サロン・風変わりな人材開発の宴 

人の育成について、色々な視点から書いていきます。これは、体験記であると同時に、次の人材開発施策に対するトライアルです。

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世代論で考える大人。その人のコミュニケーション能力は怪しいものです。

2016年12月09日 21時55分41秒 | コミュニケーション
 「世代の違い」という言葉は、いつの世にもあります。古代エジプトにも、「近頃の若い者は、、、」という碑文があるようで、いつの時代でも同じなのですね。経験値がある大人からみれば、若い人の無鉄砲、理不尽な思考・発言・行動を「危なっかしい」「非常識」「世間知らず」と思う。当たっている面はあろうかと思いますが、ここで目くじらを立てて怒ると、若い人との溝が生まれてしまいます。
 「少し厳しくしないとタメだ」の「少し」は、発言した大人の方にしてみれば「少し」かもしれませんが、受け手である若手からみたとき、それは一律同様な反応ではない場合があります。ここがとても重要ですね。つまり、「反応が一律同様ではない」というところ。発した大人が「自分はこう思っている」と発言し、「わかったか!」と締めたあと、自己満足しないでもらいたい。「どうだ。おれは偉いんだ」なんて思うのは、事態を悪くする。つまり、聞いていた若手はどう思っているかという視点が欠けているから。つまり、コミュニケーション能力の根本的な欠如以外の何ものでもないのです。思いやりとか、そういうことではありません。相手の考えていることを推量しない姿勢は、コミュニケーション能力として不味いのです。これに気がつかないで、「世代論」を唱えるのはやめた方が良い。分かりやすい例は、「きみたちは『ゆとり世代』だから」という台詞。決してこれは怒った発言ではないのですが、若い人は「面白くない」「何とも思わない」「当たっている」「外れている」「自分は違う」等のいろいろな反応があるということを想定したほうがよい。「一律同じ」ではないのです。それは大人の人たちだって、「君たちは皆同じだよな」と言われたらどうでしょうか。大半の方は「いや、違う」と思うかもしれません。しかし、中には「確かに」「一部賛成」等、さらに木目の細かい回答が出てきそうではありませんか?。 
 「ひとりひとりと向き合う」というのは,こういう個々への反応を見た上で、個別の対応から始まると思うのです。
 よく、就活で採りあげられる「学生の皆さんに求められるのはコミュニケーション能力です」としげしげという大人たちをみていると、「そう言うあなたは大丈夫なんですか」と答えたくなります。肝心の大人だって、そのコミュニケーション能力については、威張れたものではないと思っているので。これは天に唾して言っています。自戒を込めて言っています。
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