陽の滝、植物・粘菌採取
(大阪屋旅館については2017/5/4 ブログ 世界遺産補陀洛山寺をご参照ください)
②川湯温泉
生物植物調査の帰りに冨士屋(当温泉で最古)で宿泊し、
河原の湯で疲れを癒した露天風呂
③継桜王子の一方杉
1904年(明治37年)に熊楠が初めてこの巨杉群を訪れていた
4年後に一村一社の神社合祀令が出され
この地域でも13の神社の合祀の結果、神社林伐採が行われたので
神社林伐採阻止運動を興し
やっと9本だけ残すことができた
④金刀比羅神社(白浜町)
熊楠が熊野三景の1つとして絶賛した景勝地
⑤田中神社(上富田町)
100年前に熊楠が熊野景勝地の一つとして保存を呼びかけ
神社分祀から守った神社と森
⑥報恩寺
1902年(明治35年)にクサソテツ(山菜名コゴミ)の自生を発見した場所
豊富なシダ類が今も健在
⑦高山寺
1907年(明治40年)稲荷神社への合祀に伴い
神社林が伐採されたことが契機で合祀反対の先駆けとなり
神社合祀反対運動の発火点となった
なお、当地は熊楠の恰好の研究観察地であった
熊楠の墓は菩提寺の高山寺で親友の
和歌山中学の同級生喜多幅武三郎(田辺で医院を開業)と向いあっている
⑧伊作田稲荷神社
町を見下ろす神の森
粘菌採取のために、何回も訪れている神社で
今もシイを中心とした神社林が自然のまま残っている
⑨闘鶏神社(昨年世界遺産に登録)
神社本殿裏の仮庵(かりほ)山は熊楠の植物研究の拠点だった
平地で類を見ない密林で今も立ち入り禁止になっている
なお、熊楠夫人(松枝)はこの神社の当時の宮司の娘
源平合戦で熊野別当湛山が紅白の鶏を戦わせ源氏に味方したことでも有名な神社
(闘鶏神社については2016/4/8ブログ 弁慶ゆかりの史跡めぐりをご参照ください)
⑩神島(かしま)
内之浦 鳥の巣半島の沖合200mにある無人島で
おやま、こやまの2島
因みに自室から左前方500m位のところに見えます
熊楠が「この森こそ南西日本の自然の原野」と言って
保全に尽力天然記念物に指定されている
特徴的な植物はハカマカズラ
1909年(昭和4年)に昭和天皇行幸に熊楠が御進講
それを記念した碑が建てられている
<こぼれ話>
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特に「紀伊民報」は
南紀の歴史・文化・行事など詳細にレポートされており
貴重な情報源、行動指針です
大手お抱え一般紙をやめ、近々購読契約の予定
都会に住んでいた私は今まで感じていなかった地元地方紙の存在感を痛感!
購読契約をして皆で盛り立て支援しなくてはいけませんね
中央紙の扱う、地方版はとても底が浅く面白みがありません。紀伊地方の発展のため、定期購読されることはとても大事なことのように思います。